御茶ノ水駅周辺が「渓谷みたいな地形」になっているワケ

御茶ノ水駅近くを流れる神田川を見ると、かなり深い谷になっています。いったいなぜでしょうか。フリーライターの大居候さんが解説します。


台地を貫く神田川

 御茶ノ水駅近くを流れる神田川はかなり深い谷となっており、絶景といっても過言ではありません。この地形は自然ではなく、人工的につくられたものです。

 元の地形からどのくらい変わったのか、それは国土地理院のサイトを見ればわかります。神田川は北から続く本郷台地を貫いて開削されているのです。

 あえてこのような場所を貫かなくても、もう少し南側に迂回(うかい)すれば土地も平らで工事も楽だったのではないかと思います。しかしなぜ、わざわざ台地を貫いているのでしょうか。

標高25mの台地と三つの川

 その歴史は、徳川家康の入府に始まります。

御茶ノ水駅近くを流れる神田川(画像:写真AC)

 家康は江戸の街の整備を進め、このときに神田山が切り崩されました。神田山とは現在の神田駿河台(千代田区)周辺のことで、山とはいうものの、前述の本郷台地から続いて伸びていた台地です。

 その標高は25m程度で、現在の「山の上ホテル」(千代田区神田駿河台)と明治大学の創立100周年記念図書館周辺が平らな頂上になっていました。

 水道橋からお茶の水までは現在でもかなり急な坂や階段になっている部分が見られます。そういったことからも、都市化が進んでいない時代は台地から連なる立派な山だったことも想像できます。

 当時、神田川は平川もしくは江戸川という名前で、その流路は現在の飯田橋付近から南に皇居内堀の方面へと流れ、日比谷入江へと注いでいました。

 家康は1590(天正18)年、江戸城への物資を運ぶ水路として、日本橋川の原型となった道三堀(どうさんぼり)を開削。その結果、日比谷入江を通ることなく、千葉県方面からの物資を江戸城に運ぶことができるように。

 道三堀と平川はこのときに接続され、現在の春日通りと白山通りの間の低地を流れていた小石川も道三堀へと流れるようになりました。

 台地の東側には石神井川が流れていました。現在の石神井川は北区堀船で隅田川に注いでいますが、当時はもっと南を流れており、現在の神田川下流と合流してから隅田川に注いでいました。

工事を手掛けた仙台藩とその思惑


【事前にチェック】御茶ノ水駅付近の「地形」

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