「子供の不幸繰り返さないで」 麻布十番「赤い靴」の少女像を歩ませた人情の連鎖(後編)

  • 未分類
「子供の不幸繰り返さないで」 麻布十番「赤い靴」の少女像を歩ませた人情の連鎖(後編)

\ この記事を書いた人 /

アーバンライフ東京編集部のプロフィール画像

アーバンライフ東京編集部

ライターページへ

麻布十番の「きみちゃん」像が設置されたその日から寄せられるようになった募金。設置に尽力した山本仁壽さんは、親子が一緒に暮らすという「何気ない幸せ」の大切さを発信し続けています。

「ありきたりの像にしてはいけない」

(前編はこちら)

 麻布十番商店街にはちょうどそのころ、1986(昭和61)年春に完成していた「パティオ十番」に対して、建設省(現・国土交通省)から、地域づくりの優れた取組みを表彰する「手づくり郷土(ふるさと)賞」受賞の話が出ていました。山本仁壽(きみとし)さんは「パティオ十番」に「きみちゃん」の銅像を作ることを思いつき、窓口である港区にさっそく提案。設置の許可を得ることができました。

「きみちゃん」に手を添える山本さん(2018年6月12日、國吉真樹撮影)



 しかし、銅像の台座には当然、「手づくり郷土(ふるさと)賞」のプレートが取り付けられることになります。このままではありきたりの像になってしまう――。山本さんは港区と交渉を重ねました。「プレートに『きみちゃん』の名前だけは入れさせてほしい」「ダメです」。そのようなやり取りが何回も続きました。

 その結果、「きみちゃん」の足元に小さなプレートを自費で取り付けることで、話は解決しました。山本さんはそれに「詩(うた)に聞く、少女の微笑(ほほえみ)に、想いをはせて。」と記しました。

山本さんが自費で取り付けたプレート(2018年6月12日、國吉真樹撮影)

「きみちゃん」像が設置された後も、山本さんはやはり納得がいきません。

「この想いをもっと伝えないと」

 そう決めた翌日、「きみちゃん」の悲しい過去をつづった文章を、日本語と英語でA4の紙1枚ずつに書き、「手づくり郷土(ふるさと)賞」のプレートを覆い隠すよう、両面テープで貼りました。しかし雨が降るとはがれてしまうことから、ラミネート加工を施して貼り直すことに。

歩み始めた「きみちゃん」

 その執念は港区を動かし、ついには同じ文章が書かれたプレートが、「手づくり郷土(ふるさと)賞」の上に、ふたをする形で取り付けられることになりました。募金箱代わりに置かれていたガラスの入れ物は、像の設計者・佐々木至さんの好意で、胴体と同じ、赤い御影石でできたものに取り換えられました(現在は金属製の箱に変更)。

「きみちゃん」の台座部分に貼られたプレート。この下に「手づくり郷土賞」のプレートがある(2018年6月12日、國吉真樹撮影)

 設置の1か月後の4月には除幕式も行い、メディアが多く詰めかけました。幕引きを行ったのは地元の保育園児。園児の中には、親御さんのはからいで赤い靴下を履いてくる子が数人いました。

 設置1年目の募金額は33万円になりました。山本さんは商店街の広報部員と話し合い、「きみちゃん」のような子どもを今後出さないよう、日本ユニセフ協会に募金することに決めました。
 
 募金は協会の大使を務めていた黒柳徹子さんを通じて行おうと、「徹子の部屋」収録中の合間を縫って、黒柳さんに手渡しました。現在も協会への募金を続けています。

 1990(平成2)年からは、毎年8月に開催される「麻布十番 納涼まつり」で募金ブースを設けるようになりました。知人を通して知り合った俳優の山本昌平さんや紅(くれない)理子さん、作曲家の横山太郎さんがボランティアで参加してくれ、募金額は1日10万円に上りました。お祭りでの募金は十数年続きました。

「きみちゃん」像の設置は1989(平成元)年。現在も募金をする人が絶えない(2018年6月12日、國吉真樹撮影)

 それからというもの、「きみちゃん」像にはさまざまな人たちが訪れました。もちろん今でも募金は続いています。その様子を見て、野口雨情のお孫さん・野口不二子さんは、「きみちゃんは、もう『一人歩き』していますね」と評価してくれました。

 山本さんはその後、商店街の広報部長から副理事長まで昇進しましたが、大腸がんをわずらい、2004(平成16)年に活動から身を引きました。山本さんは募金箱の管理を続けながら、「麻布十番未知案内」というホームページを立ち上げて、現在は麻布十番の周辺情報を発信しています。

原動力は「人情」と「親の苦労を見たこと」

ホームページを立ち上げるために独学で勉強したというテキスト(2018年6月12日、國吉真樹撮影)

 像が設置された1989年から30年もの間、山本さんが「きみちゃん」と募金にこだわり続けているには理由があります。山本さんは次のように話します。

「俺は親父(仁作さん)が55歳の時の子どもだから、話し相手もそのくらいの年齢の人が多かったんだ。だから、当時の人たちが当たり前のように持っていた『人情』を引き継いでいるのかもしれない」

「俺が小学5年生の時に、その親父が交通事故で寝たきりになったんだ。その後の何年間は、店を切り盛りしていたのは母親でね。だから俺は大学卒業後、企業に就職しないでこの店を継いだんだよ。親の苦労を知っているから。さっき話した昔の人の持ってた『人情』と『親の苦労』、これが原動力になっているのかもね」

募金箱の管理時間を示したメモ(2018年6月12日、國吉真樹撮影)

 加えて山本さんは、両親と子どもがいっしょに暮らすという、「何気ない幸せ」の大切さを繰り返してうったえます。

「『きみちゃん』が俺に教えてくれたのは、それなんだよ。最近は悲しくなる事件も多いでしょ、親子間の。ああいうのを見ると、やっぱり『何気ない幸せ』が大事なんだって思うよ。このままだったら、第二、第三の『きみちゃん』を生み出すような世の中になってしまうから」

「麻布十番の人情はなくなっていない」

 募金を始めて約30年。今でも1か月に2万円弱は集まるといいます。2018年5月にも募金箱に1万円札が入っていて驚いたという山本さん。

「きみちゃん」の本名である、「岩崎きみ」の名義で作られた口座(2018年6月12日、國吉真樹撮影)

「こんな時代に誰が入れてくれたんだろうね。インターネットで『きみちゃん』を知ってくれた人なのだろうか。とってもありがたい。だって、募金箱に集まるのは、何のいつわりもない、本当にきれいなお金だからさ。うれしいね。だから俺はこれからも『きみちゃん』を発信していくよ」

 ここは麻布十番。山本さんによれば、またの名を「山の手の下町」とも。「人情はまだまだなくなってないんだよ」と、山本さんは笑顔で語ってくれました。

●きみちゃん像
・住所:東京都麻布十番2-3-7
・交通アクセス:東京メトロ南北線、都営大江戸線「麻布十番駅」から徒歩7分

関連記事