無造作に積まれた丸石、実は……
もしかしたら、世界一優れているかもしれない「砥石(といし)」が八丈島に埋もれています。
知られざるお宝を世に紹介したのは、移住者の高橋栄治さんでした。
高橋さんが立ち上げた八丈砥石工房を訪ねると、ハート形の砥石と「八丈砥石工房」と記された八丈島形の砥石をくくりつけた標柱が迎えてくれます。ハート形の砥石は、女性観光客を意識して開発したもので、空港売店などでもよく売れているそうです。
工房のまわりには、八丈島名物の玉石垣に使われている丸石が、無造作に積まれていました。
全国的に名の知れた京都や天草の砥石は、山から採掘して加工しているのですが、島ではその辺にある変哲もない丸石が八丈砥石の原石だというのです。もちろん、同じような形をしていても向き不向きがあるので、厳選しなくてはなりません。
何がそんなに優れているのか、特長を聞きました。
「八丈砥石は、世界的に見ても大変に珍しい、水でも油でも研げる仕上げ砥石なんです。10000番(砥石の粒子の細かさを表す値)より目が細かく硬いのに粗くない。水や油も、ほんのひと垂らしでいい」
一般的に日本では包丁などを研ぐときは、砥石を水につけてから研ぎます。一方、アメリカなどでは、水の代わりに油を使う油砥石が主流。刃物の仕上げ研磨に使う硬くて緻密な砥石です。
世界的に有名な油砥石アーカンサス砥石は、元々油を含んだ石なので、油がよくなじむのです。しかし、天然石の原石は資源が枯渇して極めて貴重になり、人造砥石で代用されることが多くなっています。
ステンレスもチタンも研げる優れもの
「油砥石は硬く粒度が細かいので、ニッパーやハサミ、彫刻刀の丸刀などもうまく研ぐことができるんですよ。サビ取りの研磨剤としても使えます」
さらに、いいことずくめらしい。
「ステンレス鋼でも炭素鋼でも、金属系の刃物ならすべて研ぐことができ、安来鋼(やすきはがね)やチタン含有鋼でも研げます。研げないのは、セラミック系くらいですよ。あと、硬くて減りが少ないので、一生使ってもらうことができる一点ものなんです」
八丈砥石の想像以上の実力は分かりましたが、地元の人をさしおいて、なぜそんなお宝に気づくことができたのか。
高橋さんが八丈島へ通いはじめて30年近くなるそうですが、手ごろな空き家が見つかって移住してきたのは2014年になってから。
「それまでは、都立病院で施設の保守管理をしていました。若い頃に自分で家を建てられるようにとブロック屋をしていたことがあり、それで石に詳しくなった。病院では医師に頼まれメスなどステンレスの道具を研ぐこともあり、砥石に関してもそれなりの知識があったと思います。移住してくる前から、島の石が砥石になることは気づいていました」
移住後に山を開墾(かいこん)しているとき、ゴロッと出てきた石に心をひかれ、近隣の玉石垣を観察し海岸を歩いて、八丈島には砥石に向いた石が多いことを確認した上で、八丈砥石工房を立ち上げたそうです。
地元でも島の石が砥石に向いていると気づいている人は何人かいましたが、高橋さんのように世に広めようと立ち上がった人はいませんでした。
極薄型やペンシル型 用途は多種多様
「ここは国立公園なので、海岸に転がっている石は使えません。崩れた玉石垣や廃屋の礎石などを手に入れて、砥石に仕立てています」
最初は、玉石を輪切りにして研ぎ面を磨いたふつうの砥石だけ作っていましたが、そのうち細かな作業がしやすい柄付のもの、ハート形や八丈島形とレパートリーが広がり、厚さ1.5mmという世界一薄い砥石やペンシル形のものまで作っているそうです。
「細かな研磨作業ができるので、プラモデルのダイカストなどにも使えるはずです。精密機器の製造に欠かせないという認識が広まれば、重要な戦略物資として輸出禁止になるかもしれない。それくらい素晴らしい砥石だと思っています」
もちろん、現場の人たちの意見にもていねいに耳を傾けています。
「床屋のカミソリやプロの料理人の包丁で試してもらったところ、とても好評でした。どこで聞きつけたか、日本刀の研ぎ師が買っていったこともあるんですよ」
八丈島ににっぽん丸が寄港したとき、出店で販売したこともあるそうです。
「ペンシル形など何本か売れました。特長を説明してあげると、ちゃんと分かってくれる人がいて、売れる」
さらに、別分野のプロの評価が分かるエピソードも教えてくれました。
「浅草・合羽橋にある老舗料理道具屋の釜浅商店に飛び込みで八丈砥石を持ち込んだところ、すぐに良さを認めて引き取ってくれました。その後も、追加の注文をいただいています」
いずれ世界から注目を集める可能性
釜浅商店は、パリにも支店を持つ1908(明治41)年創業の老舗料理道具屋です。別の店では、門前払いだったとか。なまじ砥石に関する知識があると、まさか八丈島で砥石なんてと思ってしまうのでしょう。見る目が研ぎ澄まされた老舗の釜浅商店はさすがです。
いろいろと話を聞きましたが、筆者(斎藤潤。紀行作家)には砥石の良し悪しが判断できるだけの知見はありません。そこで、品質の良さを裏付けてくれたのが、一緒に八丈砥石工房を訪ねた八丈名産くさやの名店・長田商店の長田隆弘さんの感想でした。
長田さんも最近まで地元の砥石の存在を知らず、初めて目にした八丈砥石でしたが、ひと目で気に入りかなり高価なものを購入してしまいました。くさやはトビウオやムロアジなどの魚を開いて加工するので、切れ味の優れた刃物が欠かせません。
その後、使い心地を聞いたところ、
「購入した砥石よりサービスでいただいた砥石の方が目が細かかったので、そちらを仕上げ用に使用しています。仕上がりよく、切れ味もとてもよい。水もほとんど不要で、すぐに使用できる。トビウオを開いていて包丁の切れ味が悪くなったら、その場で研ぐ。すると、すぐに切れ味が戻るので、忙しいときほど重宝しています」
地元八丈島でこれだけ評価されれば、地元の砥石としても本望に違いありません。
地元でも知る人が少なくまだマイナー存在ですが、いずれ八丈島を代表する産品のひとつになり、将来的には世界から注目される砥石になるのではないか。高橋さんは、胸のうちにそんな想いを秘めているようでした。
高橋さんは、最近砥石としては品質が今一の原石を利用して、風鈴や石琴など石の楽器も作っています。
2021年4月1日(木)、八丈島南原千畳敷にリニューアルオープンするカフェバー「YELLOW 8」(黄八丈の意)で、砥石及び風鈴・石琴などの展示販売が行われるようになるそうです。