オープンからもう30年 伝説のディスコ「ジュリアナ東京」が大ヒットした理由
2021年1月4日
ライフかつて一世を風靡したディスコ「ジュリアナ東京」。その輝かしい歴史について、フリーライターの犬神瞳子さんが解説します。
広さは1200平方メートル、最大収容人数は2000人
日本最大級のディスコ「ジュリアナ東京」がオープンして、2021年で30年が経過します。驚きを隠せない人も多いことでしょう。あの一大ムーブメントも既に遠い昔なのですから。
ジュリアナ東京が東京の夜を彩ったのは、1991(平成3)年5月15日から1994(平成6)年8月31日までの3年あまりです。所在地は田町駅から徒歩6分ほどの東京ポートボウルが入居する、港区芝浦のビル1階でした。その広さは1200平方メートルで最大収容人数は2000人。お立ち台の高さは3mと巨大でした。

オープン前日に行われたマスコミと関係者向けの先行体験会の時点ですし詰め状態。招待状がないと入れないにもかかわらず、5000人も来場したのです。
バブル景気が崩壊し景気はすでに後退し始めていましたが、世の中はまだ「この好景気が終わるなんて本当?」という空気感。そこから3年間、世の中が次第に危機感を募らせていくなか、ジュリアナ東京はバブル景気終焉(しゅうえん)の「最後の花火」として輝いたのです。
手掛けたのは人材派遣大手の創業者
ジュリアナ東京は、商社の日商岩井(現・双日)とイギリスのレジャー企業・ウェンブリーが共同出資して誕生しました。当時は、イギリスのディスコチェーンがやってくるとオープン前から話題に。
日商岩井がディスコを手がけたのは、建物を所有していた東京倉庫運輸から倉庫の有効活用を相談されたのが始まりです。当時日商岩井の社員で、後に人材派遣大手のグッドウィル・グループを立ち上げる折口雅博氏はディスコを提案しました。

こうしてオープンしたジュリアナ東京ですが、そのイメージといえば、お立ち台とそこに集まったワンレン・ボディコンの女性たちですが、このディスコの魅力はそれだけではありません。
まず、ディスコとしてはとても敷居が低かったのです。当時、周辺には同じく収容人数2000人を誇るゴールド(港区海岸3)がありました。ゴールドは、後に「東京のクラブシーンの幕開け」とも呼ばれるように、コンセプトを明確に打ち出したディスコで、ファッションショーなどのイベントを開催するなど、非日常的な空間の演出が際立っていました。
それに対して、ジュリアナ東京はといえば「昔あった単なる大箱のイケイケディスコである。非常にわかりやすく、遊びやすい」(『週刊SPA!』1991年6月5日号)という、ノリだったのです。

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