2020年の写真集『東京、コロナ禍。』 何度も見返してしまう「3月29日」の1枚とは

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2020年の写真集『東京、コロナ禍。』 何度も見返してしまう「3月29日」の1枚とは

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屋敷直子

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まもなく終わりを告げる2020年。新型コロナウイルス一色だった1年を、克明に記録した写真集があります。『東京、コロナ禍。』(柏書房)。この1冊が見る者に与える感情や感慨の意味について、ライターの屋敷直子さんが自身の記憶とともに解説します。

抗いがたく日々を侵食した新型ウイルス

 2020年を振り返るとき、何を思い浮かべるでしょうか。

 マスク、消毒液、手洗い洗浄液といった生活必需品。緊急事態宣言、ソーシャルディスタンス、3密など前年までは耳にしたこともない言葉。ビニールシートが下がるレジ、間を空けた行列、シャッターが閉まったままの空き店舗など、見慣れつつある街の風景。

 日常生活にするりと入り込んできて、最初は微かな違和感があったものの、すぐに抗(あらが)いようもなく定着してしまった「ニューノーマル」が、あまりにもたくさんありました。

『東京、コロナ禍。』(写真・初沢亜利、柏書房、2020年8月発行)という写真集があります。

「年明けから少しずつ東京の街に出て撮影するようになった。期せずしてコロナ禍に突入した。」――という言葉とともに東京に暮らす人のなにげない数枚が続いたのち、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の写真を皮切りに、少しずつ変わっていく2020年の東京の風景が7月まで記録されています。

 2月下旬にはまだ、駅の喫煙室はぎゅうぎゅう詰め状態ですが、街からだんだんと人が減り、それまで多くの人が行き交う場所として記憶していたはずの駅、ホテルのロビーが無人になる。

 いっぽうで、緊急事態宣言(4月7日)が出たのちでも、人が密集している場所がある。

 街は一夜にして変わるのではなく、日々すこしずつ、人間の手によって変わっていくことに気づきます。

不鮮明な時間をたどるための「よすが」に

 写真は時系列に並んでいて、外国人旅行者の増加を前提とした羽田空港新飛行ルートの運用開始(3月29日)、練馬区のとんかつ店で火災が起こり、オリンピックの聖火ランナーに選ばれていた店主が焼死(4月30日)、医療従事者に感謝をしめすためにブルーインパルスが飛行(5月29日)といった時事関連の写真も、間にはさまっています。

写真集『東京、コロナ禍。』から。「ソーシャルディスタンスを示すシートを貼るコンビニ店員」(画像:初沢亜利、柏書房)



 それらはいわゆる報道写真ではなく、妙な生々しさがありますが、こんなことがあったなという具体的な年月を刻む目安になります。

 5月11日、品川の東京出入国在留管理局の写真は、狭い部屋に閉じ込められている外国人にマスクを配られていないことがわかります。

 コロナウイルスによって何もかもが変わってしまった、と言われますが、これまでにもあった問題が表に出てきただけということかもしれません。インバウンドに沸いた街の裏側の実態が伝わってきます。

 2020年を振り返ってみても、なんだかよくわからない、まだ自分のなかでうまく咀嚼(そしゃく)できていない、と感じることはないでしょうか。

 自分を取り巻く世界の変化が大きすぎて、対処方法も、感情の落ち着きどころも、すべてが流動的で頼りなく、ただ不安だけが積み重なっていく。生活は一変した、でもすべてが靄(もや)にかかったように不鮮明。

 この写真集は、こうした不鮮明さについて考える“よすが”となるのではないかと思うのです。

何度も見返してしまう「3月29日」の1枚

 初沢亜利氏が撮る写真は、時間を可視化してクリアに見えるいっぽうで、理解しようとすればするほど遠ざかっていくような、そして何かを問いかけられているような気がしてきます。

 それだけに、見るときの自分の状態によって、写真から受け取る印象が違ってくるのです。

 何度も何度も見てしまう写真があります。

 3月29日日曜日の上野公園の桜の写真。24日に東京オリンピック・パラリンピック延期が発表され、翌25日には週末の外出を控えるように都知事から要請が出されます。27日には国内の感染者数が1日の数としては最多を記録し、日々更新されていきました。

写真集『東京、コロナ禍。』から。「3月29日 日曜日の上野恩賜公園 前々日より桜並木が閉鎖された。」(画像:初沢亜利、柏書房)



 そんな地獄のはじまりのような週の週末、上野公園は桜並木が封鎖され、さらに雪が舞うほどの寒さ。例年ならば花見客でごった返す場所には、人ひとりおらずただ雪が降っている。2020年の東京を象徴しているような1枚です。

 この本を買った9月、初めて見たときは美しい写真だと思いました。

 その後、何度も見返すうちに、今年の3月に自分は何を考えていたのか、来年の3月はどうなっているのかと、桜から離れて写真の内容とは一見関係のないようなことを、自分の立ち位置の確認のようなことを、考えるようになりました。

コロナ禍を生きるとは、考え続けること

 コロナ禍のなかで生活していく不鮮明な気持ちを支えるのは、たぶん考え続けることなんだと思います。

 どうあがいても、ウイルスがやってくる以前の生活が戻ってくることはない。何が起こったのか、いま何が起こっているのか、世間の“みんな“が言うことに流されるのではなく、自分の意志で考え続ける。

 写真集の最後、見開きで、交差点を行き交う人びとの写真があります。

 この1枚を最後にもってきた意図は、はかりしれません。ただ、この1枚からは音が聞こえる。靴の音、話し声、信号機の音、車のエンジン音、そうした雑踏の音です。

 この音を聞くことで、現実に引き戻される。思考を思考だけに終わらせず、街へ出て実践にうつそうという力が湧いてくる。『東京、コロナ禍。』は、2020年を考え続け、次に進むための灯台となってくれる本です。

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