都心と郊外のいいとこどり? 東京転勤者にぴったりの江戸川区「瑞江」とは【連載】東京下町ベースキャンプ(4)
2020年10月22日
知る!TOKYOかつて江戸近郊の農村部だった東京東部の「下町」。そんな同エリアを、ブログ「限界ニュータウン探訪記」管理人の吉川祐介さんは新たな「拠点」と位置付け、再解釈を試みています。
転勤者からの指定が多かった駅
筆者は以前、江東区のタクシー会社で乗務員として勤務していた時期があり、主要な営業エリアとして主に隅田川以東の下町を乗務していました。
夜間は、繁華街である錦糸町周辺から酔客を自宅まで送るのですが、目的地を聞いた際、
「まだ東京に転勤してきたばかりで、道に詳しくないので……」
と前置きして、自宅の最寄り駅を指定されることが時折ありました。そうしたお客さんの多くは江戸川区の在住で、特に多かったのが都営地下鉄新宿線の瑞江駅でした。
かつては江戸川区で最も交通の便が悪かった
江戸川区の瑞江は、都営新宿線の終点である千葉県の本八幡駅より二駅手前、新中川と旧江戸川に囲まれた千葉県寄りに位置しています。旧江戸川の対岸は地下鉄東西線の駅もある南行徳で、23区ながら街並みは郊外的な雰囲気が色濃くなっています。
しかし瑞江は、今でこそ都営新宿線が開通し都心近郊の住宅地として発展していますが、かつては江戸川区でも最も交通の便が悪く、また最も開発が遅れた地域のひとつでした。
都営新宿線の船堀~篠崎間が開通したのは1986(昭和61)年。それまで瑞江の人たちは、バスで総武線の小岩駅へ向かうか、あるいは新中川と旧江戸川の合流地点に位置する「今井橋」のたもとに存在する都営バスの始発地を、地域の玄関口として利用していました。
この今井橋は、大正時代に「城東電気軌道」の終着駅が設けられたのを皮切りに、1952(昭和27)年にトロリーバスの発着場に切り替えられ、トロリーバスの廃止後は、都営バスの今井支所が置かれていました。

瑞江に住む人たちは、この駅からも遠い今井橋から、亀戸、錦糸町、上野方面へと向かっていたのです。今はその支所も廃止され、現在は都営バスの「今井」停留所を残すのみ。今井停留所の付近には商店や食堂などの店舗が今でも営業を続けており、かつてここが町の玄関口であった名残をとどめています。

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