「トップダウン式」選考への回帰?
近年、アイドル界では、ファン参加による「ボトムアップ式」のオーディションコンテンツが活況を呈していました。詳しくは、2020年12月20日(日)に配信した前編記事(「NiziU爆発的ヒットに見る『オーディション番組』攻防の50年史」)で説述した通りです。
しかし、それによって諸問題が発生したこともあります。例えば、アイドルや運営に対するファンの過剰な接触や介入をコントロールできなくなってしまったり、逆に「ファンがつくる」をうたっているにもかかわらず実情は運営側で過度にコントロールされていたり、といった具合にです。
そうしたこともあってか、2020年に飛躍を遂げたガールズグループNiziUを生み出した「Nizi Project」では、かつて主流をなしていたプロデューサー主導のトップダウン式に回帰しているように見える部分があります。
韓国最大手の芸能事務所のひとつJYP ENTERTAINMENT(以下JYP)の創始者であり、自身も歌手として活動するJ.Y.Parkことパク・ジニョンは、プロデューサーとして、オーディション過程でメンバーに直接技術的な指導や助言をしたり、熱心かつ頻繁にひとりひとりにコメントを投げかけたりと、コンテンツ内で存在感を示しています。
プロデューサーが前景化しているという意味において、90年代の日本のオーディション番組『ASAYAN』(テレビ東京系)の焼き直しのように見えなくもないですが、「Nizi Project」がこうした従来のコンテンツと異なるのは、その評価方法にあります。
NiziUメンバー同士の関係性について考える際にも、この評価のなされ方がひとつポイントになってきます。
「Nizi Project」では、メンバーを決める際に「ダンス・歌・スター性・人柄」という四つの基準を設け、ミッションごとに高い水準に達しているとみなされた項目のキューブ(それぞれイエロー・グリーン・レッド・ブルーという異なる色のパーツ)がメンバーに与えられ、四つがすべてそろっていることがデビュー(または次の段階へ行くため)の条件として提示されていました。
プロジェクト名にあやかってキューブが虹色に輝くとデビューが決まると読めます。ここで独特さが際立つのは、「スター性」と「人柄」という項目です。
メンバーたちが強調する「仲の良さ」
まず、「スター性」についてJ.Y.Parkは、自分の声や表情、個性をありのままに表現できる「ナチュラルさ」、言い換えると「自分らしさ」を表現できるパフォーマンス力であると繰り返し述べます。
そうしたイメージは、「自分らしいペースでありのままの自分を信じて進んでいこう」というメッセージが込められたデビュー曲『Step and a step』の歌詞の世界観にも投影され、メンバー自身、楽曲に自分たちの歩みを重ね共感の声を寄せています。
次に「人柄」については、JYPが掲げる「真実・誠実・謙虚」というモットーを引きながら、オーディション合宿期間中の「JYPスタッフによる参加者の様子の観察」と「参加者同士の友情投票」という二つの方法で評価を行っていきます。
これによって、参加メンバーは、“お行儀よく”ふるまうこと(「カメラの前でできない発言や行動はカメラがない場所でも絶対にしない」)、他のメンバーと良好な関係を築き上げることで、「立派な人柄」をパフォーマンスすることを求められます。
また、いかにダンスや歌の能力が優れていても「態度に問題がある場合はデビューさせない」とくぎを刺されます(実際にスタッフの評価が最も悪いメンバーはJ.Y.Parkから注意を受けるシーンもありました)。
グループ結成以降、メディアに登場したメンバーが頻繁に口にするのは「メンバー同士の仲の良さ」および「チームワークの良さ」です。
それが実体を伴うものであるか否かはともかく、オーディションの際の評価基準が彼女たちに内面化され、染み込んでいることの表れとしてこれらの発言は捉えられるのではないでしょうか。
SNS上でも、こうした仲の良さを匂わせるコンテンツがメンバーから発信されています。例えば、公式インスタグラムにはメンバーのNINAとMAYUKAのツーショットが投稿され、「ニナマユ カワイイ」といったファンのコメントが付与されています。
「AKB的なもの」へのアンチテーゼ
そして、この「メンバー同士の仲の良さ」は、NiziUに限らず、乃木坂46(以下、乃木坂)をはじめ現在のガールズグループが問われるテーマのひとつになっていっています。
上記の通り、AKBはファン参加型を推し進めた結果、ファンの数やそれに伴う順位を可視化しメンバー間で序列化していくことで競い合う様相を色濃く呈していました。
AKB48以降、2010年代の「アイドル“戦国”時代」という捉え方も、AKB(東京)を頂点にしてアイドル(姉妹グループや「ご当地アイドル」などさまざまな地域も含む)間でしのぎを削る状況を連想させます。
乃木坂やNiziUの「仲の良さ」を希求するあり様は、こうしたAKB的なものに対するある種のアンチテーゼのように映ります(そもそも乃木坂はもともとAKBの「公式ライバル」なわけですが)。
「AKB的なもの」の行き詰まりが、そのオルタナティブとして、総選挙で競い合うよりもメンバー間で良好な関係性を築いていっているように装う「乃木坂的なもの」の人気を招いたとも言えましょう。
それにしても、こうした女性メンバー同士の仲の良さを強調するかのような表象は、一体誰に向けられたものなのでしょうか。
アイドル文化は、「異性愛至上主義」に基づき、アイドルとその異性の(本稿では同性・異性は生物学的な意味で用います)ファンとの関係性を担保に、相互のコミュニケーションや関連消費を促進するかたちで発展を遂げてきました。
女性アイドルならば男性ファンとの関係性を、別の見方をすれば、男性ファンの視線を介在(意識)して、ファンに好かれるように女性アイドル自身がいかにふるまうことが望ましいのかが規定されてきたのです。
同性ファンを意識するアイドルたち
ただ、男性アイドルの女性ファンのなかには、自分とメンバーとの関係性だけではなく、メンバー同士で仲良くしている様子(わちゃわちゃ感)やメンバー間の絆(ホモソーシャルな関係性)を愛(め)でる人がいることも観察されています。アイドルとファンとの関係性は、決して異性間に限定化されているものではないことを改めて想起させます。
同じように、女性アイドルも女性ファンとの関係性を以前にも増して意識して活動しているように映ります。
乃木坂のメンバーには、女性ファッション誌の専属モデルが幾人もいますし、女性向け商品の広告塔も担っています。NiziUも、デビューに際して、いわゆる赤文字系雑誌の表紙を飾り、コーセーの新ミューズに就任しています。
そもそも本稿の前編で記した通り、NiziUをフィーチャーしたイベントが開催中のSHIBUYA109(渋谷区道玄坂)自体が若い女性のための場所(メディア)ですが、逆に言えば、若い女性のあこがれの象徴として長らく渋谷にそびえたっている109は、NiziUを若い女性に向けた最新のアイコンとして認識されるための広告媒体として最適であったと言えるでしょう。
(J.Y.Parkが、日本の女性歌手で最も好きだと公言しているのがかつてこの地のカリスマであった安室奈美恵であることは偶然ではないでしょう)。
以上から、NiziUから見る現在形のガールズグループは、同性である女性からの視線を引きつけるための戦略として、仲の良さをアピールしていると言えるのではないでしょうか。
一方で、NiziUのなかで築かれる同性間の良好な関係性は、メンバーの名前の類似や年齢的な近さも手伝って、実に「同質的な印象」を与えます。
それは、横のつながりの気楽さを享受し、人間関係における他者との衝突や摩擦を回避しつつ、可能な範囲内での自己アピールを好むようなあり方。そうすることこそが“よい子”であると呪文をかけられているようにも思えるのです。
「自分らしさ」と同質性の二律背反
そしてこれは、Z世代と呼ばれるメンバーと同年代くらいの女子の輪郭とも重なり、だからこそ、今NiziUが共感を得ているのではないでしょうか。
自らが正面切って競い合うことを避けながら順位を決しオーディションコンテンツを成立させるためにも、トップダウン式のプロデューサー主導型(Z世代が受け入れる「褒めて伸ばす」タイプの理想の上司のようなJ.Y.Parkの存在)が選択される必要があったのではないでしょうか。
NiziUを見ると不思議な感覚に襲われます。
J.Y.Parkから提唱されNiziUのコンセプトとも言える「自分らしさ」を追求することと、以上のような同質的なあり方とは、ともすれば、アンビバレント(二律背反)なものに見えるからです。
「自分とは何か」という、私たちが生きる上で最も困難な問いへの答えは、他者が合わせ鏡になって差異を知ってはじめて浮かび上がるものではないでしょうか。同質的なコミュニティに身を投じるあまり、道に迷ってしまうかもしれません。
現代社会を読むひとつのキーワードとして“多様性”があります。NiziUの「虹」からもこれは連想させられます。これからNiziUはどんな色の「自分らしさ」を描いていくのでしょうか。