薄っぺらいネット記事とは真反対? 東京のニッチ情報満載だった伝説の雑誌『angle』をご存じか

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薄っぺらいネット記事とは真反対? 東京のニッチ情報満載だった伝説の雑誌『angle』をご存じか

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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1977年から1985年まで発行されていた月刊誌『angle』は、その情報量の多さで知られた伝説の雑誌です。そんな同誌について、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

43年前に創刊、知る人ぞ知る雑誌

 まだインターネットがなかった1990年代前半まで東京人たちが都会生活を楽しむためには、雑誌が欠かせませんでした。

 東京人が買う雑誌といえば、まず『ぴあ』と『東京ウォーカー』。都内のイベントや映画、コンサート、話題スポットの情報など、多くの情報を雑誌から得て「明日はここに出掛けよう」と考えていたのです。

 こうした東京限定の情報を掲載した雑誌で、知る人ぞ知る存在なのが1977(昭和52)年から1985年まで発行されていた月刊誌『angle(アングル)』(主婦と生活社)です。

月刊誌『angle』創刊号(画像:主婦と生活社)



『angle』の特徴はなんといっても、その「網羅性」です。各号のテーマとなっている話題や地域について、ページを埋め尽くさんばかりの情報が掲載されているのです。

 テーマに沿った網羅性が際立つ雑誌として思い出すのは、今もマガジンハウスから発行されている『Hanako』です。創刊当時の『Hanako』は、とにかく情報量が多いことで話題になっていました。

 それに先行していた『angle』と『Hanako』の違いは読者層です。『Hanako』が想定していた読者層は、首都圏に住む27歳の女性です。年収は300万円だけど年に100万円はためている、遊びにお金は惜しまないが海外旅行に行きたいから貯蓄にも意欲的、普段の生活でたまにはワンランク上ものぞいてみたい……という設定でした(『朝日新聞』1988年12月18日付朝刊)。

 そんな読者層を想定した『Hanako』は、1988年6月の創刊から間もなく人気雑誌となりました(当時は週刊)。

読者は「さえない若者」

 先日、取材でライターの先輩・田沢竜次さんにお会いしました。田沢さんはB級グルメという言葉の生みの親。1985(昭和60)年に主婦と生活社から出た『東京グルメ通信』はB級グルメに対するスタンスと筆致が今なお古びない、必読の1冊です。

『東京グルメ通信』(画像:昼間たかし)



 この本は田沢さんが『angle』で執筆していた記事が基になっているので、筆者との会話で雑誌の話題も出ました。そこで田沢さんは『angle』を「さえない若者」のための雑誌だったというのです。

 読者層が「さえない若者」とは? そんな『angle』には一体どんな記事が掲載されていたのでしょうか?

アツすぎる手書きの地図

『angle』の雑誌としての最大の特徴――それは、毎号必ず掲載されているロットリングペンを使った手書きの地図です。

 お店の名前を書き込んだ街の地図や、デパートの食品売り場の平面図、さらには大書店の店内配置図などさまざまでした。書店の棚の位置などは実際に行けば分かりそうなものですが、それをすべて掲載しているのです。この無駄(褒め言葉)な情熱こそが『angle』という雑誌を際立たせていました。

 1980年2月号に掲載された「デパート食品売り場詳細マップ」は、タイトル通り都内のデパートの食品売り場の地図です。この中の伊勢丹の地図を見ると、当時の伊勢丹地下には大食堂や軽食を食べられるフードコート風のエリアがあったことがわかります。

 店の名前の下には余白を埋め尽くす勢いで「みそラーメン580円、コーヒー200円」といった情報が。さらに大食堂の隣のインド料理「ガンガー」には「ライスは別料金(150円)なので要注意」という書き込みも。

 1978年12月号に掲載された「秋葉原電気街詳細図」を見ると、サトームセン6号店には「300万円相当の超大型カセットテープレコーダーが迫力ある音で客をひきつける」とあり、その並びには「いつも満員定員6名のラーメン屋」さらに「老夫婦が仲良く宝くじ売り」という記述まで。

かつてサトームセン6号店があった場所(画像:(C)Google)

 そう、単なる宝くじ売り場でも「宝くじ売り場」と無機質に書くだけでは終わらないのが『angle』のライターの特徴です。田沢さんいわく、みんな編集部にたむろって情報交換してたそうです。

 こんな記載があったことを「面白いな」と思う人は、おそらくこの記事を読みますし、そうではない人は読まないと思うので、このまま続けましょう。

 とにかく「さえない」と自嘲気味に自分たちを評価できるくらいに、サブカル的なセンスを持ち合わせてた「アングラー(読者のこと)」は毎号、この雑誌の本文だけでなく地図まで読みふけったのです。

 多くの情報を限られたページに埋めるために、文字サイズは6ポイント(当時だと写植の9級)が当たり前、さぞや読者も目が疲れたのではないでしょうか。

濃すぎる特集

 この情報量の多さは、近年のインターネット上の簡単な記事とは真逆をいくスタイルでしょう。最近の記事は迷わなくてよいように厳選する傾向が強く、お店紹介でも5軒程度。10軒だと多いと思われたりします。

 対して『angle』の1979年2月号に掲載された「対決!ラーメンVSカレー」はラーメンが63軒、カレーが59軒。なるほど、月刊誌ですから1か月間何度も読み返して「よーし、来週はここにいこう」とワクワクできそうです。こうした情報量の多さはグルメや買い物情報にとどまりません。

昭和の中華料理店のイメージ(画像:写真AC)



 1980年1月の「合格祈願の天神さま案内」では、受験シーズンを前に首都圏の合格祈願の御利益がある寺社を網羅。御利益のありそうな神社はすべて載っています。

 さらにこうした情報とともに優れたアングラーになるための特集も濃いです。

 1979年3月号の「アングルシネマ読本」では、映画を見るにあたって読んでおくべき「教科書」を紹介。それも蓮実重彦さんの『蓮実重彦の映画の神話学』や、アルスタルコの『映画理論史』などが紹介されています。確かに、そんな本で得た知識を基に映画を語っていたら「さえない若者」にカテゴライズされそうです。

 この特集は映画翻訳者の名鑑も掲載されており、これを読んで「この映画の字幕は〇〇だから~」とドヤ顔で語った人もひとりやふたりではないでしょう。ちなみに、今や大御所の戸田奈津子さんは当時、『地獄の黙示録』で評価され始めた頃でまだ若手でした。

「さえない」は褒め言葉?

『angle』の情報量の多さは、例えば小説でこの時代を舞台にするなら「角を曲がると○○という店があって」など、リアリティーを込めて書くことができます。

 田沢さんは「さえない若者」といいますが、実は、それまであまり興味を持たれていなかった日常への知識欲が旺盛な人たちを指す褒め言葉だったのでしょう。

2018年に出版された『あのころangle 街と地図の大特集1979 新宿・池袋・吉祥寺・中央線沿線編』(画像:主婦と生活社)

 なお、主婦と生活社が2018年に『あのころangle』を2冊出版しており、伝説の手書き地図も掲載されています。ぜひ、手に取って当時の熱を感じてほしいものです。

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