若者を引き付けた「中央線文化」とは
先日、生まれ育った中野(中野区)のまちをぶらぶらしましたが(2020年8月4日配信「記憶の路上を歩く」(1))、今度は中央線沿線を思い出しながら歩いてみます。中野に住みながら、中学高校が吉祥寺(武蔵野市)だったので、90年代半ば~末は登下校に寄り道するのは当たり前、どっぷりと「中央線文化」というものに浸ってきました。
当時は高円寺(杉並区)などに代表される古着ブームと裏原ブームが重なり合う時期で、いまもそうですが古着屋がたくさんあった。また北口には「高円寺文庫センター」という、今で言うセレクト書店のようなお店がありました。
しかし僕(影山裕樹。編集者、千十一編集室代表)個人としては、その近くにあった「Auviss(オービス)」というレンタルビデオ店のほうが通う頻度としては高かったです。
VHSをレンタルして家で映画見る体験をしている人って、今の若い人には少ないのかもしれませんが、このAuvissはレンタルビデオがまだまだ主流だった時代に、ジャン・リュック・ゴダールからジャック・リヴェットまで、ヌーヴェル・ヴァーグの作品や、R指定のミニシアター映画などなど、TSUTAYAには置いてないマニアックなビデオが所狭しと並んでいました。
他にも、2000年代に存在した、神保町の「ジャニス」を小さくしたようなレンタルCDショップ「SMALL MUSIC」もカルチャーに貪欲な貧困学生にはありがたい存在だったと思います。
もしかしたら、音楽、映画、アート、古着などなど、それぞれに関心のある層ごとに、多面的に中央線文化というものは存在するのでしょうが、僕自身の実感としては、お金がなくても、買わなくても眺めているだけで文化を享受できる、そんなまちという印象が強いです。
文化を感じ、対話が生まれた場所
それは単に物価が安いとか、家賃が安いとか、「貧乏人に優しい街」ということではないんですよね。
レコード屋の店員が書いたポップを小一時間眺め続けたり、レンタルCD屋で視聴し続けたり。古着屋も、古本屋も、眺めるだけでいろいろな世界が広がっていく。まち全体が図書館、とでも言ったらいいのでしょうか。
でも、そういう文化を享受できる場の力――これこそ「中央線文化」という言葉の正体かもしれませんが――が生まれる理由として、とにかくたまれる、会話できる(内なる対話も含む)場所が至る所にあるのはポイントだと思います。
高円寺には面白い人がたくさんいて、僕自身は子どもだったのですれ違ってしまいましたが、現在、港区三田の聖坂に蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)というビルを建造中の三田のガウディ・岡啓輔さんがやっていた「岡画郎」というギャラリーのうわさは今でも耳にしますし、2000年代に入ると「素人の乱」というグループが北仲通商店街にお店を出し始めます。
同じ頃、高校生だった僕自身も、高円寺と阿佐ヶ谷(杉並区)の間のまっすぐ続く高架下の道端で夜な夜なたむろしたり、吉祥寺ロンロン(現在はアトレ)の踊り場で文化祭用のおもしろビデオを撮影したり、ハロウィンの日にはそこで着替えて、わざと遅れて登校したり。
成人式の帰りに、みんなで井の頭公園入り口の「いせや」で焼き鳥を買って、ステージの前に陣取っておのおののハタチの抱負を大声で叫ぶ、なんていう青臭いこともやりました。
お金のない僕らのような学生は、頭を使って居心地の良い場所を探し続けていたし、実際にそういう場所がたくさんあったし、同じような理由でたまっている人々が多かった。
意味のない時間を過ごす意味
最近、渋谷に新しくできたミヤシタパーク(渋谷区神宮前)のように、横丁“風”の商店街が多くないでしょうか。個人的には、本当の赤提灯やスナック街に比べると、郊外のショッピングモールの中にあるフードコートのように見えてしまいます。
もしかしたら、360度どこを見渡しても、商売にしてやろう、そんな抜け目のなさ、窮屈さがあるからかもしれません。
吉祥寺のハモニカ横丁にかつて、狭いカウンターだけのお店の天井が空いていて、上の階のお客さんが料理やお酒を注文すると、ぽっかり空いた穴から店員さんがひょいと持ち上げてくれて、それを手に取るようなお店がありました。
こういう、着飾って出かけていく、明確な目的のある場所ではなく、だらだらと意味のない時間を過ごすことのできる「気の抜けたたまり場」が多いのも中央線エリアの特徴だったかもしれません。
僕は、両親が新宿のゴールデン街のスナックで出会って生まれました。花園神社側にあるお店で、いまもたまに行きます。
生まれたばかりの頃は、カウンターの後ろでおむつを換えていたくらいで、記憶の片隅に、目線と同じくらいの高さのカウンターにちょこっと座って向こうに見えるママのいる風景が脳裏に染み付いています。
今住んでいる都電荒川線・庚申塚停留場(豊島区西巣鴨)の近くに、つい最近まであった居酒屋では、90代のおばあちゃんが切り盛りしていました。
猥雑さに感じる哀愁とは何か
重い物を持つのが大変なので、ビールはもちろんお客さん自身が自分で冷蔵庫から取り出すし、毎晩、お店が開く時間になると、一番最初のお客さんが看板を外に出すのを手伝ってあげていました。ゆるくてめちゃくちゃ良かったです。
魅力的な都市の新しい指標「センシュアス・シティ」の議論のように、猥雑(わいざつ)で匿名性が担保されるたまり場が至る所に虫食いのように存在するのが東京の良さでもあり、暮らしやすさでもあり、郷愁を感じるところではないでしょうか。
それは日の当たらない影の部分でもあります。しかし、繰り返しますが東京はよそ者が集まる街であり、よそ者たちのために開発され続ける街です。地元民のささやかな安らぎは顧みられることはありません。
陰の刺すような、1円も使わずに1日中落ち着ける、たまれる場所はどんどんなくなってしまい、気付いたらどこかよそよそしく、何をするにもお金のかかる、光の明るすぎる街に変わっている。
いまや若い女性も気軽に飲みに行ける人気タウン赤羽も、団体客で賑わい、一大観光地と化しています。いずれ、この喧騒(けんそう)に耐えられなくなった人たちにとって、ひっそりと飲める板橋や十条に人気が集まる日が来るかもしれません。
こうして都民は知らず知らずのうちに、「逃げ場」を探して彷徨(さまよ)っているように僕は思います。
街灯の当たらない路地裏にたむろする
新宿も渋谷も池袋も、闇市から発展した歴史があり、きらびやかな高層マンションの間にはヒダのように暗い街路が広がっています。
サラリーマンが、ブラウン管に映る野球中継を見ていると思ったら、いつの間にか小銭を置いて帰っている。そんな匿名の人々が行き交うたまり場に、街灯の当たらない路地裏に、東京の本当が詰まっていると思います。
また、人が「中央線文化」なるものに漠然と憧(あこが)れを抱くのも、こうした影のあるたまり場がたくさんあったからだと思うし、一時の経済合理性のために、やたらと駅前を再開発してしまう流れに対して、いまこそ都民は一丸となって疑問を呈するべきなのではないでしょうか。