1クラス40人以下の授業が7割 少人数制&ワンキャンパスで徹底指導「学習院大学」とはどのような大学なのか
2020年10月30日
ライフ皇族や良家の子女たちが通う学校といったイメージが強い学習院大学。その隠れた魅力について、教育ジャーナリストの中山まち子さんが解説します。
都心だがキャンパスは緑豊か
学習院大学(豊島区目白)は、皇族や旧華族の子息の教育機関として設立された伝統ある大学です。近年では、都内の難関私立大学群「GMARCH(学習院大学、明治大学、青山学院大学、立教大学。中央大学、法政大学)」のひとつとしても知られています。
敷地面積は約18万平方メートル(東京ドーム3.8個分)で、都心にありながら緑が豊か。広大な目白キャンパスには、大学や大学院のほか、幼稚園や男子校の中等科・高等科があります。

大学の歴史は江戸時代後期の京都御所から始まります。1847(弘化4)年、御所の健春門の近くに公家の子息向けの学習所を開設。日本の歴史が大きく動くことになる、ペリー来航の6年前のことです。
1849(嘉永2)年には、孝明天皇の勅額(ちょくがく。天皇直筆の額)である「学習院」が与えられ、現在もその名が受け継がれています。しかし、京都時代の学習院は幕末の動乱によりいったん姿を消しました。
再びその名が表舞台に上がったのは、明治維新に伴い皇族と華族が京都から東京へ移り住んでからです。皇族と華族の子息・息女たちが通う学校として1877(明治10)年、現在の千代田区神田錦町で開校しました。
7年後の1884(明治17)年には、宮内省管轄の官立学校に。ちなみに1885(明治18)年には、現在の学習院女子中等科・高等科(新宿区戸山)や学習院女子大学(同)の起源にあたる華族女学校が新宿区四谷の地に開校。その後、1906(明治39)年に学習院と合併し、学習院女学部と名称を改めています。

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