明治時代に早くも女性用水着を制作 服飾系パイオニア「東京家政大学」とはどのような大学なのか

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明治時代に早くも女性用水着を制作 服飾系パイオニア「東京家政大学」とはどのような大学なのか

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中山まち子

教育ジャーナリスト

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2021年に創立140年を迎える東京家政大学は、日本でも最古参の女子教育機関です。創立者は奉公人から教育者へ転身した渡辺辰五郎。教育ジャーナリストの中山まち子さんが解説します。

古参の女子教育機関

 日本は明治時代に入り、西洋化の波が一気に押し寄せました。それは女子教育にも大きな変化を及ぼしました。

 来日した宣教師などによってさまざまな学校が立ち上げられ、日本人の教育者も負けじと私塾を開校していきます。そのひとつが、東京家政大学(板橋区加賀)です。

板橋区加賀にある東京家政大学の板橋キャンパス(画像:(C)Google)



 東京家政大学は2021年に創立140年を迎える、日本でも最古参の女子教育機関であり、女子職業教育の先駆者です。

 現在は、

●家政学部
・児童学科
・児童教育学科
・栄養学科
・環境教育学科
・服飾美術学科
・造形表現学科

●人文学部
・英語コミュニケーション学科
・心理カウンセリング学科
・教育福祉学科

●健康科学部
・看護学科
・リハビリテーション学科

●子ども学部
・子ども支援学科

の4学部12学科に、6443人(2020年度)が在籍しています。

 なお家政学部と人文学部は板橋キャンパス、健康科学部と子ども学部は狭山キャンパス(埼玉県狭山市)で学んでおり、大学院は男女共学となっています。

創立者は仕立屋の奉公人から教育者へ

 東京家政大学の建学の精神は「女性の自主自律」で、これには創立の起源が大きく関わっています。

 大学の創立者は、千葉県長南町出身の渡辺辰五郎です。辰五郎は元々、江戸時代末期から明治へと時代が大きく移り変わる頃に日本橋の仕立屋に奉公していた職人でした。

創立者・渡辺辰五郎の出身地である千葉県長南町(画像:(C)Google)



 その後故郷に戻り、和洋の仕立てや裁縫を教えていましたが、人生を大きく変える出来事が起きます。評判を聞きつけた町の教育関係者から学校で裁縫を教え欲しいと懇願されたのです。

 1874(明治7)年に地元の長南小学校で裁縫の授業を始め、評判を呼び、1879年には千葉女子師範学校(現・千葉大学)でも教えるようになりました。

 また生徒に裁縫を簡単に理解してもらうため、辰五郎は「普通裁縫教授書」(1880年刊)を作るなど、日本の裁縫教育のを大きく前進させました。

 辰五郎が考案したもののひとつに「裁縫雛形」があります。裁縫雛形とは実寸の3分の1である衣服や生活用品のミニチュアで、それを使うと、さまざまな衣服を短期間で造ることができます。それら貴重な雛形は現在、国の有形文化財に指定されています。

私塾「和洋裁縫伝習所」を開校

 1881年には東京女子師範学校(現・お茶の水大学。文京区大塚)でも裁縫を教えるようになりますが、それと並しながら、湯島に私塾「和洋裁縫伝習所」を開校しました。

 初期こそ生け花やお茶といった「花嫁修業」的な科目が目立ったものの、1892年に東京都の認可を受け、名称を「東京裁縫女学校」とすると一変。教科に家事や教育、習字などを加え、より指導者育成の色が濃くしていきます。

 当時は女性ひとりが生計を立てるのは厳しい時代でしたが、裁縫技術やそれを教える力があればある程度の収入を得ることができたこともあり、同校は一生ものの技術を身につけられる学校として、大きく変わっていったのです。

 同所は伝統的な和装や洋装の裁縫だけでなく、女性の海水浴着(水着)など、時代の流行も取り入れた裁縫も教えていました。

裁縫に使う縫い針(画像:写真AC)

 椙山女学園大学(名古屋市)を始め、東京裁縫女学校時代の卒業生たちは各地で裁縫学校を設立しています。そのようなことからも、直接的ではないにしろ、東京家政大学の存在が女子の職業教育を全国に広げたとも言えるでしょう。

 東京裁縫女学校は1922(大正11)年、専門学校令によって「東京女子専門学校」と改称。日本初の服飾技術を教える専門学校として生まれ変わりました。

戦後1949年、四年制大学へ

 東京女子専門学校は関東大震災や東京大空襲で2度にわたり校舎を焼失。開校以来慣れ親しんだ文京区を去り、戦後は板橋区に移転、現在に至ります。

 そして戦後の学制改革で、四年制大学「東京家政大学」として1949(昭和24)年、再スタートを切ったのです。

 四年制大学になってからはそれまでの裁縫教育だけでなく、1960年代には栄養学科を新設するなど、女子の専門職を見据えた新たな改組改編を行っていきます。

 1986(昭和61)年には狭山キャンパスを開設。その後、板橋キャンパスを拡張し、2009年度から都心回帰の動きを見せ始めました。

埼玉県狭山市にある東京家政大学の狭山キャンパス(画像:(C)Google)



 こういった動きは他大でも近年よく見られますが、東京家政大学は2014年度になると看護学部(現・健康科学部)と子ども学部を新設、郊外型キャンパスを復活させたのです。

 広大な狭山キャンパスには2学部以外にも認可保育園「かせい森のおうち」や小児・アレルギー科、小児神経内科等のクリニックがあり、新設学部の学生たちが実習できるキャンパスとして生まれ変わっています。

専門的なキャリア育成は重要性を増す

 このように裁縫学校として始まった東京家政大学は時代の変化を取り入れながら、今日まで歩んできました。

東京家政大学のウェブサイト(画像:東京家政大学)



 現在、女性が就ける専門職は明治時代と比較にならないほど増えています。新型コロナウイルスの感染拡大で時代が混沌(こんとん)とするなか、キャリアウーマンの専門知識はさらに重要度を増すことでしょう。

 そのようなことを、創立の140年前から渡辺辰五郎は予見していたのかもしれません。

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