超高級デザートだったクレープを庶民の「定番スイーツ」に変えた立役者は誰だ?【連載】アタマで食べる東京フード(3)
2020年4月23日
ライフ味ではなく「情報」として、モノではなく「物語」として、ハラではなくアタマで食べる物として――そう、まるでファッションのように次々と消費される流行の食べ物「ファッションフード」。その言葉の提唱者である食文化研究家の畑中三応子さんが、東京ファッションフードが持つ、懐かしい味の今を巡ります。
クレープが知られるようになったのは1960年代
洋菓子のなかには、オリジナルにアレンジの手が加わり、原型からすっかり姿を変えたものが少なくありません。
典型が、苺(いちご)のショートケーキ。元来は硬めのビスケットとバタークリームを使ったケーキでした。それを日本人好みのソフトなスポンジとふわふわの生クリームに置き換えた。この工夫が、時代を超えた大ヒット商品になるための突破口でした。
フランス生まれのクレープも、ショートケーキと同じく、日本で独自の進化を遂げた洋菓子です。

クレープは高級レストランのデザートとして登場しました。それ以前から一流ホテルで出してはいましたが、とりわけ知名度を上げるのに貢献したのが1966(昭和41)年、銀座に華々しく開店した「マキシム・ド・パリ」。当時パリで最高峰だった19世紀創業の老舗レストランです。
その支店ができたことは、日本のめざましい経済成長を物語る大ニュースになりました。現在ミシュランの三つ星を50年間取り続けている名門レストラン「トロワグロ」のオーナーシェフであるピエールさんを初代料理長として招聘(しょうへい)したことも、一大事件でした。
マキシムの名物デザートが、クレープ・シュゼット。三角に折り畳んだクレープを、オレンジソースでくつくつと煮て、リキュールをふりかけてフランベ(火をつけて燃やしアルコール分を飛ばすこと)するというパフォーマンスを、テーブル脇のワゴンで給仕人がうやうやしく行いました。優雅なサービスを初体験した日本人の衝撃は、いかばかりだったでしょう。
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