超高級デザートだったクレープを庶民の「定番スイーツ」に変えた立役者は誰だ?【連載】アタマで食べる東京フード(3)

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超高級デザートだったクレープを庶民の「定番スイーツ」に変えた立役者は誰だ?【連載】アタマで食べる東京フード(3)

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畑中三応子

食文化研究家・料理編集者

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味ではなく「情報」として、モノではなく「物語」として、ハラではなくアタマで食べる物として――そう、まるでファッションのように次々と消費される流行の食べ物「ファッションフード」。その言葉の提唱者である食文化研究家の畑中三応子さんが、東京ファッションフードが持つ、懐かしい味の今を巡ります。

クレープが知られるようになったのは1960年代

 洋菓子のなかには、オリジナルにアレンジの手が加わり、原型からすっかり姿を変えたものが少なくありません。

 典型が、苺(いちご)のショートケーキ。元来は硬めのビスケットとバタークリームを使ったケーキでした。それを日本人好みのソフトなスポンジとふわふわの生クリームに置き換えた。この工夫が、時代を超えた大ヒット商品になるための突破口でした。

 フランス生まれのクレープも、ショートケーキと同じく、日本で独自の進化を遂げた洋菓子です。

日本で大人気のクレープは、どのような流行の変遷をたどったのでしょう(画像:写真AC)



 クレープは高級レストランのデザートとして登場しました。それ以前から一流ホテルで出してはいましたが、とりわけ知名度を上げるのに貢献したのが1966(昭和41)年、銀座に華々しく開店した「マキシム・ド・パリ」。当時パリで最高峰だった19世紀創業の老舗レストランです。

 その支店ができたことは、日本のめざましい経済成長を物語る大ニュースになりました。現在ミシュランの三つ星を50年間取り続けている名門レストラン「トロワグロ」のオーナーシェフであるピエールさんを初代料理長として招聘(しょうへい)したことも、一大事件でした。

 マキシムの名物デザートが、クレープ・シュゼット。三角に折り畳んだクレープを、オレンジソースでくつくつと煮て、リキュールをふりかけてフランベ(火をつけて燃やしアルコール分を飛ばすこと)するというパフォーマンスを、テーブル脇のワゴンで給仕人がうやうやしく行いました。優雅なサービスを初体験した日本人の衝撃は、いかばかりだったでしょう。

多大な影響力を誇った「女性誌」の功績

 とはいえ、クレープ・シュゼットだけでも、値段はいまの感覚でいうと2人前が6000円くらいと超高価。あちこちのメディアで紹介されても、ひと握りの金持ちしか行けない特権的な店だけに、その象徴であるクレープへの憧れをみな募らせることになりました。舌平目やカモ肉など、マキシムには名物料理もたくさんありましたが、デザートのほうが分かりやすかったのでしょう。

 クレープの高級イメージを覆したのが、1970年代の女性たちです。

 発信源になったのが、1970(昭和45)年創刊の『アンアン』と翌1971年創刊の『ノンノ』をはじめとする女性雑誌でした。記念すべきクレープデビューは、アンアン1970年5月20日号の、「こういうヒト見ると あァパリだなと思っちゃう」。クレープの紹介記事は、こんな感じです。

「〝クレープ〟って知ってる? コーヒーに入れるもの? パリではちがいます。薄べったいホットケーキ風のもの。ドンドン焼きネ。中にバター、お砂糖、ラム酒、ジャムなんかを入れて、四つに折りたたんで食べるの。レストランにもあるけど、街の屋台の歩き食いが楽しいわネ。これパリ的ヨ」

 粉末クリームの「森永クリープ」にひっかけた「コーヒーに入れるもの?」も笑えますが、いきなりドンドン焼きです。フランスかぶれは同じでも、雲の上の高級デザートを手の届くところに引きずり下ろして自分事にし、かしこまって食べるより、歩きながら食べたほうがかっこいいと断じる臭覚のよさ。感心します。

小麦粉のクレープは、砂糖やジャム、バターだけでシンプルに食べるのが粋と、初期の『アンアン』『ノンノ』は提唱。パリ下町風のスタイルだ(画像:畑中三応子)



 ノンノも負けずに1972(昭和47)年5月5日号で、現地リポートつきの特集「フランスのお好み焼きクレープ」を組みました。アンアンがドンドン焼きなら、ノンノはお好み焼き。あくまで身近な名前で呼ぶところからは、このお菓子を知ってほしいという編集者の意志を感じます。この頃の雑誌は、いまとは比べものにならないほど強い影響力を持っていました。

渋谷に登場した「小銭で買える」屋台の衝撃

 当時のノンノの食べ物ページは、教養色が濃いのが特徴でした。

 6ページある特集では、クレープをめぐる歴史と風習にはじまり、フランスにはそば粉で作るクレープ・サラザンと、小麦粉で作るクレープ・フロマンがあり、前者は北部ブルターニュ地方の名物料理で、肉やチーズなどをのせるオードブルであること。

 後者は高級レストランのデザートとして供されることもあるが、本来はもっと土くさい庶民の食べ物で、パリっ子は下町の屋台で買って手づかみでむしゃむしゃ食べることなどを、熱っぽく、ねちっこく伝えています。

 ノンノはクッキングにも力を入れていたので、くわしいレシピつき。1976(昭和51)年9月20日号の特集では、ミルクレープのレシピが載っています。

目玉焼きやチーズ、ハム、野菜をのせ、四隅を折り畳むブルターニュ風そば粉クレープも現在かなり浸透している(画像:畑中三応子)



 クレープとクリームをミルフィーユ風に重ねたミルクレープは、日本で創案されました。名前もふたつを組み合わせた造語です。西麻布のカフェ「ルエル・ドゥ・ドゥリエール」と南麻布のカフェ「ペーパームーン」がそれぞれ元祖を主張していましたが、2軒とも創業は1978年だったので、この特集でどちらも元祖ではないことが判明しました。レシピを提供したのは、さる著名な料理研究家です。

 こうしてファッションフード化したクレープ、1970年代中盤にはすでにビストロやカフェの人気メニューになっていましたが、全国に知れ渡るための突破口になったのが、日本初のクレープ屋台の出現でした。

 1976年、渋谷・公園通りの山手教会横に、しゃれたヨーロッパ風ワゴンでお目見えした「マリオンクレープ」。焼きたて熱々の大判クレープに、ジャムや木の実、リキュールをのせ、歩きながら食べられるよう四つに折り畳んでわら半紙でくるみ、ひょいと渡してくれました。クレープがファストフードになった瞬間です。

 値段は、シナモン、ジャム類が180円、ラム、キルシュ、チョコは200円、アーモンドチョコ、コアントローが250円、一番高いラムレーズンチョコが300円と、小銭で買えるパリの味は、女性誌やテレビで話題を呼び、すぐに行列ができる人気店になりました。

日本人好みに進化を続けるクレープ

 翌1977年には、原宿・竹下通りに出店。当初はパリの屋台そのままにこだわって、ジャム、チョコ、リキュール程度しかなかったのを、生クリームをたっぷり絞り出して、色とりどりのフルーツやソースを巻き込み、華やかな創作洋菓子に仕立てたのが、第2の突破口でした。これが、ショートケーキ好きの日本人の好みに合いました。さらに話題を呼び、クレープを食べながら原宿を歩くのが、若者のファッションになったほどです。

 クリームたっぷりの原宿風クレープが、全国各地に広まるのに時間はかかりませんでした。都市部はもちろん、観光地でも必ずといってよいほどクレープ屋台が立ったのですから、たいした波及力です。

 そして現在、専門店のクレープはチーズケーキやプリンを丸ごと巻き込んだり.アイスクリームをトッピングしたりと、なんでもありの「巻きずし化」が顕著で、SNS映えが進んでいます。その一方で、初期の女性誌が啓発したような、そば粉を使ったブルターニュ風クレープや、パリ下町風のシンプルで粋なクレープが食べられる店も増えています。

あんまり中身が盛り上がりすぎていると、クレープの存在感が薄くなる。この程度のバランスが、原宿クレープの原点(画像:畑中三応子)



 中でも和魂洋才を感じるのが、コンビニやスーパーに並ぶクレープ菓子。本来は焼きたてをすぐ食べないとおいしくないデザート菓子のクレープを、ある程度日持ちがするテークアウト菓子に仕立てるには、高い技術力を要します。もちもちする食感を出すなど、日本人の好みに合わせた開発も盛んです。しかも、それが100円台で買える。クレープ・シュゼットを夢見た50年前の人々が知ったら、がくぜんとするでしょう。

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