和装から洋服へ――昭和初期、東京の女性ファッションを一変させた「大火災」の記憶

  • 知る!TOKYO
和装から洋服へ――昭和初期、東京の女性ファッションを一変させた「大火災」の記憶

\ この記事を書いた人 /

合田一道(ノンフィクション作家)のプロフィール画像

合田一道(ノンフィクション作家)

女性のファッションの流行は、毎年、毎シーズン更新されていきます。かつて和服が中心だった日本・東京の女性たちが、洋服を着るようになったきっかけとは――。ノンフィクション作家の合田一道さんが昭和初期の「ある事件」をたどります。

コロナ禍のマスク同様、「ズロース」が品薄になった時期があった

 新型コロナウイルスは、今なお東京、日本のみならず世界を席巻しています。

 ウイルスが知らず知らずのうちに人から人へ感染するといわれ、日本政府は急ぎ国民にマスクを2枚ずつ配りましたが、それだけでは足りず、店頭に並ぶと飛ぶように売れていく時期が続きました。

 新型のマスクの宣伝をテレビや新聞で見た人も多いことでしょう。

 マスクが足りなくなるなんて、以前は思ってもいなかった現象です。この一件で私(合田一道。ノンフィクション作家)は、ある事件がきっかけで女性の「ズロース」が売れ出し、品薄になったという話を思い出しました。

 若い人たちは、ズロースとは何かを知らないかもしれません。これは、一般的なパンツより丈が長め、半ズボン型のゆったりとした作りの下着で、かつては一般的に使われていたものです。

1932年12月、日本橋で起きた百貨店火災

 ある事件とは1932(昭和7)年12月16日朝、中央区日本橋にあった百貨店「白木屋」で起こった火災です。

 14人が犠牲になるという惨事でしたが、このうち13人が店員で、しかも半数以上の7人が女性店員でした。

白木屋の火災。救助活動は困難を極めた(画像:合田一道)



 なぜ女性店員が多く犠牲になったのかというと、「腰巻き」をした和服姿だったことが一因でした。

 猛火に追われ、5、6階の窓からロープを伝って逃げ降りる際、吹き上げる煙に巻かれて着物の裾がまくれ、慌てて裾を抑えようとして転落してしまったのです。

 裾を気にして落ちる? なぜ? と思われそうですが、この火災を教訓に女性はズロースを着用するようになったという、実際にあった出来事です。

人目を気にして、片手を放してしまった

 その日はクリスマスと歳末商戦の真っただ中で、大勢の買い物客が詰めかけていました。

 出火と同時に店内にいた客や店員ら合わせて2000人は、急いで上の階へ逃げましたが、煙に遮られてしまい逃げきれない人もいました。

 警視庁消防部のポンプ車29台が出動し、はしご車3台がはしごを延ばしましたが、4階までしか届かず、役に立ちません。

 現場は、急を聞いて駆け付けた市民らでごった返していました。

 7階の食堂にいた70人ほどのウエートレス(ほとんどが少女)は、地上に張られた救助網を目がけて飛び降り、多くは助かったのですが、5、6階に残された女性店員は、猛火と黒煙に包まれて階段へも近づけず、窓からの脱出を図りました。

 ロープを両手で握り、猛火を避けながら降りていくのですが、吹き上げる風で着物の裾がまくれてしまいます。

 裾を抑えようとして一瞬片手を放してしまい、「ああっ」と叫んで転落する女性が相次ぎました。

 白木屋百貨店の専務取締役の談話が当時の新聞に載っています。

「下に見物人が集まって上を見上げて騒いでいる。若い娘のこととて、裾の乱れが気になって片手でロープにすがりながら片手で裾を押さえたりするために手がゆるんで墜落してしまった」

 下にいる人々の目を気にしてのこととはいえ、あまりにも悲惨な出来事でした。

つらい事件からの教訓、洋服着用を推奨

 火災は8階までを焼き尽くし、3時間後にようやく鎮火しました。負傷者も500人にのぼり、大きな社会問題となりました。

 白木屋は大火から1週間後の1932(昭和7)年12月24日、全店員が「御同情御礼」のタスキをかけて営業を再開しました。

 その一方で店側は、火災を教訓として、女性店員に対してズロースをはくよう厳命したのです。また、できるだけ洋服を着用するよう推奨しました。

現在の中央区日本橋にたたずむ女性。かつて和服は日常着だった(画像:写真AC)



 女性の社会進出がまだそれほど進んでいなかった時代ですが、流行の先端をゆく東京・日本橋の白木屋を舞台にした火災だけに衝撃は大きく、ほかの企業にも洋風化の流れが広がっていきました。

 以来、ズロースはよく売れて、品切れになるところもあったそうです。

 とはいえ一般家庭では、それほど普及しなかったのが実態でしょう。明治以降の西洋文明化でズロースは少しずつ増えていったものの、腰巻き派から「はしたない」と批判されていたのだそうです。

 卑近な例で恐縮ですが、私の母は1911(明治43)年生まれ。白木屋火災の頃に長女を出産し、その後5人の子どもを生み育て、20年ほど前に亡くなりましたが、生涯、和服で通しました。

 娘が冗談交じりに勧めても「いやだねぇ」と言って取り合わなかったのを、そばで耳にしています。

 こんな具合ですから、昭和初期を生きる女性の意識がどんなものであったか、想像できると思います。

日本の女性生活史を塗り替えた転機点に

 さて、こんな経過をたどってわが国は日中戦争から太平洋戦争へと突入していきます。

白木屋の火災をひとつの契機に普及したズロース。現在も一定のニーズがあり、生産されている(画像:富士衣料)



 それに伴い女性が銃後を守る女戦士にさせられ、否応なしにモンペ姿に一変して、竹やりを手に訓練に励むようになるのです。

 やがて敗戦。復興から立ち上がる中で、最も美しく変貌していったのが女性です。

 そんなことを考えていくと、白木屋火災はわが国の女性の生活文化史を塗り替えるエポックだったことが分かってくるのです。

関連記事