新宿歌舞伎町は明治以来、感染症バトルの「聖地」だった コロナ感染拡大のいま振り返る
2020年4月5日
知る!TOKYO新型コロナ感染拡大を受けて、現在「感染症」に関心が集まっています。そんな感染症の「聖地」が新宿歌舞伎町にありました。地形散歩ライターの内田宗治さんが解説します。
日本で忘れられたコレラ
日本一の歓楽街と言われる新宿歌舞伎町。この地には大規模感染症との闘いといった意外な歴史が秘められています。

今回の新型コロナウイルスに限らず、日本では明治時代以降、多くの感染症が流行してきました。その最大のものはコレラです。
江戸時代末から流行がありましたが、1879(明治12)年、国内に大流行が発生してしまいます。同年のコレラによる日本での死者は約10万5800人、1886年も再び大流行し、この年のコレラ死者は約10万8400人、致死率は70%近くに達するものでした。
歴史の教科書では明治大正時代に関し、1904(明治37)年の日露戦争(戦没者約8万8400人)や1923(大正12)年の関東大震災(死者・行方不明者10万5000人)が特筆されていますが、犠牲者数はコレラによるもののほうがずっと多かったわけです(このほか一過性のものでは1918~19年スペイン風邪流行による死者約38万人などがある)。
作られた避病院
当時はワクチンが未開発で、治療法がない状態でした。取り得る措置は患者を隔離して感染拡大を防ぐことくらいです。
そこで作られたのが避(ひ)病院でした。
現在では聞き慣れない名ですが、当時感染症専門の病院をこう呼びました。日本で最初の避病院が1877(明治10)年、北品川洲崎旧台場、市ケ谷富久町、本郷向ヶ丘、本所緑町に設置されています。
ところがそれらの場所は大勢が往来する町中です。そこへコレラ患者を次々に運んでくることに地元から猛反対の声が起き、1886年、従来の避病院を廃止し(本所緑町の避病院は継続)、新たに東京市の市境付近に避病院を設けます。

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