東京の荒川が蛇行せず、ゆるやかなカーブを描いている必然的理由

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東京の荒川が蛇行せず、ゆるやかなカーブを描いている必然的理由

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内田宗治

フリーライター、地形散歩ライター、鉄道史探訪家

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東京人にとって知らない人はいない川、荒川。そんな荒川は他の川と異なり、蛇行せずにゆるやかなカーブを描いて流れています。いったいなぜでしょうか。地形散歩ライターの内田宗治さんが解説します。

かつて「荒川放水路」と呼ばれていた荒川

 この数年、日本各地で豪雨災害が起きています。もし東京で洪水が起きるとしたら、最も被害が大きくなると危惧されているのが、荒川の氾濫です。

台風19号で増水した荒川。東北本線・京浜東北線荒川鉄橋付近。2019年10月撮影(画像:内田宗治)



 荒川の地形と歴史を見ておきましょう。

 東京の下町一帯を流れる川のうち、隅田川、中川、江戸川はくねくねと蛇行する区間が多いのに対して、荒川だけが蛇行せずにゆるやかなカーブを描いて流れています。その理由は都内における荒川のほとんどの区間が、人工的に造られた巨大な水路のためです。

 東北本線・京浜東北線荒川鉄橋(赤羽~川口間)の約1.5km下流に岩淵水門(北区志茂)があります。

 かつて荒川は岩淵水門より下流では、現在の隅田川部分を流れていました。当時の隅田川は、おおむね千住より上流が荒川、下流が隅田川、両国から河口までは大川と呼ばれていました。

 現在荒川は、岩淵水門で荒川(荒川放水路)と隅田川とに分かれます。ここから下流の現在の荒川は、川幅約500mで東京湾まで約22kmあるのですが、昔は田畑や荒れ地、一部人家や道路だった所を掘削して造られたものです。1965(昭和40)年まで荒川放水路という名称でした。

度重なる洪水に見舞われた関東平野

 なぜそんな大事業を行ったのかといえば、洪水対策です。関東平野は、何度も洪水被害に見舞われてきました。

 特に「明治43年の水害」(1910年)として歴史に残る荒川・利根川の氾濫は、「天明以来ノ大惨事」と言われ、260か所以上で堤防が決壊し、死者行方不明者840人以上、家屋の全壊・流失約5000戸、東京都(当時は東京府)だけでも被災者は81万6218人(『東京府水害統計』)にのぼるものでした。

荒川が決壊した1910年8月の大水害。本所亀澤町(現墨田区両国)付近。北区飛鳥山博物館刊『天明以来ノ大惨事』より

 1783(天明3)年、浅間山(長野県)が大噴火して火砕流を起こすとともに、火山灰で日照を遮り大飢饉(ききん)を引き起こした大惨事以来の天災と言われたわけです。

荒川はいつ氾濫してもおかしくない

 荒川放水路の用地買収面積は1000haを超え、1300戸が半ば強制的に移住させられました。1913(大正2)年に着工し、完成は1930(昭和5)年。17年間に及ぶ大工事で、最終建設費は3134万円に及びました。

 貨幣価値が現在と異なるのでピンと来ませんが、工事を指揮した技師の青山士(あきら)は、「大金のようでも軍艦一艘(そう)分で荒川下流の水害を防ぐことができる」と述べています。

 土地の値段や労働者の人件費が安かった時代とはいえ、このことにも驚かされます。それだけ戦争にはお金がかかるともいえるでしょう。

 2019年10月の台風19号で、荒川はぎりぎりの所で洪水を引き起こさずに済みました。

 大水害があった1910年8月、荒川中流にあたる埼玉県熊谷での月間降水量は477mm。近年の熊谷での月間降水量を見ると、2017年10月502mm、2019年10月447mmと1910年の記録を超える月もあります。

荒川が決壊した1910年8月の大水害。南千住(現荒川区)。北区飛鳥山博物館刊『天明以来ノ大惨事』より



 荒川に関しては、国土交通省により、現在想定される最大規模の豪雨(流域の72時間総雨量632mm)に見舞われ、複数箇所で氾濫するケースをもとに「荒川洪水浸水想定区域図」が作成されています。

 そんなに大量に大雨が降ることがあるのか、と思われるかもしれませんが、2020年7月上旬の九州豪雨では、大分県日田市で72時間総雨量が862mmに達しています。

 こうした数字を突きつけられると、荒川が氾濫するほどの大雨がいつ襲ってきてもおかしくないと思えてきます。

全てを物語る歴史と地形

 荒川洪水の浸水想定では、東京の東部低地にあたる山手・京浜東北線線路より東側一帯のほぼすべてが浸水する想定になっています(ウオーターフロント地区など一部を除く)。特に荒川と隅田川に囲まれた北千住駅付近などは浸水深が5mを超える想定です。

 都内でも、荒川の堤防でいまだに弱点といえる場所があります。

 その代表的なスポットが、京成本線・京成関屋~堀切菖蒲(しょうぶ)園間の荒川鉄橋です。

台風19号で増水した荒川。京成本線荒川鉄橋。2019年10月撮影(画像:内田宗治)



 昭和の戦前戦後、過度の工業用水のくみ上げや天然ガスの採集によって下町一帯に地盤沈下が起きました。この鉄橋全体も沈下し、その対応で線路が横切る部分の堤防がその前後より約3.7m低くせざるをえなくなっています。

 2019年の台風19号に襲われたとき、筆者(内田宗治。地形散歩ライター)が気になって見に行くと、水位は堤防の頂上まで目測であと3mほどの所まで迫っていました。

 鉄橋の付け替えと堤防のかさ上げ計画はあるものの、工事開始の時期は確定していません。また、東北本線・京浜東北線荒川鉄橋の前後も堤防の高さが低く、堤防のかさ上げ工事が現在行われていますが、コロナ渦の影響もあり、完成は延期となりそうです。

 1910年の大水害のときは、その後すぐに荒川放水路の建設が計画されています。

 その後の都市化の歴史をみれば容易に想像がつくように、もしその用地買収・着工が数年遅れていたら、用地買収は数段難航し、完成は遅れ、そのうち戦時中になり、完成しなかった可能性すらあります。そうなっていたら、東京は何度か大水害に襲われていたことでしょう。

 災害への準備は待ったなし。それを歴史と地形が教えてくれます。

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