かつてはドライブデートで人気、平成の遺産「晴海客船ターミナル」は今

  • 未分類
かつてはドライブデートで人気、平成の遺産「晴海客船ターミナル」は今

\ この記事を書いた人 /

昼間たかしのプロフィール画像

昼間たかし

ルポライター、著作家

ライターページへ

2020年の東京五輪で選手村ができることから注目を浴びている、晴海埠頭周辺のエリア。そんな同エリアの変遷について、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

かつては「殺人現場」という妙なイメージも

 2020年の東京五輪開催に向けて、選手村が建設される晴海埠頭(中央区晴海)の周辺が大きく変わっています。

1991年、晴海ふ頭の中央に作られた「晴海客船ターミナル」(画像:昼間たかし)



 晴海埠頭の周辺は繁華街の銀座や築地からそう遠くないエリアだというのに、数年前までは昼間でも人の姿がほとんど見られませんでした。東京駅から銀座を経由して勝どき方面へ向かう都営バスの折り返し地点となっているために、「晴海埠頭行き」という表示を見たことのある人は多いと思いますが、実際に足を運んだことのある人は少ないでしょう。

 ただ、ファミコン世代には懐かしいミステリーアドベンチャーゲーム『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』の冒頭に登場したように、「殺人事件の現場」という妙なイメージで捉えられることもありました。実際に、過去には殺人事件も起きているので、あながち間違いではありません。

人の姿も少ない奇妙な場所だった

 晴海の広大な土地はもともと、明治から昭和にかけての東京湾の浚渫(しゅんせつ。水の底をさらい土砂などを取り除くこと)によって生まれたものです。

 当初は1940(昭和15)年の「紀元2600年記念 日本万国博覧会」開催地に予定されていましたが、これは戦争により中止。戦後になって開発が進み、晴海団地や東京国際見本市会場などが作られました。ただ、晴海通りを挟んで晴海団地のほうはともかく東京国際見本市会場のある側は、倉庫街でありずっと人の姿が少ない地域でした。

ほとんど人の姿がない晴海客船ターミナル。都営バスも空気を運んでいる(画像:昼間たかし)

 さらに1996(平成8)年に東京ビッグサイト(江東区有明)が開業し東京国際見本市会場は消滅。東京五輪の選手村建設工事が始まるまでは、長らく広大な無人の土地が広がっていました。2010年代になってからは周辺にマンションも立つようになりましたが、それでも休日に子どもがキャッチボールをやっている以外は、人の姿も少ない奇妙な場所だったのです。

南極観測船の寄港場所になった過去も

 そんな寂しい風景も選手村の建設とともに過去のものとなりつつありますが、まだ孤高の寂しさを誇っているのが、晴海客船ターミナルです。このターミナルは東京港開業五十周年を記念して1991(平成3)年5月に誕生しました。

かつてはここにもデートする「アベック」が集まる時代もあった(画像:昼間たかし)



 もともと、ここには1964(昭和39)年の東京五輪に併せて建設された船客待合所がありましたが、あくまで仮設の寂しい建物でした。それが当時のバブル景気もあり、九階建てで白いメッシュ状の鉄骨でおおわれた極めて近未来的なデザインの建物となったのです。当時の新聞では、

「東京でも竹芝、日の出、晴海の客船用の埠頭は、うらぶれた波止場、カモメとマドロスパイプが似つかわしい四半世紀前のイメージそのままのものだった」(読売新聞 1991年5月31日付夕刊)

として、このデザインの先進性を賞讃しています。この先進的な客船ターミナルは、クルーズ客船のほか南極観測船などの寄港場所となりました。

5階にあったおしゃれなレストラン

 そんな話題のスポットですが、当時の交通はけっこう不便。都営バスならJR新橋駅、錦糸町駅から。あるいは日の出桟橋(港区海岸)から水上バスというものです。

 けっして便利な場所ではありませんでしたが、レインボーブリッジとビル群を同時に楽しめるとあって、多くの人がやってきたのです。とりわけ夜になると「アベック(男女のふたり連れ)が車でやってくる」という記述が当時の新聞や雑誌ではよく見られます。

晴海客船ターミナル内の様子。わずかに観光客っぽい人ももいた(画像:昼間たかし)

 中でも人気を集めたのは、5階にあったニュートーキョー(千代田区飯田橋)が運営するレストラン「メイキッス」。当時の表現を使えば「新タイプのビアカフェ」だったそうで、午後10時30分まで営業しているため、夜景とともに「イタリア料理のテーストを旬の素材に盛り込んだ地中海風のメニュー」を楽しめると評判だったのです。

 バブルが崩壊し景気が冷え込んだ1990年代でも、クリスマスには予約が取れないレストランとして話題でした。コースも「メイキッスの冒険」(2500円)と公共施設ゆえにか値段もリーズナブルなことが人気の理由だったのかもしれません。

今ではコスプレイベントも開催

 しかし21世紀に入ると、晴海客船ターミナルが人気スポットとして取り上げられることはなくなります。「メイキッス」もなくなり、水上バスの路線もなくなり次第に人の姿は失われていきました。

 もともと晴海客船ターミナルは、豪華クルーズ船の発着が増加することを予見した施設です。実際、今でもクルーズ船の発着に使われていますが、当初予定されたほどは増えませんでした。クルーズ船を利用した船旅は、2010年代になってからようやく脚光を浴びています。とはいえ、単なる通過地点に過ぎませんから、オシャレな施設が入っていたところでさほど流行ることはありません。

 スペースを空けるのももったいないからなのか、晴海客船ターミナルではコスプレイベントといったさまざまな催しにスペースを貸し出すようになりました。それでも人がやってくるのは土日休日のみ。採算に合わないのか1階にあった食堂「ラ・メール晴海」もついには消滅してしまいました。

 年1回の東京港みなとまつりや、軍艦など珍しい船が入港したりすると賑わうことはあります。展望台は格好の撮影スポットのため、大勢の人がカメラを構えたりしているのです。とはいえ、普段はといえばほぼ無人。

完全にゴーストタウンなのに音楽だけが流れていてシュール(画像:昼間たかし)



 この記事のために久しぶりに訪れて見ましたが、人などほとんどいないのにクリスマスの飾り付けはして、音楽が流れているという妙な光景があります。
 
 そんなターミナルも新設される「東京国際クルーズターミナル」と交代し東京五輪後には廃止予定。これから、晴海の風景はどうなっていくのでしょうか。

関連記事