かつてはドライブデートで人気、平成の遺産「晴海客船ターミナル」は今
2019年12月22日
知る!TOKYO2020年の東京五輪で選手村ができることから注目を浴びている、晴海埠頭周辺のエリア。そんな同エリアの変遷について、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。
かつては「殺人現場」という妙なイメージも
2020年の東京五輪開催に向けて、選手村が建設される晴海埠頭(中央区晴海)の周辺が大きく変わっています。

晴海埠頭の周辺は繁華街の銀座や築地からそう遠くないエリアだというのに、数年前までは昼間でも人の姿がほとんど見られませんでした。東京駅から銀座を経由して勝どき方面へ向かう都営バスの折り返し地点となっているために、「晴海埠頭行き」という表示を見たことのある人は多いと思いますが、実際に足を運んだことのある人は少ないでしょう。
ただ、ファミコン世代には懐かしいミステリーアドベンチャーゲーム『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』の冒頭に登場したように、「殺人事件の現場」という妙なイメージで捉えられることもありました。実際に、過去には殺人事件も起きているので、あながち間違いではありません。
人の姿も少ない奇妙な場所だった
晴海の広大な土地はもともと、明治から昭和にかけての東京湾の浚渫(しゅんせつ。水の底をさらい土砂などを取り除くこと)によって生まれたものです。
当初は1940(昭和15)年の「紀元2600年記念 日本万国博覧会」開催地に予定されていましたが、これは戦争により中止。戦後になって開発が進み、晴海団地や東京国際見本市会場などが作られました。ただ、晴海通りを挟んで晴海団地のほうはともかく東京国際見本市会場のある側は、倉庫街でありずっと人の姿が少ない地域でした。

さらに1996(平成8)年に東京ビッグサイト(江東区有明)が開業し東京国際見本市会場は消滅。東京五輪の選手村建設工事が始まるまでは、長らく広大な無人の土地が広がっていました。2010年代になってからは周辺にマンションも立つようになりましたが、それでも休日に子どもがキャッチボールをやっている以外は、人の姿も少ない奇妙な場所だったのです。
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