スマホもガラケーも持たない東京生活 あふれる情報の代わりに得た四つのものとは【連載】大原扁理のトーキョー知恵の和(10)

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スマホもガラケーも持たない東京生活 あふれる情報の代わりに得た四つのものとは【連載】大原扁理のトーキョー知恵の和(10)

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大原扁理

隠居生活者・著述家

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何とは言えないのだけど何となく息苦しい。そんな気持ちでいる人へ、東京で週休5日・年収90万円台という「隠居生活」を実践した大原扁理さんに生き方のヒントを尋ねる企画「トーキョー知恵の和」。今回のテーマは「東京と『スマホ』」です。

なぜスマホもガラケーもやめたのか

 総務省の「情報通信白書」によると、個人のスマートフォン保有率は67.6%(2019年時点)。東京在住の若い世代に限れば、その値はさらに高くなるでしょう。多くの人にとって無くてはならないこのスマホ、持たずに暮らすと果たしてどうなるのか? 東京で週休5日・年収90万円台「隠居生活」を実践した大原扁理(おおはら へんり)さんが、かつての体験を紹介します。(構成:ULM編集部)

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 現代の生活必需品、スマホ。

 あると便利、という段階をもはやとっくの昔に飛び越えて、支払いや自宅のカギに至るまで、生活のかなりの部分をスマホに頼っている人も多いですよね。

 そんなスマホ(およびガラケー)ですが、私はかなり長いこと、意図的に持たないことにしていた時期がありました。

 きっかけは25歳のとき、生活費が高すぎる都心暮らしに嫌気が差し、東京郊外の激安アパートに“逃亡”したことです。

 以後は社会とのつながりを極力減らし、労働は週2日だけ。月収7万円でやりくりするという「隠居生活」を始めました。

 もともと人づきあいがあまり好きではないこともあり、当時持っていたガラケーはここぞとばかりに解約。代わりに、家にネットを引く際、オプションでついてきた固定電話(月々500円)に加入しました。

スマホフリー生活のいいところ

 せっかくアナログな生活を経験したので、この機会にスマホを持たないことの利点を列挙してみたいと思います。

●その1 お金の節約になる
 スマホの毎月の支払いが必要ないのは言うに及ばず、アプリ課金もなく、スマホ決済もあきらめざるを得ず、結果としてお金を使う機会がかなり損失され、節約になりました。

●その2 人間関係がすっきりする
 仕事やプライベートで、なんとなくつながっている人って、誰にも多かれ少なかれいますよね。

 そういう人が、スマホを持っていないというだけでいつの間にか離れていきました。残る人は、スマホがなくてもときどき固定電話にかけてきてくれたり、手紙をくれたりするものです。

 連絡がとりづらいので、飲み会や遊びの誘いもかかりにくくなりました。

大原さんの「隠居生活」の様子を描いたイラスト(大原扁理さん制作)



 断る手間も省けるので、気持ちがラクになります。誘われるのは、どうしても私がいないとダメなものだけ。そして、そんな機会はほとんどありません。

●その3 出会えるとラッキーと思ってもらえる
 スマホもガラケーも持っていないと、たまの待ち合わせで何かあったときにも連絡手段がないんですよね。すると、時間通りに指定の場所に行っただけなのにものすごく喜ばれる、という事態が発生します。

 つかの間、レアモン(めったに登場しないキャラ)になった気分が味わえます。

スマホが奪っていったもの

 そして私がスマホを持たなかった時期、一番良かったなと思うのが、「人生がモタモタしていた」、ということです。

 人との連絡も、電車に乗って出掛けるときも、お店や商品を探すのも。物事がサクサク進まない。

 はじめは世の中に置いていかれたり、チャンスを失って損したりしてるような気がするかもしれません。

 でも、しばらくすると、はやくはやくとせかされているような気分にならないことの快適さが、じんわりと身に染みてくる。せかされないと、生活に空白が生まれ、見たり聞いたり感じたりしたものが、すぐには流れていかない。

 知らないうちに誰かに取り上げられていた時間が自分のもとに戻ってきた感じがします。

 その時間を活用して、自分を観察してみたり、他人の気持ちや状況を想像してみたり、別のいろんな可能性に思いをめぐらし、日々の微妙な違和感をていねいにすくい取り、行動につなげていく、または行動に移すのをやめる。

 こういう人間の能力って、時間があるときにモタモタした速度で発揮されるんじゃないかという気がする。

 頭のいい人は別としても、スマホがあると物事がサクサク進みすぎて、自分がどんな気持ちなのかをきちんと感じ、そして考える習慣がなくなりますよね。人工知能(AI)にならないと生き残れない気がしてくる。

 人間らしさを奪う、とは言いすぎかもしれませんが、空白がなくなると、人は何かをモタモタ感じたり、考えたりしなくなる、とは言えるかもしれません。

現在はスマホを持っているけれど

 さて、私自身はスマホやガラケーを持たない時期を経て、2015年に隠居生活の自著が出版されることになってからガラケーを、そして2016年に台湾に移住してからは海外でも使えるSIMフリーのスマホを持つようになりました。

 感想は、「持っていたらいろいろ便利」。凡庸ですが、これに尽きます。

 だけどやっぱり、日常のあらゆる隙間に食い込んでくるスマホが、ちょっと嫌になるときもある。今も基本的な生活スタイルは東京で隠居していたときと同じなのに、スマホがあるだけで、私の時間や頭のメモリが常に何%か、支配されている感じがして、不快指数が上がっている。

 今もモタモタ生きていたくて、ときどきスマホを持つのをやめたくなります。

大原さんの「隠居生活」の様子を描いたイラスト(大原扁理さん制作)



 ところが、新型コロナウイルスのまん延によって、現代文明がスピードを完全に奪われてしまいました。

 社会の機能が停止もしくは遅延していると、スマホがあってもなくても、平時よりモタモタ生きるしかない。有無を言わさず社会と距離を取らされる、まるで強制的隠居生活……。

 生きている間に、ちょっと二度とは遭遇しない事態です。

 でも、先に書いたように、モタモタ生きるしかないと、頭の中に空白ができます。人間らしさを発揮できる絶好の機会です。

これからどんな風にしたいか考える時間

 これまでの忙しい生活の中でなかったことにしてきたもの、今まで自分が何に依存していたのか、本当はどういうふうに生きていきたいのか、どういう社会には戻りたくないと思うのか。たくさんの人が考えるはず。

 私の場合は、せかされずに自分のペースでゆっくり生きたい。人間らしさを後回しにしてまでお金を稼ぐことが当たり前の社会に戻りたくない。そのために、今できることは何か。

 この時期はとにかくモタモタして、物事がうまく進まないことに焦りがちです。でも、いまじっくり考えたことが、コロナ後の世界を作っていくとしたら、この空白を予期せぬプレゼントとして、どう活用するか考えてみるのもいいかもしれません。

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