都内最古の陸橋が、なぜか多摩「ニュー」タウンにある理由

昭和に造られた、日本最大規模のニュータウン「多摩ニュータウン」。そんなエリアに都内最古の陸橋「長池見附橋」があります。「ニュー」なのになぜ「最古」? その理由について、フリーライターの本間めい子さんが解説します。


長らく四谷のシンボルだった四谷見附橋

 現在の長池見附橋である、初代の四谷見附橋が東京市によって建設されたのは1913(大正2)年のことです。

 建設当時、国内でも2番目だったといわれる橋は鋼製アーチ道路橋。日本橋も手がけた東京市の技師・樺島正義(かばしま まさよし)が設計したネオバロック様式の橋でした。

迎賓館の主庭(画像:写真AC)

 この橋がとてもしゃれたデザインになったのは、近くにあった迎賓館(旧赤坂離宮)との関係です。こちらもネオバロック様式のデザインだったこともあり、調和するよう設計されていたのです。かつては、橋の上から赤坂離宮を見ることができたと言われています。

 アーチ形の橋脚や、花模様など凝った装飾の欄干、橋灯をしつらえ、文明開化の雰囲気を残したモダンな橋は、長らく四谷のシンボルとして親しまれてきました。

 なお最も古い橋は大阪市の木町橋で、四谷見附橋よりも4か月前に完成ということが調査時に判明しています。

突如、橋を襲った存続の危機

 しかし、危機がやってきます。

 橋の上を通る国道20号線を拡幅するために、どうしても橋を新しく架け直さなくてはならなくなったのです。

 この計画が具体化したのは1978(昭和53)年。高度成長期ならば構わず取り壊されていたでしょうが、この頃になると文化財の保存熱も高まっていました。

 なにしろ解体の話が出る前の1972年には、新宿区の彫刻工芸部門の文化財にもなっていたのです。時代に合わないからと壊してしまうわけにはいきません。

四谷見附橋(画像:(C)Google)

 東京都は結果として、赤坂離宮と調和する設計がなされている橋の欄干部分は、新しい橋に再利用。下部のアーチになった部分は移設して建設することに決定。このとき、多摩ニュータウンに移設して街のシンボルにしようということになったのです。

 橋の設置費用は住宅都市公団が負担、完成後は八王子市が管理するということで計画は進みました。

橋の完成は1993年


【地図】都内最古の陸橋「長池見附橋」を見る(6枚)

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