スカイツリー完成のはるか昔、「東京タワー」を超える電波塔計画がふたつもあった!
2020年7月20日
知る!TOKYO1960年代終盤、東京タワーより高いのタワーの建設計画が発表されたことがあります。今となっては幻の計画ですが、いったいどのような内容だったのでしょうか。ライターでレトロ文化研究家のミゾロギ・ダイスケさんが解説します。
幻に終わったタワー建設計画とは
2012年に東京スカイツリー(墨田区押上。634m)が誕生するまで、日本で一番高い自立式鉄塔は東京タワー(港区芝公園。333m)でした。

1958(昭和33)年の完成以来、東京の「シンボル」として長く愛され続けた歴史があるだけに、スカイツリー完成後も東京タワーの大きな存在感は揺らぐことがありません。
しかし、場合によっては、“日本一”のタイトルを短期間で失い、もっと地味な存在となっていた可能性がかつてあったのです。
というのも、1960年代の終わりに都内に東京タワーをはるかに上回る高さのタワーを建設する計画が、ふたつ発表されたことがあります。
東京タワーが長らく日本一の地位をキープできたのは、それらが頓挫したから。ふたつの計画には、実は浅からぬ因縁のあるのですが、いずれも幻に終わったのには、どのような事情があったのでしょうか?
東京タワーを嫌った日本テレビ
まず、確認しておきたい「前提」があります。それは、「東京タワー = 電波塔」だったということです。
テレビの創成期、各放送局は自社の電波塔から電波を送信していましたが、都心に高層ビルが増えていったことで、不具合が生じていきます。
そこで、各局の電波の送信機能を一本化した電波塔として構想されたのが、東京タワーです。計画を主導したのは、1967(昭和42)年に「フジサンケイグループ」を形成するメディアの関係者でした。

完成後、まずはNHK、NET(現・テレビ朝日)、フジテレビの利用が始まります。その後、ラジオ東京テレビ(現・TBS)が追随。やがて日本科学技術振興財団テレビ事業本部(現・テレビ東京)やFM局なども続きます。
東京タワーの高さは、電波を広範囲に飛ばす上で、圧倒的に有利でしたが、なぜか日本テレビ(以下、日テレ)だけは、その流れに乗りませんでした。

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