住宅街にある西ベンガル料理店
東京メトロ日比谷線と半蔵門線から直通の東武スカイツリーラインの西新井駅から、「関東の高野山」と呼ばれている通称・西新井大師(総持寺)の方へ向かう住宅街の一角にインド・西ベンガル料理店「エパレット」(足立区西新井本町)があります。
この店を目指さない限りは気づかない裏路地の住宅街の中にあります。シェフはベンガル出身のカンさんで、一部の来店客からは「カンちゃん」と呼ばれ親しまれています。お店を切り盛りしているのはカンさんと店主の野中さんのふたりで、席数はわずか14席の小さなレストランです。
人気料理は土日に売れ切れ必至
この店の定番の人気料理はビリヤニとダルバートで、土日には売れ切れるほど。
ビリヤニは、スペインのパエリアと並ぶ「世界の炊き込みご飯」の代表のひとつです。エパレットでは、チキンとマトンが選べ、ダ-ルスープ(豆スープ)とインドの高級米「バスマティ」と一緒に頂きます。付け合わせのライタというヨーグルトは味をマイルドにしたり、コクを出したりするためのもので欠かせません。
ダルバートは、さしずめ日本の「定食」といったところでしょうか。トルカリ(カレー)、ダ-ルスープ(豆スープ)、サグ(緑の葉物野菜)、バート(バスマティライス)がそろった料理のことで、定食のように食べることもできれば、これらを混ぜて味変を楽しむこともできる一品です。
小さな店の2か月間まるまる休業宣言
エパレットですが、通常の店では珍しいことをやってのけました。2020年の1月半ばから3月半ばまで、2か月間まるまる休業するというのです。
その理由は、シェフが2年ぶりに故郷へ里帰りするということでした。せっかく繁盛していたのに2か月も休業するのは、普通の店なら顧客が離れ、今後の経営がどうなるか――と心配になりますが、エパレットの店主は休むことを選びました。
その理由は単純明快です。
提供されていた料理は「シェフにしか作れない、味が変わってしまっては本末転倒」ということ。2か月間シェフを故郷インドに帰国させる店主の心遣いにも感服ですが、2週間ではなく、2か月とは思い切りました。
ただ、このときはこの数か月後にコロナショックが来ようとは誰も想定していませんでした。
緊急事態宣言下で店を支えたもの
休業から2か月が過ぎ、お店の再開当日はランチ時から常連客であふれていました。彼らは再開の日を心待ちにしていたのです。
確かに、西新井駅周辺にはエスニック料理やインド料理の競合他社は多くはありませんが、常連客はやはりエパレットに戻ってきました。
一方、お店の再開1か月もたたないうちに、緊急事態宣言の発令に伴い営業自粛を余儀なくされました。そのため他の飲食店と同様に、エパレットもテイクアウトを中心に営業を続け、この状況下を乗り切ってきました。
特筆すべきは、この間、常連客からマスクや一斗缶のアルコール消毒液など物資の支援を受けていたことです。
「自分らしい時間を過ごす」場所の大切さ
エパレットは、ここに集まる人たちにとって、「サードスペース」といえる場所になっています。
ファーストプレイス(第1の居場所)は自宅、セカンドプレイス(第2の居場所)は職場や学校、サードプレイスはそのふたつの中間地点にあり、「自分らしい時間を過ごす」第3の居場所のことです。
アメリカの都市社会学者であるレイ・オルデンバーグが定義している「サードプレイス」の特徴は、
・中立領域:強要や義務はなく、自由な場所
・平等:社会的な地位などには関係なく、参加するための条件などもない場所
・コミュニケーション:楽しい会話や遊び心がある場所
・アクセス:アクセスしやすく、わかりやすい場所
・常連:常連もいるが、新たな訪問者も歓迎される場所
・デザイン:家庭的な雰囲気で誰でも入りやすい場所
・遊び場:楽しい場所
・もうひとつの家:暖かい、家庭的な場所
となっています。
地域に根付く店の強さ
実際に、エパレットに来訪する多くは、近隣コミュニティーの単身からカップルや家族連れ、会社の同僚など多種多様な人びとです。
お昼は子ども連れの家族もいれば、夜は楽しく食事をしながら語らう人たちが集う場所であり、彼らにとっては居心地のよい場所になっているのです。
満席のため、ひとりの来客が帰ろうとした際に常連客が「相席でよければどうぞ」と言ってくれる、家庭的な雰囲気を感じられる空間を作り出しています。
こうした様子からも、エパレットがコミュニティーの一員として地域に根付いているお店であることがよくわかります。
これが、2か月休業してもコロナショックに見舞われても、この店がつぶれなかった理由のひとつといえるでしょう。もちろんここでしか食べられないおいしい料理があり、それも含めて愛されているのです。
不思議な小さなインド料理店は、いつのまにか西新井のサードプレイスのひとつになっていたのでした。