外出自粛の今こそ、鳥瞰図で「エアまち歩き」をしよう

  • ライフ
外出自粛の今こそ、鳥瞰図で「エアまち歩き」をしよう

\ この記事を書いた人 /

増淵敏之のプロフィール画像

増淵敏之

法政大学大学院政策創造研究科教授

ライターページへ

緊急事態宣言の発令で外出自粛のムードがますます濃くなる現在、デジタル技術を使った「エアまち歩き」を勧めるのが法政大学大学院教授の増淵敏之さんです。

デジタル技術の発達で変わる「まち歩き」

 政府が4月7日(火)、東京など7都府県を対象に「緊急事態宣言」を発令しました。これからは自宅生活が長くなりそうで、日常生活に苦慮する人は多いでしょう。今回はこれを機に、まち歩きについて改めて考えてみようと思います。

 デジタル技術の発達と普及によって、まち歩きの楽しみ方にもバリエーションが生まれました。動画配信サイト「YouTube(ユーチューブ)」などはそのひとつです。

 筆者(増淵敏之。法政大学大学院教授)もここ数年よく見ており、特に海外の旅行番組が面白いと思っています。内容はまさに「微に入り細に入り」といった具合で、地上波が取り上げないマイナーな街にさまざまなYouTuberが訪れ、紹介しています。映像を見ているだけで現地に行ったつもりになり、実際に行ってみたい街も少なくありません。

 もちろん海外だけではなく、アウトドアや車中泊、城跡巡り、鉄道旅と番組のバリエーションは驚くほど豊富で、この機会に知識を蓄積してみるのも楽しいでしょう。

 最近、「地球の歩き方」や「るるぶ」などが期間限定でガイドブックの読み放題サービスを始めました。こういったサービスを活用すれば、まだ行ったことのない場所への準備ができますし、休校中の子どもと一緒に各国の歴史や地理などを学ぶこともできます。

「エアまち歩き」は鳥瞰図巡りで

 さて前述のような「エアまち歩き」は、空間だけではなく、時間を行き来することもできます。一般的には古地図巡りです。

 筆者がずっと関心を寄せているのは、大正~昭和期の画家で「大正の広重」として知られた吉田初三郎の描いた鳥瞰(ちょうかん)図で、その数は1000種類にも上ります。鳥瞰図とは、空中から地上を見おろしたように描いた図のことです。

吉田初三郎が描いた鳥瞰図(画像:国土地理院)



 もともと西陣織の絵付けをやっていた初三郎ですが、その後、地図絵師に転じました。大正から昭和にかけての観光ブームに乗り、大正名所図絵社(のちの観光社)を設立、当時、観光事業にもっとも影響を持っていた鉄道省を始めとして、鉄道会社、バス会社、船舶会社といった各地の交通事業者、旅館、ホテル、地方自治体、新聞社などを顧客に抱えるまでになりました。

幻の東京万国博覧会も手掛けた

 1914(大正3)年。最初に描いた鳥瞰図「京阪電車御案内」が、修学旅行で京阪電車に乗られた皇太子時代の昭和天皇に称賛されたといいます。また1921年には鉄道省から鉄道開業50周年記念「鉄道旅行案内」の挿絵として、全国各地の鳥瞰図を依頼されます。

 殺到する依頼に、多くの弟子とともに初三郎は鳥瞰図を描いていきます。その範囲は日本の内地にとどまらず、当時の外地(満州、台湾、朝鮮)の各地に及びました。

 現在の鳥瞰図は「平行透視図法」という手法がよく使われますが、初三郎は独自の手法で、大胆なデフォルメを特徴としていました。例えば、日本から見えないはずのハワイが遠くに描かれたり、クライアントの旅館が大きく表現されたり、などです。

 初三郎は同時期の鳥瞰図絵師に比べて下調べに時間をかけるのが常で、地域の風土や歴史などについて現地へ事前調査に赴くこともしばしばだったそうです。

 なお戦後は忘れ去られていた初三郎の鳥瞰図ですが、1990年代以降、再注目されます。

大空を飛ぶ鳥のイメージ(画像:写真AC)



 初三郎は東京も数多く描き、幻に終わった東京万国博覧会の鳥瞰図を手掛けています。また郊外電車の地図も多く描き、クライアントの旅館同様、周りの風景に比べて車両が大きくなっています。そこには時空をさかのぼった、個性的な東京があるのです。

 江戸時代の切り絵図で当時の町割りを楽しむ方法もありますが、時に時間旅行もよいものです。

 そこには現在の東京の風景の中からは消えてしまったものも描かれています。映画や写真で当時の東京を確認する方法もありますが、地図をなぞる方が想像力を誘発させ、さらに楽しみに奥深さが生じるのではないでしょうか。

都市の深層を知ろう

 都市には、時間が幾層にも重なっています。私たちが捉えているのは表層の部分にすぎません。

 例えば東京には本来、幾つもの小さな河川が流れていました。その多くは現在、地下水路になっています。小田急線「代々木八幡駅」のそばに「春の小川記念碑」が建っています。

 小学校などでなじみ深いこの歌は、大正時代の渋谷川の支流・河骨川(こうほねがわ)がモデルになっています。河骨川は1964(昭和39)年の東京オリンピック前に生活用水の流入で悪臭が漂い、地下水路化されました。現在、当時の「春の小川」は可視化することはできません。

渋谷区代々木にある「春の小川記念碑」(画像:(C)Google)



 自由気ままに外出することが厳しくなった昨今、「エアまち歩き」で楽しむ季節が到来したようです。

 現在という「横」の空間の広がりで、日本全国、海外の諸都市を巡るのも楽しいですが、初三郎の鳥瞰図をもとに時間をさかのぼってというのも面白いかと思います。

 中高年の人の琴線に触れることは間違いないのですが、若い人たちにとっても鳥瞰図を通じて消えてしまった当時の東京の風景の断片を発見することは、面白く、そして知見を深める有意義な時間になることでしょう。

関連記事