少年の日の晩夏を描いた名曲
夏の終わりになると山下達郎の「さよなら夏の日」を思い出します。夏の終わりの切なさが作品を通して伝わってきます。
「愛を描いて‐LET’S KISS THE SUN‐」「LOVELAND,ISLAND」「高気圧ガール」などの名曲が盛夏の定番、そして「クリスマス・イブ」が冬の定番だとしたら、この曲は晩夏の季節の定番です。
また、「ブラックミュージックの語法で作られたバラードは簡単に色褪(あ)せない」という、本人の言葉を証明してもいます。
リリースは1991(平成3)年、21枚目のシングルになります。ほぼ30年前の作品ということになります。
東京はまだまだ暑い日が続いていますが、暦の上はうるう年の前年以外では8月7日が立春、そして処暑は暑さの収まる頃という意味で、8月23日です。つまり8月の終わりは暦の上ではすでに秋なのです。
毎年、夏が長くなっているように思いますが、実際この作品のモチーフになっている屋外プールは、東京では8月末から9月中旬まで営業しているところが大半です。夏の終わりは一般的にはその頃と言ってもいいかと思います。
さて、この作品は成長期の少年の目で捉えた夏の終わりの夕暮れのプールの情景が描かれています。夕立が降り、そのあとに虹がかかります。そして少年は未来に思いをはせていくのです。
このプールは「としまえん」プールということが定説になっているようです。
としまえん近くで過ごした青春期
1953(昭和28)年、池袋で生まれた山下はその後、中学時代に練馬区の平和台に転居し、そこから竹早高校(文京区小石川)に通います。平和台から「としまえん」までは歩けない距離ではありません。自転車なら短時間で着くでしょう。
高校生時代の山下が「としまえん」までどのような経路をたどっていったのかは知る由もありませんが、生活圏内にあったことは間違いないはずです。東京西部の代表的なレジャー施設でした。
しかし「としまえん」は、残念なことに2020年8月31日(月)をもって閉園となります。1926(大正15)年の開園ですから、90年以上、人々を楽しませてくれたことになります。最後はコロナ禍のなか、遊園地、プールともに入場制限という形になり、切ない気持ちです。
開園時の「としまえん」(当時は「豊島園」)は約5万坪の敷地に運動場や野球場、プールを備え、園内を流れる石神井川ではボートや釣りが楽しめる総合公園的な施設でした。
よく、豊島区にないのになぜ「としまえん」なのかという疑問も聞こえてきますが、ここは室町時代に築城された練馬城の城跡があった場所で、名称は築城した豊島氏から来ているとのことです。
また開園当時はまだ練馬区ではなく、東京府北豊島区だったということもあったのでしょう。開園当初の名称は「練馬城址豊島園」だったそうです。
少しずつ遠のいていった客足
開園に当たっては樺太工業専務だった藤田好三郎が自らの保養地として土地を取得、さらに敷地を拡大して総合公園的な施設という運びになりました。しかしその後、所有者も変遷し、1941(昭和16)年に武蔵野鉄道(現在の西武鉄道)が取得しました。
プールは1929(昭和4)年にできました。当時は大小のプールがあり、大きい方は競泳用、小さい方は婦人用だったそうです。第2次世界大戦前には前者を、大学の水泳部が夏季合宿に使用したこともあったようです。
近年ではナイアガラプール、流れるプール、波のプール、こどものプールの四つのプールがありました。2010年からは営業期間外はニジマスなどが釣れる「釣り堀」として使用され、初心者も楽しめる都市型釣り堀として人気を集めていました。
戦後は若い人向けに乗り物系のアトラクションを次々と導入して、遊園地として発展していきます。中でも2010年に「機械遺産」に認定された「としまえん」のシンボルとも言える回転木馬「カルーセルエルドラド」は有名です。
1907(明治40)年にドイツのヒューゴー・ハッセによって作られたこの回転木馬は、米国ニューヨーク市のコニーアイランドにある遊園地「スティープルチェイス」で1964(昭和39)年の閉園まで多くの人々を楽しませました。そして1971年に「としまえん」に移設されました。
「としまえん」はバブル期の入場者数は約400万人を記録しましたが、レジャーの多様化や少子化などで、昨今では約100万人となっていました。テコ入れ策として、最近は若い層だけでなく、ファミリー層の集客に力を入れているという印象が強くなってもいました。
しかし、かつて東京やその近郊にあった多摩川園(大田区田園調布)、二子玉川園(世田谷区玉川)、向ヶ丘遊園(川崎市)も次々に閉園していき、そしてとうとう「としまえん」の番になってしまいました。
時代は変わり、時間は過ぎていく
さて、山下の高校時代はベトナム戦争反対に端を発した大学紛争が拡大し、東京大学で始まった全共闘運動は全国の大学に広がっていきます。そして高校にも波及していきました。
その背景で日本はいわゆる高度経済成長期の終焉(しゅうえん)を迎えていました。
1968年(昭和43)年、日本の国内総生産(GDP)はアメリカに次いで世界2位になります。1970年には大阪万国博覧会が開催され、約6421万人が訪れました。まさに平和と混乱が共存した時代だったといえるでしょう。
そんな時代の、夏の終わりの「としまえん」の夕暮れのプールです。ラブソングではあるもの、後半のフレーズがとても印象的です。
「雨に濡れながら 僕等は大人になっていくよ
「さよなら夏の日 僕等は大人になっていくよ」
このフレーズだけでもはや名曲です。
少年の周囲は大きくうねりながら、かなたへと流れていきます。時間は決して止まりません。そしてつかの間のひとときをプールで彼女と過ごすのです。時代の変化は彼らを成長させていきます。
いや応なしに大人になっていく運命から逃れる術はありません。その運命を逆らうことなしに受け止めなければならないのです。
としまえんに告げる「さよなら」
「としまえん」はハリーポッターのテーマパークに生まれ変わるのだそうです。
「さよなら夏の日」に描かれた情景は消えていきます。2020年の夏の終わりは例年にも増して切なくなりそうな予感がします。
筆者の部屋の窓から「としまえん」の花火を見ることも、もうありません。