巨大象も、専属音楽隊もいた! 開園当初の「としまえん」は今と全く違っていた
2020年8月15日
知る!TOKYO2020年8月末で閉園する練馬区の遊園地「としまえん」。そんなとしまえんはどのような歴史をたどり、現在に至るのでしょうか。フリーライターの猫柳蓮さんが解説します。
開園したのは1927年
2020年8月末で、長い歴史に幕を閉じることになった遊園地「としまえん」(練馬区向山)。
園内に設置された100年以上の歴史を持つメリーゴーラウンド「カルーセルエルドラド」の行方など、多くの人がこれまでの思い出や跡地の利用計画を語っています。
としまえんは1927(昭和2)年に豊島園として開園したのが始まりです。
その当時は、どのような風景が周りに広がっていたのでしょうか。
この遊園地がある場所には、かつて練馬城がありました。練馬城は「豊島」の由来になった武士団・豊島氏が戦国時代に築いた城として知られています。なお廃城は1477(文明9)年です。
1989(平成元)年、ウオータースライダー「ハイドロポリス」を建設する際に発掘調査が行われ、最大幅10mの空堀や土塁などが発掘されています。
そのような城跡ですが、戦国時代以降は自然に戻り、林や草地になっていました。現在、園の敷地内を通る石神井川に沿った部分はかつて深い田んぼでした。これらを掘り返し、埋める工事によって豊島園は造営されたのです。
資料によると1926(大正15)年9月15日に部分開園したとありますが、実際に田んぼを掘って池を造ったり、埋め立てて運動場にしたりする工事は難行しました。
かつて湿地帯だった石神井川周辺
現在の石神井川は護岸工事も行き届いており、小川のような雰囲気ですが、当時はまったく異なりました。周辺の湧き水を集め水量は多く、川の周辺は湿地帯になっていました。

川の周辺の田んぼは田げたを履かないと入れない深さで、稲を植えることもできないため、種もみをまく方法で稲作が行われていました。そのような田んぼを、近隣の製紙工場などから出る石炭を燃やした「ガラ」で埋めたといいます。
なお石神井川周辺の湧き水は非常に豊富で、この地域は井戸を使う家も多かったのですが、戦後になって宅地化が進むと湧き水の量は減ってしまいました。
工事がようやく完成に至ったのは1928(昭和3)年になってからのことですが。前年の1927年4月29日には工事中の園内で園遊会が開催されており、これをもって開園日とされています。

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