延伸計画も決定 赤字経営を跳ね返した「多摩モノレール」奮闘の歴史とは
2020年7月27日
知る!TOKYO2020年に延伸が発表された多摩モノレール。そんな同モノレールの歴史について、フリーライターの猫柳蓮さんが解説します。
開通は12年後を予定
東京都内の市で唯一鉄道のなかった武蔵村山市に2020年、ついに鉄道がやってくることが決まり、話題となっています。
現在、隣の東大和市の上北台駅が終点となっている多摩都市モノレール線(多摩モノレール)が、瑞穂町の八高線・箱根ケ崎駅まで延伸する計画が本格的に動き出しているのです。

2020年初頭に発表された東京都の予算案では、調査費などに約1億円を計上。計画では、おおむね12年後の開通を目指しています。既に、延伸が予定される区間での新青梅街道の道路拡幅工事も進んでおり、期待は膨らんでいます。
過去に何度も持ち上がった鉄道計画
1970(昭和45)年に誕生した武蔵村山市ですが、郊外のベッドタウンとして人口が増加してきたにもかかわらず、鉄道も国道もない市としてこれまで知られていました。

鉄道に乗ろうとすれば、バスで周囲の市にある上北台駅、桜街道駅、玉川上水駅、武蔵砂川駅などにアクセスする必要があったのです。
ただ鉄道がない代わりにバス路線がしっかりと整備されており、「イオンモールむさし村山」(武蔵村山市榎)のにぎわいからもわかるように、車さえあればまったく不便な場所ではありません。
実はこれまでも、鉄道が武蔵村山市を走る計画は何度もありました。明治末期には、八王子から群馬県の大間々町(おおまままち。現在のみどり市)をつなぐ阪東鉄道が計画されるも、頓挫。
その後、大正時代には村山軽便鉄道が吉祥寺から、田無と東村山を通って箱根ヶ崎までの路線を計画しますが、こちらも中断。ちなみに一部は開通し、現在の西武新宿線と西武園線の一部となっています。

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