双子パンダ誕生で盛り上がる「上野動物園」 たくましき便乗商品と繁殖の歴史をたどる
上野動物園のシンシンが6月23日、双子の赤ちゃんを出産しました。今回はこの出産を契機に上野動物園のパンダの歴史を振り返ります。解説してくれるのはフリーライターの犬神瞳子さんです。日本初のパンダは官房長官がお出迎え 上野動物園(台東区上野公園)のメスのジャイアントパンダ・シンシンが6月23日(水)、双子の赤ちゃんを出産し、ネットで大きな話題となりました。 同園最初のパンダは、1972(昭和47)年9月の日中国交正常化を記念して中国から贈られたカンカンとランランです。やって来たのは翌10月で、専用機をチャーターされ、羽田空港には当時の二階堂進官房長官(当時)が出迎える、まさに賓客扱いでした。 それまでパンダを見たことのある日本人はほとんどいなかったため、たちまち大ブームになり、公開初日は6万人が列をなしました。余りの人の多さに、並んだ人たちは立ち止まることもできず、30秒ほどでパンダの前を通り過ぎるという大変な見学でした。 パンダの繁殖と消えた小さな命 以降、上野動物園ではパンダの繁殖が取り組まれました。 飼育開始後、交尾自体は複数回確認できたものの、残念ながら妊娠には至らず、その後、1979(昭和54)年にランランが死亡した際には、解剖で胎児が確認され、国民の間には落胆が広がりました。 新たな挑戦は1980年にやってきたメスのホァンホァンと、1982年にやってきたオスのフェイフェイのカップルです。この2匹は交尾には至らなかったため、上野動物園は新たな試みとして人工授精を実施。結果は成功し、1985年6月27日に日本で初めてのパンダが誕生します。しかしこの赤ちゃんパンダは、母親であるホァンホァンの下敷きになり、わずか45時間の短い生涯を終えました。 上野動物園のパンダのオブジェ(画像:写真AC) その後の調査でこの赤ちゃんは、人間であれば妊娠14~15週で生まれた未熟児だったことが明らかになっています。短い生涯を終えた赤ちゃんパンダでしたが、名前がないのはかわいそうと、9月になりチュチュ(初初の意味)の名前が与えられました。 このニュースは全国を悲しみに包み、赤ちゃんを失った母親のホァンホァンの動向が幾度も報じられています。なお動物園には、出産が報じられた直後からお祝いの手紙や電話、電報などが届き、上野のデパートや商店街、上野駅構内には「おめでとう」の垂れ幕や貼り紙が貼られていました。 上野6丁目商店街連合会はパンダの親子のイラストが入ったうちわ10万本を配布し、お中元シーズンに際して「好々(ハオハオ)セール」の開催を決めていましたが、これらもすべて取りやめになり、上野の街全体が沈痛な気持ちに包まれていました。 人工授精に再度挑戦人工授精に再度挑戦 それでも、挑戦は止まりませんでした。 翌年には再び人工授精が試みられ、1986(昭和61)年1月に行われた人工授精の結果、5月8日に妊娠の兆候が見られるようになります。今度こそ成功をという期待のなか、ついに6月1日、メスの赤ちゃんが誕生します。 最初に公開されたのは静止画だけ。その背景にはパンダをなるべく刺激しないようにという配慮がありました。そして、赤ちゃんパンダの成長を祈る声は東京だけでなく全国に広まります(ビデオ公開は6月5日)。 同時にパンダブームで新たな商戦も始まります。6月6日には上野動物園の協力を得たNTTが、誕生直後の鳴き声を聞くことのできる「パンダの赤ちゃん・テレホンサービス」を開始します。 上野動物園の入り口(画像:写真AC) その後もパンダの赤ちゃんが水を飲んだ、歩いたというニュースは数日に一度、必ず報じられていました。11月下旬には伊豆大島の三原山が噴火。21日には全島避難が実施され東京には暗いムードが漂いましたが、パンダブームはそれをフォローするほどの熱気を帯びていました。 12月1日には名前がトントンに決定。公開に向けた準備が始まったことで、ブームはさらに加熱します。 なお、トントンという名前は約2万に上る命名候補のなかで14位でした。命名式では名付け親代表として応募者のなかから府中市在住のSさんが選ばれ、鈴木都知事から賞品を授与されています。 便乗商品、続々と なんといってもパンダの命名で沸いたのは上野の街でした。 『朝日新聞』1986年12月1日付夕刊の記事によると、周辺の商店街や露店では、 ・パンダ焼き ・パンダパン ・パンダあめ とパンダにあやかった商品が多く売られ、松坂屋上野店(台東区上野)では、店内に ・赤ちゃんパンダ体重当てクイズ ・パンダコーナー記念写真 を用意。特設コーナーでは ・パンダケーキ ・パンダパン ・パンダせんべい ・パンダカステラ ・パンダアイスクリーム ・パンダめがね ・パンダ手袋 と、ありとあらゆるパンダ商品が並びました。 パンダのイラストがデザインされた銀座線のホームドア(画像:写真AC) 鉄道会社もこの流れに乗り、営団地下鉄(現・東京メトロ)では記念乗車券を4万5000枚販売。京成電鉄でも1万枚を販売しています。もちろん上野動物園でも、公開記念の前売り券販売が行われました。 レコード会社もこのブームに乗り、 ・日本コロムビア『パンダの赤ちゃん』 ・ジャミックプロモーション『赤ちゃんパンダはかわいいね』 ・クラウンレコード『パンダの赤ちゃんこんにちわ』 ・ビクター『こんにちはトントン』 と便乗作品を次々と発売しました。 現れたトントンに観客たちは……現れたトントンに観客たちは…… こうして一般公開は12月16日から始まり、開門前には150人あまりの行列ができました。しかし当日の開園時間中、トントンは展示室に姿を見せなかったため、落胆して泣き出す子どもの姿もありました。 トントンが展示室に姿を現したのは翌17日14時20分のこと。会場は盛り上がったものの、大興奮した観客があらかじめ禁止されていたストロボ発光で撮影したため、公開が予定時間よりも繰り上げられるハプニングも発生しました。 『読売新聞』1986年12月18日付朝刊はそのときの様子について、 「観客通路ではトントンが姿を見せた瞬間、「キャー、トントンだ」という女子高生や子どもたちの歓声が上がり、この声を聞きつけて通路の出入り口双方から見物客約三百人が殺到、またたく間に展示室前は黒山の人だかり」 と記していますから、かなり騒然とした状況だったようです。 1985年頃の上野動物園の航空写真(画像:国土地理院) それから14年後の2000(平成12)年7月にトントンが、翌2008年にリンリンが死亡したことで、上野動物園のパンダの飼育は一時途絶えましたが、2011年に中国からリーリーとシンシンが新たに来園し、飼育と繁殖は再開されました。 以降、パンダの人気はやむことはありません。これまで3頭のパンダが暮らした上野動物園ですが、今回の双子の誕生でにぎやかになることは間違いありません。 8頭を飼育している和歌山アドベンチャーワールド(和歌山県白浜町)に数でこそ劣っているものの、東京では「パンダといえば上野動物園」というのが常識です。筆者もこの双子の誕生が、暗い世相を吹き飛ばす力になることを願ってやみません。
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