東京ミッドタウン・サンシャイン60・東京ドームができる前に建っていた意外な建物の正体

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東京ミッドタウン・サンシャイン60・東京ドームができる前に建っていた意外な建物の正体

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ミゾロギ・ダイスケ(ライター、レトロ文化研究家)

都内の三つの有名なスポットが生まれる前、同じ場所に毛色が大きく異なる建物がありました。いったい何でしょうか。ライターでレトロ文化研究家のミゾロギ・ダイスケさんが解説します。

都内超有名施設が建つ前にあった建物

 新型コロナウイルス禍にあっても、都内には注目の新商業施設が次々に誕生しています。

 6月には「IKEA」初の都心型店舗が出店したことで話題を集めた、「WITH HARAJUKU」(渋谷区神宮前)や、竹芝駅周辺の再開発で生まれた「ウォーターズ竹芝」(港区海岸)がオープンしました。

 また、商業施設、温浴施設、劇場などを擁する「有明ガーデン」(江東区有明)が8月にグラウンドオープン予定です。

 こうした大型施設やビルを新設するには、当然ながら立地条件がいい、広大な土地の確保が必要になります。埋め立て地を除き、そうした場所が以前から更地である訳がなく、それ以前にも何らかの建物が建っていた場合がほとんどです。

 ただし、同じような施設があったとは限りません。都内の誰もが知る有名なスポットが生まれる前、同じ場所に毛色が大きく異なる建物があったケースもあるのです。

どこか緊張感があったかつての六本木駅周辺

 さまざまな商業施設からなる「東京ミッドタウン」(港区赤坂)は、2007(平成19)年3月に開業しました。

 では、地下鉄六本木駅に隣接したあのエリアに、「東京ミッドタウン」が建つ前は何があったのでしょう?

 かつては、その周辺に何となくものものしい雰囲気が漂っていました。なぜなら、そこに「陸上自衛隊の駐屯地」と「防衛庁の本庁舎」があったからです。したがって、六本木駅周辺の人の流れも現在とは大きく異なりました。

 明治時代より、そこには大日本帝国陸軍の駐屯地がありました。

東京ミッドタウン(画像:写真AC)



 終戦後、日本が連合国軍総司令部(GHQ)の占領下に置かれることで、一時的に米軍の施設になります。

 そして、サンフランシスコ講和条約発効後に日本に返還されると、1962(昭和37)年以降は陸上自衛隊駐屯地となり、防衛庁本庁舎も置かれることになります。

 なお、地下鉄六本木駅の開業は、返還から2年後の1964年のことです。

死刑が執行されていた超有名ビル建つエリア

 60階建ての超高層ビル「サンシャイン60」(豊島区東池袋)がオープンしたのは1978(昭和53)年4月。その高さは約240mで、当初は、「新宿三井ビルディング」(新宿区西新宿、225m)を上回る、日本一、そしてアジア一高いビルでした。

 また、ビルに連結するかたちで、複合商業施設「サンシャインシティ」が同時期に開業しています。

 サンシャイン60を含むサンシャインシティが生まれる前、同地にあったのは、現在の明るく華やかなイメージとはまったく違う建物でした。

 そこにあったのは、「拘置所」または、「刑務所」なのです。

サンシャイン60(画像:写真AC)



 第2次大戦前から、そこには「東京拘置所」と呼ばれる施設が建っていました。ただし、これも敗戦後はGHQに接収され、その期間は「巣鴨プリズン」として戦争犯罪人(容疑者)が収容されていました。「プリズン = Prison」 は「刑務所」という意味です。

また巣鴨プリズンでは、連合国が日本の指導者などを裁いた「東京裁判(極東国際軍事裁判)」で死刑が宣告された7人への刑の執行が行われています。

 1952年に日本に移管された同施設は、「巣鴨刑務所」となり、引き続き戦犯を収容していました。そして1958年に閉鎖になると、しばらくしてそこに超高層ビルが建てられたという歴史があります。

巨大ドームの前にあった別の巨大施設は?

 新しい「国立競技場」(新宿区霞ヶ丘町)は、旧「国立競技場」の跡地に建設されましたが、1988(昭和63)年3月開場の「東京ドーム」(文京区後楽)は、旧「後楽園球場」跡地に建てられたのではありません。

 日本初のドーム球場は、起工から開場まで約3年を要しています。

 当時、後楽園球場は、プロ野球の読売ジャイアンツと日本ハムファイターズ(現・北海道日本ハムファイターズ)が本拠地としていました。2チームが、後楽園の解体からドーム完成までの間、ホームグラウンドを失うという状況は、ビジネス的に考えられません。

 つまり、東京ドームは、後楽園球場を稼働させながら、別の場所に建てる必要があったのです。

後楽園球場(左)と東京ドーム。1987年6月撮影(画像:時事)



 何かの広大さを表現する際に、「東京ドームの〇個分」といった表現が用いられるように、大きさの代名詞である東京ドームですから、その前にあったのも、やはり巨大な施設でした。

東京ドームの前にあった施設とは

 答えは、「競輪場」です。

 戦後、東京都が競輪を運営することになり、1949(昭和24)年、後楽園球場の隣に「後楽園競輪場」が開設されました。つまり、その時代は野球場と競輪場とがドンとふたつ並んでいる状態でした。

現在の東京ドーム(画像:写真AC)

 ところが、1972年に、都営ギャンブルが廃止されたことで、同年10月を最後に競輪開催は終了します。

 そのため同施設はスタンドをそのままに、1973年に「後楽園ジャンボプール」として改装されることになります。競輪場のフィールドにプールが作られたのです。

 そういった意味で“東京ドームの前にあった施設”は、厳密には「プール」が正解だといえるでしょう。

 なお後楽園球場があった辺りには現在、「東京ドームホテル」、「プリズムホール」が建っています。

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