荻野目洋子『六本木純情派』――80年代に大衆化した繁華街を歌う「六本木歌謡」 港区【連載】ベストヒット23区(16)
2020年4月12日
知る!TOKYO人にはみな、記憶に残る思い出の曲がそれぞれあるというもの。そんな曲の中で、東京23区にまつわるヒット曲を音楽評論家のスージー鈴木さんが紹介します。
六本木の発展は米軍とともに
「ベストヒット23区」はいよいよ港区へ。新型コロナウイルスによって、人影もまばらになっているであろう六本木の繁華街に思いをはせながら、今回は「六本木歌謡」特集をお届けします。

繁華街・六本木の発展は、米軍とともにありました。戦後、六本木周辺に米軍関連の施設が建てられ、それに応じて、米軍向けの飲食店がひとつふたつと建ち始めたことで、繁華街・六本木の歴史が始まったのです。
隆盛は1960年代から
当時の代表的な店をホイチョイ・プロダクションズ『東京いい店やれる店』(小学館)から拾えば、1953(昭和28)年開店の「イタリアン・ガーデン」(後に「アントニオ」)に始まり、1954年の「シチリア」、1956年の「ニコラス」と続き、そしてついに1960年、飯倉に「キャンティ」がオープンします。
「私と六本木を結びつけたのは、イタリアンレストラン『キャンティ』がきっかけでした。初めてお店に行ったのはデビュー前の16歳の時、’60年の頃です。青山のボウリング場で川添家の坊ちゃんたちに、『今度うちの店オープンするから来ない?』って誘われたの。それでどんなお店かも知らずに訪ねてみたら、丹下健三さんや黛敏郎さん、三島由紀夫さん、藤間のご宗家といったさまざまな世界の方がいらしてる」(「ラクティブ六本木 六本木情報オフィシャルサイト」より)
と語るのは女優・加賀まりこ。「川添家」とは「キャンティ」のオーナーだった川添浩史の家のこと。ちなみに川添浩史の奥さんが(岩本)梶子で、荒井由実のアルバム『MISSLIM』のジャケットに写っているピアノは梶子夫人のもの。

この「キャンティ」を中心にして、1960年代には、当時「六本木族」「野獣会」などと呼ばれた、おしゃれな芸能人・文化人が集まり始め、1970年代には、増え始めたディスコに若者たちが集結。現在の繁華街・六本木の基礎が整いました。

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