スカイツリー完成のはるか昔、「東京タワー」を超える電波塔計画がふたつもあった!

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スカイツリー完成のはるか昔、「東京タワー」を超える電波塔計画がふたつもあった!

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ミゾロギ・ダイスケ

ライター、レトロ文化研究家

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1960年代終盤、東京タワーより高いのタワーの建設計画が発表されたことがあります。今となっては幻の計画ですが、いったいどのような内容だったのでしょうか。ライターでレトロ文化研究家のミゾロギ・ダイスケさんが解説します。

幻に終わったタワー建設計画とは

 2012年に東京スカイツリー(墨田区押上。634m)が誕生するまで、日本で一番高い自立式鉄塔は東京タワー(港区芝公園。333m)でした。

東京タワー(画像:写真AC)



 1958(昭和33)年の完成以来、東京の「シンボル」として長く愛され続けた歴史があるだけに、スカイツリー完成後も東京タワーの大きな存在感は揺らぐことがありません。

 しかし、場合によっては、“日本一”のタイトルを短期間で失い、もっと地味な存在となっていた可能性がかつてあったのです。

 というのも、1960年代の終わりに都内に東京タワーをはるかに上回る高さのタワーを建設する計画が、ふたつ発表されたことがあります。

 東京タワーが長らく日本一の地位をキープできたのは、それらが頓挫したから。ふたつの計画には、実は浅からぬ因縁のあるのですが、いずれも幻に終わったのには、どのような事情があったのでしょうか?

東京タワーを嫌った日本テレビ

 まず、確認しておきたい「前提」があります。それは、「東京タワー = 電波塔」だったということです。

 テレビの創成期、各放送局は自社の電波塔から電波を送信していましたが、都心に高層ビルが増えていったことで、不具合が生じていきます。

 そこで、各局の電波の送信機能を一本化した電波塔として構想されたのが、東京タワーです。計画を主導したのは、1967(昭和42)年に「フジサンケイグループ」を形成するメディアの関係者でした。

フジ・メディア・ホールディングスが入る港区台場のFCGビル(画像:写真AC)

 完成後、まずはNHK、NET(現・テレビ朝日)、フジテレビの利用が始まります。その後、ラジオ東京テレビ(現・TBS)が追随。やがて日本科学技術振興財団テレビ事業本部(現・テレビ東京)やFM局なども続きます。

 東京タワーの高さは、電波を広範囲に飛ばす上で、圧倒的に有利でしたが、なぜか日本テレビ(以下、日テレ)だけは、その流れに乗りませんでした。

巨人の元オーナーによる世界一のタワー計画

 読売新聞の社主にして、プロ野球・読売巨人軍の初代オーナーでもあった正力松太郎によって創立された同局は、日本の民放テレビ局のパイオニアです。

 なにしろ正力は、1951(昭和26)年に日本初の民間テレビ局「日本テレビ放送網」の設立構想を発表し、翌年にはNHKより先にテレビ放送予備免許を取得しているのです。

日本テレビが入る港区東新橋の日本テレビタワー(画像:(C)Google)



 ところが、先に本放送をスタートさせたのはNHK(1953年2月)で、日テレは、そこから約半年の後れを取ることになります。つまり、日本におけるテレビ放送は、日テレとNHKが競い合うことで始まったといえます。

 日テレには、先駆者としての意地があったのでしょう。当時は他局系列の東京タワーを嫌い(現在は無関係)、千代田区麹町にあった自社のテレビ塔(154m、155m説も)を利用し続けます。しかし高さは東京タワーの約半分。限界がありました。

高さは550mを予定

 そこで日テレは、1968年5月に新宿区東大久保(現在の新宿6丁目)に新タワー建設計画をぶち上げます。

新宿6丁目の位置(画像:(C)Google)

 計画では、その高さは550mと、当時世界一高い電波塔だったモスクワの「オスタンキノ・タワー」(540m)を上回るものでした。

 また、タワー中間部に展望台を設置し、下部はオフィス、店舗、ホテル、住宅などにより複合施設化するという、時代を先取りした構想だったことも特筆に値します。

 同年10月には起工式が行われ、「正力タワー」なる名称も発表されました。

NHKは600mのタワー建設を発表

 もうひとつのタワー建設計画が明らかになるのは、翌1969年3月のことです。今度はNHKが、渋谷区内に自前の電波塔建設の計画を発表したのです。

 純粋な電波塔として計画されたこちらのタワーは、高さ600mと正力タワーを上回るスペックでした(途中で610mに変更)。NHKも東京タワーから電波を送信していましたが、民間に間借りするような形は本意ではなかったのです。

渋谷区神南にあるNHK放送センター(画像:(C)Google)



 これは、意地の張り合いのような印象を与えました。

 東京タワーで十分に事足りるにもかかわらず、二局が巨大電波塔を建てようとする動きに対して批判的な声が上がるのは必然でした。

 そんなことから、放送事業を管轄していた旧郵政省が調停に乗り出します。

 その結果、公共放送の立場もあり、NHKは建設延期を発表します。そして強気だった日テレ側も、トーンダウンせざるを得ない状況に陥ります。計画の主導者だった正力が、1969年10月に逝去したためです。

 結局、その後は両局とも計画を白紙に、1970(昭和45)年には日テレも東京タワーを利用することになります。

もしタワーが作られていれば……

 もし2本のタワーが建設されていたら、東京の風景はどう変わっていたでしょうか?

 少なくとも正力タワー建設が実現していれば、東新宿におそらく1970年代からビジネスやレジャーの拠点があったと考えられるため、新宿エリア全体の発展の仕方は今と大きく異なっていたでしょう。

 近頃は、“夜の街”とやゆされる一帯も、違った雰囲気になっていたかもしれません。

正力タワーの建設予定地に建つ新宿イーストサイドスクエア(画像:(C)Google)

 なお、正力タワーの建設予定地には、「日本テレビゴルフガーデン」などが建設され、2000年代に「新宿イーストサイドスクエア」として再開発されています。

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