ボートレースで有名 大田区「平和島」の全然平和じゃなかった過去と教訓
2020年9月18日
知る!TOKYOボートレース平和島で競艇ファンにおなじみの平和島。そんな平和島ですが、なぜ「平和」という名前が付いているのでしょうか。旅行ジャーナリストの内田宗治さんが解説します。
ボートレースで有名な平和島
地名にはその語源を知りたくなるものがありますが、大田区の「平和島」もそのひとつではないでしょうか。
京急平和島駅やボートレース平和島などとして、その名はよく知られています。
天然温泉平和島やボウリング場、映画館、アスレチック、ドン・キホーテなどが入る複合型アミューズメント施設の「BIG FUN平和島」(旧名レジャーランド平和島)に行ったことがある人もいるでしょう。

住所地名としても平和島1丁目から6丁目まで存在します。
平和が付く地名で全国的に有名なものとして、広島市の平和大通りが挙げられます。
平和大通りは、原爆爆心地を通る道路を戦後整備した際に名付けられた通りで、惨劇を二度と起こさないように、平和を切に願って命名されたものです。
大田区の平和島にも、平和の尊さをかみしめたくなる歴史が秘められています。
かつては潮干狩りの地として知られた
京急線青物横丁駅から平和島駅にかけて、昭和の初期くらいまで線路の100mほど東は海でした。
線路と海岸線との間には、江戸時代の街道である東海道がのびていました。ボートレース平和島や大井競馬場の地は、この時代、数百m沖合の海にあたります。
昭和10年代の地図を見ると、現在の京急大森海岸駅付近の海岸から沖合200mくらいの所に、南北に細長い小さな島が埋め立てられてできています。陸地とは1本の木造の橋でつながっていました。

場所はちょうど現在ボートレース平和島の観客スタンドがあるあたりです。島の大きさもこの観客スタンドより少し大きい程度です。
島への橋が架かる海岸周辺(現在の大森海岸駅から平和島駅付近)は、古くから潮干狩りの地として知られていました。
明治半ばに海水浴場ができ、明治後期から大正前期にかけて夏季は特ににぎわったといいます。

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