東京「隠居生活」の税金・年金事情
毎月の給料から引かれる、所得税や住民税、年金、保険料。総支給額と比べて実際の手取り額が少ないことに、給与明細を見ながら思わずため息をついた経験はありませんか? 東京で週休5日・年収90万円という「隠居生活」を実践した大原扁理(おおはら・へんり)さんは、こうした税金・年金についてどう考えているのでしょう。(構成:ULM編集部)
※ ※ ※
私は25歳から約6年間、東京で「隠居」をしていました。なるべく働かず、消費も抑え、社会とのかかわりを最低限にして生活する、といった感じです。具体的な数字で言うと、週に2日だけ働き、年収は100万円以下。
個人的にはとても充実して、楽しい時間でしたが、いいところもそうでないところもあるし、他人にすすめるつもりはありません。
でも、もしそういう生活をしてみたいという人がいたら、一番気になることのひとつが、「その間の税金や年金はどうしてるの?」ということだと思います。
私は東京で暮らしていた間は、収入が低すぎて所得税・住民税は発生せず、年金も免除になっていました。
大まかに言って、所得税は年収103万円、住民税は年収100万円以下だと非課税になります。年金は、収入が低い場合は申請をすると、年金事務所の審査によって、全額~4分の1の免除が認められます(免除申請が通ると、10年後まで追納が可能)。
税金・年金の免除中に気をつけていたこと
税金や年金が免除になっていると、「自分は人並みのこともできていないのか」とか考えてしまい、とにかく「自己肯定感」を保つのがむずかしい。特に心身の調子が悪い時には。
人間にとって、「何かの役に立っている」という実感は、「自己卑下」や「無力感」のほうへ心が引きずられてしまうのを防いでくれるように思います。
そこで、低所得でも健やかな毎日のために、私が気をつけていたことを紹介してみます。
●お金以外で何かをする
お金があれば、おそらく一番手っ取り早く、何らかの役には立ちます。しかし低所得の隠居にはなかなかハードルが高い。
そんなときは、お金以外の何かをしておくと、心がネガティブに傾きにくくなります。
といってもそんなに大きなことではなくて、本当に簡単なこと、例えば電車内で必要な人に席を譲る、駅の階段でスーツケースやベビーカーを運んであげる。あるいは友人の家や、お店の雑務を手伝うとかでもいい。ほかにもいろいろありそうです。
実際にやってみると、こんなちょっとしたことなのに、意外と誰もやろうとしないんですよね。たぶん、フルタイムで働いている人にはそんな余裕もなかったりするので、こんな小さなことでも役に立つことがあるんだろうなと思います。
●公共サービスは「ありがたく」使う
また、収入が低いとどうしても公共のサービスを使う局面が多くなります。
目の前の毎日を悔いなく生きること
私は図書館のヘビーユーザーでした。このとき、「申し訳ない」とか、あるいは「当然だ」などではなく、「ありがたい」というポジティブな気持ちで使わせてもらうこと。
これだけでもずいぶん気分が軽やかです。
●税金や年金を払わないことを「目的」にしない
私の東京隠居生活が破綻せず、最後まで楽しく続いた理由は、もしかしたらこれが大きかったかもしれない、と思うことがあります。
隠居生活の話をすると、まるで何かの主義に基づいて税金や年金を払わないでいるかのように誤解されることがあるんですが、私は「人によって、払えるときも払えないときもある」「お金があるときには、もちろん払う」というように考えていました。
それよりも何よりも、目の前の毎日を悔いなく楽しく生きること。それが一番大事なことだったので、税金や年金に、よくも悪くも執着することがなかったのかもしれません。
その後、収入が増えて気づいたこと
2015年に『20代で隠居 週休5日の快適生活』(K&Bパブリッシャーズ)などの本を出版してからは、年収が100万円を少し超えたので、税金や年金を久しぶりに払うことができました。
東京メトロ水天宮前駅の郵便局にて一括で支払ったんですが、そのときのことは今でもよく覚えています。なぜかといえば、お金が出ていくのが、まったく苦ではなく、それどころかすがすがしくすらあったからでした。
いえ、収入や貯金の額でいえば、地元(愛知県)で派遣社員として働いていたときのほうが、よっぽど多かった。つまり昔のほうが「金持ち」だったんです。
にもかかわらず派遣社員当時は、自分以外のために1円でもお金を使うのが、イヤでイヤでしょうがなかった。それが隠居を経て、「すがすがしい」に変わっていた。
隠居生活をしている間に、私に何が起こったのか……。しばし考え込んでしまいました。
隠居生活を経て変わったこと
税金や年金を払うのが嫌だったころと、現在では、何が違うのか。ひとつ思い当たることといえば、そのお金を稼いでいるときの気分でしょうか。
隠居生活以前は、自分がするべき労働や消費の量を、「世間の当たり前」という基準に任せっきりにして、イヤイヤ働いていました。いっぽう現在の私は、隠居生活をして「世間の当たり前」と距離を置いたおかげで、自分が最低限どれくらいのお金があれば生きていけるのかを知っています。
すると、週2日だけではありますが、働くということが、建設的な意味を持つようになりました。「イヤだけど仕方のないこと」から「楽しい隠居生活をおくるために必要なこと」へと意識が変わっていった。それだけで、ずいぶん働いているときの気分が違います。
税金や年金のことだけでなく、スーパーなど、自分の買い物でお金を使うときも同じです。
イヤイヤ働いていたときは、あんなにイヤな思いをして稼いだのだからと、自分が1円でも損しないようにいつもギスギスしていました。でも隠居生活を始めてからは、多少値が張っても生産者や環境負荷のことを考えながら、つまり自分の価値観に照らしながら買い物ができるようになった。
隠居時代にこういう素地(そじ)が出来上がっていたからこそ、たまたま本が出て収入が年収100万円を超えても、税金や年金を払うのがまったく苦にならなかったのかもしれない。
「お金を稼ぐときの気持ちが、使うときの気持ちと対応している」というのは、ずいぶん思い切った仮説のように思います。でも、もし本当にそうだとしたら、稼いだときに気分が悪ければ、それが使うときまで続くことになってしまう。
会社員だと毎月だいたい給与の2割くらいが税金・年金などで引かれていきます。それらを払うのがイヤでイヤでしょうがないというときは、自分がどんな気持ちでそのお金を稼いだのか、点検してみるとおもしろい発見があるかもしれません。