葛飾・足立・江戸川区はブランド化されずにひっそり残った「等身大の解放区」だ【連載】東京下町ベースキャンプ(1)
2020年6月19日
知る!TOKYOかつて江戸近郊の農村部だった東京東部の「下町」。そんな同エリアを、ブログ「限界ニュータウン探訪記」管理人の吉川祐介さんは新たな「拠点」と位置付け、再解釈を試みています。
定義が曖昧な「下町」
1400万人もの人口を抱える東京は、駅や地域ごとに、その街の代名詞ともなる特色やブランド、イメージを持っています。
そんなイメージのひとつとしてよく語られるものに「下町」があります。しかしこの「下町」という言葉は、今日では定義が曖昧なまま多々使用されています。

「下町」として頻繁にメディアに登場するのは、浅草や深川、両国、また俗に「谷根千(谷中・根津・千駄木)」と呼ばれる台東区・文京区周辺など、主に江戸時代からの寺町や旧町人街です。
しかし23区東部の、葛飾区、足立区、江戸川区など、元々は江戸近郊の農村部で、戦後になって急速に宅地化が進められた地域もまた「下町」と呼ばれます。
役割を終えた荒川以東の「下町」
ところが、江戸のイメージと直結し観光産業も盛んな旧町人街と比較すると、荒川以東、中川・江戸川流域周辺の「下町」エリアは、その明確なカテゴライズとは裏腹に、やや漠然とした印象で、広く耳目を集める機会は多くありません。
商業地が少ない純然たる住宅地であるためですが、もうひとつ、そもそも荒川以東の「下町」は、その歴史を振り返ると、既に当初の役割はいったん終えているためです。

戦後、日本が経済発展を遂げる中で、かつて江戸の食料庫として機能した23区東部の農地は次々と工場用地に転用され、職を求めて多くの労働者が流入しました。
当時、あまりに急速に、そして無秩序に進む宅地化の波に対し、区による緑地指定など一定の開発規制も試みられたものの、実際にはほとんど効果はなく、包括的な都市計画は後手に回されたまま町は膨張していきました。
同様の現象は23区南部の大田区など他地域でも見られますが、東部はより広範囲に住宅と工業施設の混在が広がっています。
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