万葉集にちなんだ坂がなぜか文京区にあった――由来とは?【連載】拝啓、坂の上から(3)

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万葉集にちなんだ坂がなぜか文京区にあった――由来とは?【連載】拝啓、坂の上から(3)

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立花加久

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現存する最古の和歌集「万葉集」には、東京の坂にゆかりある歌のほか、新型コロナで疲弊した日本への応援歌のような和歌が収録されているそう。フリーライターの立花加久さんがナビゲートします。

「せんべろ」もお預けだった2020年春

 2020年春は、日本全国が新型コロナウイルスによる自粛ムードに包まれました。気持ちのいい行楽シーズンに何とも恨めしいことでしたが、戦後初めてともいえる非常事態と心得て、多くの人が「コロナが収束するまで」と我慢のときを過ごしました。

 筆者も、いつも仕事帰りにちょっと居酒屋で「せんべろ」と決めていましたが、2020年春は自粛。早めに帰路について、家飲みのさかなをスーパーで買い求めることがめっきり増えました。

 ちなみによく買ったのは安くてお手軽な鶏レバーです。レバーは軽くゆで、ネギとポン酢、そしてオリーブであえたりしていただきます。

 ところでレバーや内臓ホルモン系の名前を聞くと、つい思い浮かぶ四字熟語に「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」なんてのがあります。中国の歴史読本「十八史略(じゅうはっしりゃく)」の中で紹介されている故事に由来しています。

文京区小日向2丁目にある「鷺坂」(画像:立花加久)



「臥薪」は寝心地の悪い薪の上に臥(ふ)して寝て、「嘗胆」つまり苦い胆(きも)を嘗(な)めて戒め、スキルをアップを図ってリベンジを誓うといった、意外に前向きな四字熟語なのです。自粛が続いた日本の気分にピッタリかもしれません。

 さてスキルアップといえば、やはりオススメなのがお手軽な読書です。それも、前出の「十八史略」もそうですが、古典に親しむのはいかがでしょうか。

 中でも、「令和」の出典ともなり注目された「万葉集」は面白いですよ。

京都・旧街道の坂の名が、なぜ文京区に?

「万葉集」といえば、奈良時代末期の8世紀に成立したと言われる、日本に現存する最古の和歌集。

 貴賤(きせん)を超えたいにしえの人々が詠んだ詩歌を編さんした人類遺産ともいえる歌集ですが、市販されている口語訳付きを読むと、現代人のわれわれでも共感でき親しみを感じる歌に触れることができます。

 80年代にはやった「オフコース」調のラブソングから、「石川さゆり」の女の情念を歌った哀歌調や、中にはかつての「クレイジーキャッツ」の植木等のような、明るくて楽観的な「ポジティブ万葉集」と呼びたくなるものまであったりして、歌の背景を想像しながら読むと、短編ドラマを見るみたいに楽しめるのです。

 ちなみにこの「万葉集」と関わりのある東京都内の坂はないかと調べてみると、なんとひとつだけありました。

 文京区小日向にある「鷺坂(さぎざか)」です。

坂の中ほどにある「鷺坂」を示す石柱(画像:立花加久)



 そしてそのゆかりの歌とは、作者不明とも柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ、660~720年頃)作とも伝えられる、

「山城の 久世の鷺坂 神代より 春は張りつつ 秋は散りけり」
(やましろの くせのさぎさか かみよより はるははりつつ あきはちりけり)
(9巻1707番)

です。

 歌の内容は、大昔から人の往還が絶えない街道を、鷺坂から眺める景色が季節ごとに移ろいを見せているという、変わらぬ日々の営みに感動したという内容なのです。

 コロナ禍以前と以後で激変したわれわれの日常を思うと、なんとも感慨深い歌ではありませんか。

 ちなみにこの歌に登場する「鷺坂」は、京都府城陽市の「久世神社」脇を通る、大和から近江へ通じる旧街道にある坂のことです。ではどうして京都の坂を歌った和歌が、東京の坂と関わりがあるのでしょうか?

有志による、時空を超えたバトンリレー

 東京の「鷺坂」がある文京区小日向一帯は、昔から見晴らしの良い高台で、江戸時代には徳川幕府の老中職をつとめた関宿(せきやど)藩主・久世大和守(1609~1679年)の下屋敷があったため、「久世山」という俗称で呼ばれていました。

 そのため、京都の久世にひっかけて「鷺坂」と呼ばれるようになったのですが、その坂が造成されるのは意外にもこの一帯の宅地開発が始まった、大正から昭和にかけてのことだったのでした。

 しかも命名されたのは、住宅地が完成する昭和になってから。その周辺に住む詩人の堀口大学や、三好達治や佐藤春夫といった、発信力のあった当時の文人たちが「万葉集」にちなみ「鷺坂」と呼び合うようになったのがきっかけでした。

 なんとも壮大な、時空を超えた坂の名前を巡る歴史のバトンリレーではありませんか。実際に坂を訪ねてみると、これがなかなか個性的な坂なのです。

 明治以降の坂に多く見られる機械を使った工法による急坂で、坂の途中には坂名と和歌が刻まれた立派な石碑も立っています。

石柱の片面には万葉集の和歌が(画像:立花加久)



 小山を切り堀して造成されたため、両左右を石垣が高く固める迫力ある坂で、上る途中から左へ直角に曲がったかと思えば、すぐに右へ「久世山」を稲妻形に登っていく、変化に富んだアプローチです。

 坂下から石垣を見上げると、一瞬どこかの城を巡っているかのような感覚すら味わわせてくれます。この坂もまた「名坂」といえるでしょう。

ジタバタすることはない、と励ます和歌

 こんな風に坂との由来を探索したり、クスッと笑えたり勇気をもらえたり、しんみり哀愁に浸ったりできる「万葉集」は、ある意味パンドラのおもちゃ箱なのかもしれません。

 そんな和歌による言葉と心の旅を、コロナ禍の脱却を明るく乗り越えるひとつの手掛かりにしてみるのはいかがでしょうか。

 そして最後に、コロナ禍で疲弊した日本へ向けて、本当の終息を祈りつつ、藤原仲麻呂(ふじわら の なかまろ、706~764年)が詠んだこれぞ「ポジティブ万葉集」ともいえる和歌をご紹介したいと思います。

2008(平成20)年に文京区が顕彰する都市景観賞にも選ばれた(画像:立花加久)



「いざ子ども 狂業なせそ 天地の 固めし国ぞ、大和島根は」
(いざこども たはわざなせそ あまつちの かためしくにぞ やまとしまねは)
(20巻4487番)

 さあ人々よ、ジタバタとアホなことはするな。どんなことが起きたって、日本はびくともしないぞ――。

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