ユーミンから広瀬香美まで 「恋愛スキー」を彩った名曲を振り返る
原田知世「指ピストル」のキュートさ テレビや新聞によれば、2020年は記録的な暖冬でスキー場も雪不足だそうです。 ところで、若者のあいだでかつてスキー旅行が流行の最先端になった時代がありました。1980年代の後半、いわゆるバブル景気の時代です。 演歌の世界では、東京から北へ向かう旅は「津軽海峡・冬景色」のように孤独や寂しさの表現でした。しかしその頃の若者たちにとって北へ向かう旅は、まるでパーティーのように胸躍るものだったのです。 特にクリスマス、年末年始、バレンタインともなると、多くの若者が友人や恋人同士でスキー場へと向かいました。長時間行列してリフト待ちする光景も一種の風物詩になるほどでした。 そんなスキーブームのきっかけになったのが、映画『私をスキーに連れてって』(1987年公開)です。監督は馬場康夫で、原作はホイチョイ・プロダクション。主演は原田知世、その相手役が三上博史でした。 映画『私をスキーに連れてって』のワンシーン(画像:ホイチョイ・プロダクション、ポニーキャニオン、シネフィルWOWOW)「角川三人娘」のひとりである原田知世は映画『時をかける少女』(1983年公開)の主演でブレーク、同名主題歌もヒットして歌手としても人気でした。この作品でも白のニット帽に白いスキーウエア姿でゴーグルを外したときの笑顔の愛らしさ、「バーン」と言いながら指でピストルを撃つまねをするしぐさのキュートさは必見です。 一方、三上博史はこの映画がきっかけで注目され、フジテレビ『君の瞳をタイホする!』(1988年放送)などトレンディードラマブームをけん引する俳優になりました。その後さまざまな役柄をこなし演技派としての評価も高まっていきますが、このときはまだ今風に言えばイケメン俳優の立ち位置でした。 映画を盛り上げたユーミンの音楽映画を盛り上げたユーミンの音楽 万座(群馬県)や志賀高原(長野県)などを舞台に繰り広げられる物語は、典型的な「ボーイ・ミーツ・ガール」もの。東京の同じ総合商社に勤めるふたりのもどかしくもほほ笑ましい恋が描かれます。 出会いはもちろんスキー場。まだ携帯電話も普及していない、手書きで電話番号を渡す時代です。ちょっとしたすれ違いがありつつも、ふたりは次第に親密になっていきます。そして終盤仕事上のトラブルが起こってスリリングな展開になりますが、最後は無事ハッピーエンドを迎えます。 この映画を大いに盛り上げたのが、1981年以来毎年苗場でコンサートを開いていたユーミンこと松任谷由実の音楽でした。冒頭に流れる主題歌「サーフ天国、スキー天国」に「BLIZZARD」、そしてなんと言っても印象的なのが「恋人がサンタクロース」です。 名曲『恋人がサンタクロース』が収録された、松任谷由実の1980年発表のアルバム『SURF & SNOW』(画像:(P)An EMI Records release; 1980 UNIVERSAL MUSIC LLC (C) 1980 UNIVERSAL MUSIC LLC) 三上と原田が出会い、少しずつ距離が縮まっていく様子はセリフではなく友人たちとともにスキーをするカットの積み重ねで表現されています。そのタイミングで流れるのが「恋人がサンタクロース」。そこだけを切り取っても一編のプロモーションビデオかCMを見ているような楽しさがあります。 広瀬香美という「冬の女王」 そして1990年代になると、実際スキーにまつわるCMソングが大ヒットする時代が到来します。 広瀬香美のシングル『ロマンスの神様』(画像:ビクターエンタテインメント) 1992(平成4)年に大ヒットした広瀬香美「ロマンスの神様」は、スキー用品販売チェーン・アルペンのCMソングでした。同じくアルペンのCMソングで同名映画の主題歌にもなった「ゲレンデがとけるほど恋したい」(1995年発売)も冬の定番ソングに。ハイトーンが特徴的な彼女は、これら一連のヒット曲で「冬の女王」と呼ばれるようになりました。 時代を読んだ「JR SKISKI」のキャッチコピー時代を読んだ「JR SKISKI」のキャッチコピー JR東日本によるキャンペーン「JR SKISKI」も、忘れるわけにはいきません。 まず1991~1992年には、「Choo Choo TRAIN」がCMソングとなり大ヒットしました。歌ったのは男女混合のダンス&ボーカルユニットのZOO。縦一列の状態から少しずつずれながら身体を回していくイントロのダンスも話題になりました。後にEXILEがカバーしたことでも有名ですが、リーダーだったHIROはZOOのメンバーでもありました。 そして1995~1996年からはglobeがCMソングに起用されます。その一曲「DEPARTURES」は200万枚を超えるセールスを記録し、globe最大のヒット曲になりました。CMには江角マキコと竹野内豊が出演し、東京からガーラ湯沢が日帰りで行けるというのが売りでした。キャッチコピーも「ラクに行こう。」。 globeのシングル「DEPARTURES」(画像:エイベックス・トラックス、(P)(C)1996 AVEX MUSIC CREATIVE INC.) 翌シーズンの「Can’t Stop Fallin’ in Love」もミリオンセラーとなり、こちらもglobeの代表曲になりました。CMには青山恭子と田辺誠一がカップル役で登場し、やはりガーラ湯沢まで日帰りしたあと、東京で彼女の誕生日パーティーを開くというストーリーです。 1998~1999年のGLAY「Winter,again」も、覚えている人が多いでしょう。こちらもミリオンセラー、日本レコード大賞の受賞曲です。CMには吉川ひなのが出演。新幹線のホームで目が合った男性との恋の予感から、スキー場でのデートの様子までを描いています。「愛に雪、恋を白。」のキャッチコピーも記憶に残るものでした。 こう見てくると、若者のスキー文化がJ-POP隆盛の陰の立役者だったのではないかとも思えてきます。ニューミュージックの元祖・ユーミンから始まり、広瀬香美、そして小室ファミリーやGLAYへと続いていくラインは、まさにJ-POPの正統の感があります。それを支えていたのが、戦後日本の若者に根付き始めた遊び文化、その象徴であるスキーだったというわけです。 スキーは「気軽に浸れる非日常」だったスキーは「気軽に浸れる非日常」だった「JR SKISKI」のキャンペーンは、ブランクの後2010年代に復活しています。 再開第1弾の本田翼と窪田正孝、最新版の浜辺美波と岡田健史など旬の若手俳優が起用され、音楽もGReeeeN、SEKAI NO OWARI、back numberなどそうそうたる顔ぶれです。2017~2018年には『私をスキーに連れてって』の公開30周年を記念してポスターやCMに原田知世と三上博史が登場し、音楽にはユーミンの「BLIZZARD」が使われました。 『私をスキーに連れてって』の公開30周年を記念して作られた2017~2018年のポスター(画像:JR東日本) 確かに『私をスキーに連れてって』は、バブルのお祭り気分の産物でした。しかし、そこには時代を超えた若者の心情に触れる部分もありました。うるさい大人の目やわずらわしい都会の日常から逃れ、しばし非日常の世界に浸りたい――そう思ったとき、スキー場の銀世界は、車や新幹線を使えばすぐにたどり着ける別世界でした。 気軽に浸れる非日常は、いつの時代にも必要ということかもしれません。
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