台頭する動画配信サービス
5月25日(月)に緊急事態宣言は解除されましたが、新型コロナウイルスの感染者が再び増加傾向にあるため、外出にはまだまだ注意が必要です。
そのような東京人たちの数少ない楽しみのひとつとなっているのが、動画配信サービスです。サービスの利用が当たり前になったことで、東京人のライフスタイルも大きく変わろうとしています。
何が変わるのかと言えば、家電や家具の「配置」。パソコンやタブレット端末、スマートフォンで寝っ転がって映画やドラマを楽しめるようになったことで、これまで中心となっていたテレビの場所を考える必要がなくなりました。
もっとも大きな変化は、ディスクやテープを収納するスペースがいらなくなったこと。これは、収納スペースの確保に苦労し、時に「断捨離」しなくてはならない都会生活を大きく変えるのではないでしょうか。
正式名称は「デジタル・ビデオ・ディスク」
さて現在のディスクはブルーレイが存在感を示していますが、登場時のインパクトが大きかったのはDVDでした。
その規格が決まったのは1995(平成7)年12月のことで、東芝・松下電器産業などの七社連合とソニー・フィリップス連合が規格の統一に合意。正式名称を「デジタル・バーサタイル・ディスク(DVD)」と決めたのです。
DVDは音楽用CDと同じ直径の光ディスク片面で映画1本分、2時間以上の動画を収録。そのインパクトは実に強力でした。
普及しなかったLD
DVD以前にもっとも普及していたのは、VHSのビデオテープでした。こちらも収録時間は2時間以上ですが、画質は決して良いものではありません。早送りや巻き戻しの手間だけでなく、時としてデッキの中でテープが絡むことも。なにより、とても場所を取るメディアでした。
VHSの上を行く規格は、レーザーディスク(LD)がありました。
日本では1981(昭和56)年からパイオニアが市場に投入し、業務用カラオケで主流となりました。しかしソフトのレンタル禁止を戦略としたことから、一般ユーザーに広く普及することはありませんでした。
ドラマやアニメを全話収録したボックスセットはコアなファンを取り込みましたが、一般的にはVHSで十分と考える人が大半を占めていました。そしてなにより、サイズが直径30センチでレコード状だったことも普及を阻んだ要因でした。
発売当初は8万円もしたプレーヤー
そのような時代に規格が決定したDVDは、各社が参加したことでVHSの後釜を担う「今世紀最後の大型家電商品」と呼ばれました。
規格の決定を受けて、各社が1996(平成8)年11月からDVDプレーヤーを発売。その順番は最初に東芝と松下、続いてパイオニア、三洋電機、日立製作所、赤井電機となりました。
多くの家電製品がそうであるように、最初の価格には今でもビックリします。当時の資料によると、なんと松下の「DVD-A100」が7万9800円、日立の「DV-P1」は8万3000円もしました。
現在、パナソニックが販売しているDVDプレーヤーの価格を見ると、最安値は「DVD-S500」という機種で、わずか4000円程度で販売されています。つまり現在の20倍くらいの価格で売られていたわけで、冷蔵庫や洗濯機を買うくらいの覚悟がいりそうな家電だったのです。
盛り上がるはずだった年末商戦
DVDには、さまざまなセールスポイントがありました。画質は「水平解像度500本以上」でLDを越え、音質はドルビーデジタル/5.1チャンネルでCD、MDも越えました。音声は最大8か国語、字幕は32か国語まで切り替え可能でした。
当時はパソコンでも再生できるとされてましたが、まだパソコンはCDの書き込みすら普及していない時代……しかし今後に夢を見させてくれました。
しかし各メーカーが年末商戦前に投入したDVDでしたが、売り上げはなかなか伸びませんでした。対応するDVDソフトがとても少なかったのが、その理由です。
年末商戦本番の12月になっても、ソフトは50タイトル程度。LDよりも安く3000円台でソフトを買うことができるとされていましたが、肝心の商品自体がまったく足りなかったのです。
実は、この状況を察知したソニーは各社との横並びを止め、DVDプレーヤーの発売を1997年春に延期していました。
ソフトが不足した原因
ソフト不足が起こってしまった原因は、いくつかあります。
ひとつは目玉となるハリウッド映画の投入をめぐり、ソフトのコピー防止策をめぐる交渉が大幅に遅れたことです。
年末の目玉としてアーノルド・シュワルツェネッガー主演の『イレイザー』が投入される予定でしたが、権利を持つタイム・ワーナー社は年内の発売を断念。この余波が日本にも及びます。
また新たな規格ゆえDVDに収録するための画像圧縮技術や技術者が追いつかず、1996年の年末商戦では発売延期や回収騒ぎもいくつか起こりました。
人気タイトルの増加が需要増のきっかけに
ソフト不足による販売不振は、1997(平成9)年になっても続きました。
1997年の年末商戦になっても、ソフトはまだ500タイトル程度。年間100万台の販売が見込まれたDVDプレーヤーですが、実数は3分の1程度でした。
ようやく各メーカーの体制が整ったのは、1998年に入ってからです。この年にはようやく発売されるソフトが約1000タイトルに到達。こうして人気タイトルの増加とともに、DVDは映像作品を楽しむ必需品となっていったのです。
今や、そのDVDに取って代わろうとしている動画配信サービスはどうでしょう。各社ともタイトル数を強化するとともに、オリジナルコンテンツの投入でしのぎを削っています。
いつでも楽しい映像作品を楽しむことができる――。それは都会生活の「必需品」と言っても過言ではありません。