世田谷・東京農大裏手の「石塔とT字路」から漂う、古き江戸の情景

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世田谷・東京農大裏手の「石塔とT字路」から漂う、古き江戸の情景

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荻窪圭

フリーライター、古道研究家

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屋外でも誰にも会わないような、静かな場所で散歩する、通称「三疎」散歩。その魅力について、フリーライターで、古道研究家の荻窪圭さんが解説します。

「三密」ならぬ、「三疎」散歩のすすめ

 結局4月は一度しか公共交通機関に乗らなかった、フリーライターで、古道研究家の荻窪圭です。そんなわけで、年末にできなかった大掃除をしています。

 もちろん家で終日じっとしてるわけではなく、ときどき買い物ついでに近所を散歩しているわけです。開かれた屋外で、ひとりで誰にも会わないような散歩。「三密」の真逆なので、「三疎」とでもいえばいいでしょうか。

 特に私が好む場所は歩いている人がもともとまばらで、実はそういう場所こそ多くの発見があって面白いのですね。

 今回は、そんなご近所「三疎散歩」のすすめです。

「不自然な道筋」を見つけたときの喜び

 以前、古道や神社や城祉や野仏や、そんな歴史の名残を探しながらいろんなところを歩いて気づいたのです、「どこを歩いても何かしら歴史の痕跡が残っていて面白い!」ということに。それも「一見、何でも無い場所」の方が面白いのです。

 私は個人的に「道」が好きなので、道を意識して歩きます。

古い道沿いに残る庚申塔。道しるべを兼ねている(画像:荻窪圭)



 するときれいに碁盤目に区切られた近代の区画の中に、1本だけゆるくカーブしている不自然な道筋が見つかることがあります。そこで古地図に当たると、昔からの道を残したまま周りを区画整理したので不自然になったことがわかるんですね。

 そういう古い道筋には昔からの農家が残ってたり、小さな稲荷がこつぜんと現れたり、時には江戸時代の道しるべやお地蔵さまが残ってたりするのでたまりません。

突然丁字路に現れた庚申塔

 私は世田谷区在住なので世田谷の話になってしまいますが、例えばあるとき、東京農業大学(世田谷区桜丘)の裏手のなんてことない生活道路を歩いてたら、丁字路(ていじろ。T字路)に庚申(こうしん)塔が突然現れました。

赤い丸が庚申塔を見つけた丁字路。人通りの少ない生活道路に歴史の名残が(画像:荻窪圭)



 庚申塔は、江戸時代に流行した庚申講という庚申信仰の集まりが建てた塔です。安永8(1779)年と書いてあります。江戸時代からの古い道だったのです。

 よく見ると、東西南北それぞれの道しるべを兼ねてます。江戸時代の感覚が出てくる地名に現れてきて興味深い。

塔の東西南北が示すものとは

 北は四谷道と書いてあります。ここは世田谷区のだいたい真ん中あたりですから、この場所から四ッ谷は北というより東です。

 地図を開いて考えると、北に向かうと甲州街道があるではないですか。甲州街道にでればあとは四ッ谷まで一本道ですね。おそらくそれを指しているのでしょう。

よく見ると、北四谷道、東青山道と彫られている(画像:荻窪圭)

 東は青山道とあります。

 今の港区青山ですね。確かにこの道を東に向かうと途中で世田谷通りに合流し、三軒茶屋・渋谷を経由して青山に通じています。今の青山通りです。世田谷あたりでは青山に向かう道ということで「青山道」と呼ばれてました。

 西は府中道。

 今の府中市、大国魂神社(府中市宮町)の近くです。古代に武蔵国の国府(今でいう県庁所在地)が置かれていたため、府中と呼ばれるようになりました。江戸時代には甲州街道の府中宿が置かれ、交通の要衝となっており、昔から誰もが知っている著名な場所だったのです。

 で、方向は合ってます。おそらく甲州街道の滝坂あたりを経由していたのでしょう。

南に向かう道がないのに、なぜ?

 南は大山道・二子川道と書いてあります。

 用賀を経由して、今の二子玉川にあった渡しにつながっていました。大山は「大山阿夫利神社」(神奈川県伊勢原市)がある山。江戸時代に大山詣でが流行し、都内各地に「大山道」の伝承が残ってます。

世田谷区と大山阿夫利神社の位置関係(画像:(C)Google)

 でも今の道は丁字路。南に向かう道がありません。民家の間に入ってそこで終わりです。なぜでしょう?

 古地図に当たってみると、謎が解けました。

道をつぶした理由

 たしかに大正時代までここは十字路だったのですが、昭和になって陸軍の自動車学校ができるとき、敷地を確保するために道をつぶしてしまったのです。

赤い丸が庚申塔があった場所。かつては十字路だった。水色は品川用水。今は千歳通りという名の道路になっている(画像:荻窪圭)



 戦後、その土地は東京農業大学になりました。歴史が道を変えてしまったのですね。ちなみに東京農業大学を越えると、用賀につながる古い道筋が残っています。用賀まで行けば、二子玉川まですぐですね。今の玉川通りがそうです。

 この庚申塔がある道、少し西に行くとすごく小さな稲荷神社があります。名前もわかりませんが、昔、このあたりのお屋敷の屋敷神だったのでしょう。そんな地図に載らないような小さな神社との出会いも楽しみのひとつ。

 有名な寺社や大きな事件、城祉や古墳はなくてもどの街も小さな歴史の積み重ねでできてますから、古い道をよく見ながら歩くといろんな発見があります。

小さな歴史散歩の楽しさとは

 どれが古い道かわからない、と思ったらスマホの出番。

道路沿いに残っていた小さな稲荷神社。古い道沿いならではの光景(画像:荻窪圭)

 スマホにはインターネットに公開されている明治時代や大正時代の地図を見られるアプリがありますし、アプリがなくてもウェブブラウザーを使えば「今昔マップ」というサイトで全国の古地図を閲覧できます。

 私は、「スーパー地形」という地形とさまざまな地図を重ねて見られるアプリを愛用しています(iOS版とAndroid版があります)。

 各地域の小さな歴史や昔の地図もインターネット上にいくつか公開されてますから、そういうものも参考になります。

 健康のため、毎日ウオーキングする話をよく聞きますが、同じ道ばかりでは退屈してしまうもの。ぜひ小さな歴史の痕跡を探しながらいろんな道を歩いて、地元を再発見してみてください。著名な史跡を訪れるより楽しめるかもしれません。

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