明治通りと交差する古き橋 40年前の昭和歌謡が物語る悲しき「目白の情景」とは

1979年発表の昭和歌謡「千登勢橋」。同曲とその舞台となった目白の風景について、法政大学大学院教授の増淵敏之さんが解説します。


モデルは目白の「千登世橋」

 1970~80年代に活躍したミュージシャンに西島三重子がいます。現在でも活動しているので、息の長いミュージシャンのひとりといえるでしょう。

 代表作は1976(昭和51)年にリリースされた「池上線」という悲恋の曲で、歌詞に登場する「角のフルーツショップ」の場所について当時議論されたことがあります。結果、作詞家・佐藤順英の証言により、東急池上線の池上駅(大田区池上)だというのが定説になりました。

 今回紹介する曲は、彼女の「千登勢橋」(1979年)です。作詞は門谷憲二。「池上線」の作詞家である佐藤は学習院大学(豊島区目白)出身なので、ずっとこの曲も彼の作詞だと思っていました。なお西島三重子自身が目白にある川村短期大学(現・川村学園女子大学)の出身で、歌にリアリティがあります。

 歌詞に出てくる千登勢橋のモデルとなった「千登世橋」は豊島区目白1丁目と雑司が谷の境界にあり、最寄りの駅は副都心線「雑司が谷駅」と都電荒川線「鬼子母神前停留場」。JR目白駅からも学習院のキャンパス沿いに、目白通りを歩けば5~6分といったところでしょうか。

千登世橋から明治通りを望む(画像:増淵敏之)



 千登世橋は明治通りとの立体交差になっており、東側に隣接する千登世小橋が都電荒川線をまたいでいます。目白通りがちょうど台地状を走る地形を利用して、明治通りを切り通しにして交差させています。

 千登世橋が架設されたのは1932(昭和7)年で、東京で初めての幹線道路同士の立体交差橋ということになります。もちろん土木史的にも価値が認められており、「東京の著名橋」に指定され、一種の文化遺産です。構造形式は上路2ヒンジソリッドアーチ橋というのだそうです。この界隈のランドマーク的な存在であることは間違いありません。

歌詞の世界を彩った「ハンカチ」

 さて、「千登勢橋」の歌詞にはいくつかの印象的なフレーズがあります。

 まず「遠くでカテドラルの鐘」ですが、これはカトリック関口教会(文京区関口)にある東京カテドラル聖マリア大聖堂のことでしょう。

 1899(明治32)年に建設されたこのカテドラルはもともとゴシック式の木造建築でしたが、第二次世界大戦で焼失し、現在の建物は1960(昭和35)年から1964年にかけて、東京大学の音響・構造技術の専門家の支援を得て、丹下健三が設計したものです。一見、カテドラルには見えませんが、上空から見ると十字架の形に見えます。

東京カテドラル聖マリア大聖堂の外観(画像:(C)Google)



 また「千登勢橋から落とした 白いハンカチが ヒラヒラ風に舞って」というフレーズも記憶に残っています。なお先に挙げた「池上線」のなかでも、「白いハンカチ」が出てきます。

 1975(昭和50)年の太田裕美の「木綿のハンカチーフ」のように、この時代は「ハンカチ」が歌詞世界の小道具として活躍しています。シチュエーションはさまざまですが、女性の立場から見ると、「涙」との関係が濃密な小道具といえるでしょう。

 さすがに道路や軌道が下にある千登勢橋の上から「ハンカチ」を落とすのはとても危険です。1978(昭和53)年のさだまさしの「檸檬(れもん)」では、「食べかけの檸檬聖橋(ひじりばし)から放る」というフレーズが出てきます。

 聖橋の下には神田川と並行して中央線、総武線が走っていますが、檸檬は神田川に落ちます。この行為も現実的に考えると危険です。しかしながら歌詞世界でこのような手法はよく見られ、文章技法でいえば比喩に当たります。別のものに感情などを仮託するのです。

 西島三重子には「目白通り」という曲もあって、こちらの作詞は「池上線」の佐藤順英です。この作品の歌詞にも千登世橋が登場します。やはり場所的な親近感というのか、彼女の作品には目白は不可欠なものだったのでしょう。

なぜ橋の名前が違うのか

 時代の流れで、千登世橋の界隈は幾分変わりました。当時は「雑司が谷駅」(2008年開業)がなく、目白駅周辺にも商業施設はありませんでした。しかし学習院大学や川村学園、目白小学校(以上、豊島区目白)、そして日本女子大学(文京区目白台)など教育施設が多いため、劇的な変貌を遂げていません。かつての佇まいは残っています。

千登世橋の東側に隣接する千登世小橋から荒川線を望む(画像:増淵敏之)



 ただ、現在は東池袋から学習院下までトンネル化を予定している「環状第5の1号線」の工事が進んでいます。この工事は池袋駅前の明治通りの混雑緩和に寄与すると言われていますが、都電荒川線の移設を含め、周辺はかなり変わると予測されています。東京都心部にしては珍しく素朴で、落ち着きのある風景が残されているエリアなだけに、少し残念です。

 1970~80年代は筆者にとってもう記憶の彼方です。しかし大学生の頃に何度か千登世橋を渡わたりました。ひとりだったのか、誰かと一緒だったのかは忘れました。

 前述のとおり、西島三重子の曲では千登世橋ではなく、千登「勢」橋。字が一部違っています。その理由を調べたのですが、謎のまま。単なる勘違いなのか、千登「勢」橋の方が字面がよかったからなのか、知っている人がいたら教えてください。


【地図】「千登勢橋」のモデルになった橋の場所を見る

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