スガシカオ『オバケエントツ』――光化学スモッグ世代による下町への愛憎物語 荒川区【連載】ベストヒット23区(18)

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スガシカオ『オバケエントツ』――光化学スモッグ世代による下町への愛憎物語 荒川区【連載】ベストヒット23区(18)

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スージー鈴木

音楽評論家。ラジオDJ、小説家。

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人にはみな、記憶に残る思い出の曲がそれぞれあるというもの。そんな曲の中で、東京23区にまつわるヒット曲を音楽評論家のスージー鈴木さんが紹介します。

荒川区で最もメジャーな駅とは

 この連載を書くときには、まずそれぞれの区の地図を見るのですが、これがなかなかに発見が多いのです。今回、荒川区の地図を見て学んだこと――「荒川区は荒川に接していない」。荒川区が接しているのは隅田川なんですね。

 荒川区の南西を山手線がかすめています。荒川区で最もメジャーな駅といえば山手線・日暮里駅ではないでしょうか。「にっぽり」という、何ともチャーミングな響きも印象に残ります。

日暮里駅前の様子(画像:写真AC)



 この「日暮里」を全国区にしたのが、小林旭のヒット曲『恋の山手線』(1964年)です。山手線の駅名を歌詞に織り込んだコミックソングなのですが、今改めて聴くと、少々無理やりなダジャレが多いのです。

 例えば2番。

「♪始め大塚 びっくりに」
「♪高田のバー(野暮な註:高田馬場)で 酔ったとき」
「♪胸の新宿 うちあけた」

あたりは、すんなりと意味が入ってこない。その点、1番でさんぜんと光る「♪日暮里笑った あの笑(え)くぼ」の分かりやすさたるや!

 ちなみにこの歌詞、こちらも荒川区の西日暮里駅は入っていません。

 実はこれ、忘れられたわけではなく、1964(昭和39)年の段階で、まだ駅が無かったのです。西日暮里駅の開業は1971年で、山手線で2番目に新しい駅。もちろん最新駅は、高輪ゲートウェイ駅。この駅名をダジャレにするのも、かなり無理やりになりそうですね。

ラップがうまかった伊集院光

 荒川区のことを直接的に歌った珍しい曲として、荒川ラップブラザーズの『アナーキー・イン・AK』(1992年)があります。知名度は関東ローカルかもしれません。ニッポン放送で1991(平成3)年から1995年にかけて放送されていた『伊集院光のOh!デカナイト』というラジオ番組の中で生まれた企画物。

 荒川ラップブラザーズとは、荒川区出身の伊集院光と、いわゆる「小室系」の一員として知られた久保こーじのユニットで、『アナーキー・イン・AK』の「AK」とは荒川区のことを指します。

1992年3月に発売された、荒川ラップブラザーズの『アナーキー・イン・AK』(画像:ソニー・ミュージックレーベルズ)



 先日、DJとして私(スージー鈴木。音楽評論家)がレギュラー出演しているラジオ番組『9の音粋』(BayFM 月曜21~23時)で、この曲をかけたのですが、単なる企画モノと思いきや、音楽的に聴きどころの多い、実にウェルメイドな出来に驚きました。

 まずびっくりしたのが、伊集院光のラップのうまさ。オールドスクールなラップなのですが、さすが、現在に至るまでラジオスターの座をほしいままにしている伊集院光、その滑舌がさえ渡るラップは見事の一言。

 さらに素晴らしいのは、伊集院光による歌詞です(作詞名義「HIKARU」)。1970年代から1980年代に至る荒川区の風景が、見事に描かれています。その風景とは、空き巣の出没や、勉強ができない子ども、校内暴力、暴走族という、荒廃した下町の風景。

 多少誇張もあるのでしょうが、幼い頃の伊集院光には、大なり小なり「荒れた荒川区」が見えたのでしょう。締めもいい――「♪どんなものにもなれると思って 髪かきむしって見たAK」。

スガシカオのさえた「下町感覚」

 話を再度、日暮里に戻します。4年前の2016年に発表された、人気音楽家のある曲の歌詞に突如「日暮里」という文字列があるのを発見しました。スガシカオのアルバム『THE LAST』に収録された『青春のホルマリン漬け』。

 とても「いなたい」ブレークビーツに乗って、「♪終電を逃し」「♪そこに入った」のは「♪日暮里のせまいラブホテル」と来ます。日暮里のラブホテルを描いたポップスなんて、空前絶後ではないでしょうか。

 東京都出身のスガシカオですが、下町エリアに住んでいたこともあったらしく、日暮里のラブホテルという舞台の選択にも、彼の下町感覚が生きているのだと思います。

2016年1月に発売された、スガシカオの『THE LAST』(画像:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)



 しかし今回は、この『青春のホルマリン漬け』ではなく、アルバム『THE LAST』で、その次に収録されている『オバケエントツ』を「ベストヒット荒川区」に認定したいと思います。

みんな「光化学スモッグ」世代だった

 東京下町で「お化け煙突」というと、見る方向によって1本にも4本にも見えたという千住火力発電所の煙突のことを指しますが、この煙突は1964(昭和39)年に解体していますので、1966年生まれのスガシカオは見たことがないはず。なので、象徴的な意味合いで使っているのでしょう。

 ちなみに、千住火力発電所は足立区でした。ただ位置を確認しますと、隅田川越しに荒川区を見下ろす位置にあったようです。

1947(昭和22)年発行の地図。真ん中に「東電火力」の記載がある(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕).



 スガシカオより一世代上の「荒川っ子」は「お化け煙突」を見上げながら暮らしていたのです。

「♪オバケエントツの黒いけむり」は、「♪街の子供の影を食べるという」。自分の「♪卑屈や無気力」は「そのケムリを吸いすぎたせいさ」。続く歌詞にシビれます――「♪君は ぼくの街 こんな街 好きになってくれるかな」

 この感覚は、私にも実によく理解できます。スガシカオと同い年で、いかにも下町な、東大阪市の街外れ出身。このような気持ちになったことは一度や二度ではありません。

 ふと頭に浮かんだのは「光化学スモッグ」のこと。私が小学生だった1970年代に急激に進んだ大気汚染現象のひとつで、夏の日中に「光化学スモッグ」の「注意報」や「警報」が出されると、外にいると危険ということで、体育の授業が休講になるのです。

 スガシカオも、ひとつ下の伊集院光も、みんな「光化学スモッグ」世代だったはず。そしてケムリに沈んだような下町の姿を、愛しながら、憎みながら、大きく強く育っていったのです。

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