板橋と世田谷が生んだコンビ「とんねるず」 人気のウラにあった、ふたりの「地元愛」とは

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板橋と世田谷が生んだコンビ「とんねるず」 人気のウラにあった、ふたりの「地元愛」とは

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太田省一(社会学者、著述家)

板橋区成増と世田谷区祖師谷大蔵が生み出したお笑いコンビ「とんねるず」。そんな彼らの魅力について、社会学者で著述家の太田省一さんが解説します。

「テレビっ子芸人」の第1世代

 学校の人気者とプロのお笑い芸人は似て非なるもの。必ずしも学校の人気者が芸人として大成するとは限りません。

 ただ、例外もいます。明石家さんまなどは高校時代から人気者だったようですが、とんねるずもそうでした。

 とんねるずの石橋貴明は東京都板橋区成増、木梨憲武は同じく世田谷区祖師谷大蔵の出身。そして東京の私立高校である帝京高校に通っていた同級生であることは有名でしょう。

 石橋が野球部で、木梨がサッカー部。どちらも全国レベルの強豪校です。その経歴は、いまも『とんねるずのスポーツ王は俺だ!!』(テレビ朝日系)で生かされています。

とんねるず(画像:AWA)



 生まれたのは、石橋が1961(昭和36)年10月で木梨が1962年3月。ちょうど池田内閣による所得倍増計画が打ち出され、戦後の日本が本格的な高度経済成長期を迎えようとしていた頃でした。それは同時に、テレビが娯楽の王様になった瞬間でもありました。

 物心ついたときにはテレビが当たり前にあった彼らは、純粋なテレビっ子芸人の第1世代と言えます。そのことは、ネタにも色濃く反映されました。

初のテレビ出演は高校生

 ふたりはプロになる前の高校生のときに、すでにテレビに出演しています。

 例えば、日本テレビの『TVジョッキー』という日曜午後の素人参加番組。そのなかに「ザ・チャレンジ」というお笑いネタを競い合うコーナーがあり、石橋と木梨は「笑いながら怒る人」のネタで人気だった竹中直人などとともに、その常連でした。

1995年発表。コンビの誕生秘話などが書かれた『貴明と憲武』(画像:鹿砦社)

 その頃から、ふたりのネタはアントニオ猪木や和田アキ子の物まね、アニメ『巨人の星』や『魔法使いサリー』の一場面の再現などテレビが元でした。

 それは、同じ素人参加番組の『所ジョージのドバドバ大爆弾』(東京12チャンネル)への出演をきっかけに、コンビ「貴明&憲武」になってからも変わりませんでした。深夜のお色気番組『11PM』(日本テレビ系)のオープニングシーンをふたりで再現するネタなどは、まさにテレビっ子の面目躍如といったところでした。

当時は“暴れん坊”だった

 そしてふたりはB&Bやコロッケを輩出した日本テレビのお笑いオーディション番組『お笑いスター誕生!』に挑戦、2度目のチャレンジで9週目まで勝ち抜きます。そのときはすでにコンビ名が「とんねるず」になっていました。

 その後女子大生ブームを巻き起こしたフジテレビの深夜番組『オールナイトフジ』(1983年放送開始)、そしておニャン子クラブが大ブレークするきっかけとなったフジテレビ『夕やけニャンニャン』(1985年放送開始)にレギュラー出演。このあたりでとんねるずは、若者のカリスマ的存在になっていきます。

現在では絵本も手掛ける木梨憲武(画像:双葉社)



 当時のとんねるずには、“暴れん坊”のイメージがありました。

『オールナイトフジ』で「一気!」を歌ったときテレビカメラを引きずり倒して破壊したり、『夕やけニャンニャン』ではスタジオ観覧の客に思い切りキックを見舞ったりとやりたい放題。

 現在では伝わりづらいかもしれませんが、バブル前夜の当時はテレビが「なんでもあり」になった時代でした。とんねるずは、その時代の波に乗ったのです。

仮面ライダー愛が詰まった「仮面ノリダー」

 そしてとんねるずの場合は、そこにやはり濃すぎるほどの「テレビ愛」があったと言うべきでしょう。生粋のテレビっ子が、憧れのテレビのなかで自由に遊ぶことを許される。これほどの幸運はありません。

 そして彼らはその幸運を満喫し、同世代の若者たちは彼らに羨望(せんぼう)のまなざしを向けました。それだけテレビは、まぶしい世界だったのです。

 しかし、とんねるずはただの“暴れん坊”では終わりませんでした。

 1988(昭和63)年には、フジテレビでレギュラー冠番組『とんねるずのみなさんのおかげです』がスタート。そこで大人気となったのが、「仮面ノリダー」でした。

4月28日、自身のInstagramで「仮面ノリダー」姿を披露した木梨憲武(画像:アライバル)

 いうまでもなく特撮ドラマ「仮面ライダー」のパロディーですが、そこにパロディーにつきものの辛口の風刺などはありません。

 確かに誇張やギャグもありますが、むしろ木梨の主題歌の歌いかたから、元ネタと同じように採石場で怪人と戦うところまで、本格的な“仮面ライダーごっこ”をやりたいという純粋な気持ちが伝わってきます。

 ちゃかすのではなく、細部まで再現しようとするのがとんねるずのパロディーでした。それもまた、彼らの「テレビ愛」がなせる業でした。

運動部出身者ゆえに軽いフットワーク

 とんねるずは、歌手としても大きな成功を収めました。初めての大ヒット曲になった「雨の西麻布」(1985年発売)も、ムード歌謡のパロディー。その後もフォーク風、アイドルソング風など、数々の「〇〇風」ソングを歌いました。

 彼らのファーストアルバム「成増 とんねるず 一番」(1985年発売)にも、やはりパロディーソングが多く収められています。

1985年発売の「成増 とんねるず 一番」(画像:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)



 ただ一方で、アルバムタイトル通り、ふたりの「地元愛」を感じさせる曲も入っているところがユニークです。

「バハマ・サンセット(New Version)」はそんな地元ソングです。

 石橋の「よそ者の奴には聞いてほしくないな、成増のやつだけ聞いてくれ」、木梨の「祖師谷大蔵の住民、応援よろしく!」というセリフから始まるこの一曲。

 地元の人間しか知らないようなパチンコ屋やお米屋さんの名前が出てくるかと思えば、石橋と木梨の初恋女性の名前が実名で連呼されるといったもの。それをムードたっぷりに歌い上げるふたりに思わず笑ってしまいます。

「わかる人にしかわからない」とはまさにこのことですが、こういう曲を堂々と歌うところがまた、とてもとんねるずらしくありました。

 テレビという夢の舞台と、地元という身近な現実。この両極端な世界を、運動部出身らしく自由自在に行き来するフットワークの軽さに、とんねるずの魅力はあるように思います。

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