インスタ世代には分からない……日本初SNS「mixi」で人々が経験した胸キュンと黒歴史

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インスタ世代には分からない……日本初SNS「mixi」で人々が経験した胸キュンと黒歴史

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宮野茉莉子

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日本のSNS創生期を支えたサービスといえば、やはりmixi。30代以上の人たちは懐かしく思い出すのではないでしょうか。今はやりのInstagramには無くて、mixiにはあったものを、ライターの宮野茉莉子さんが当時の思い出とともに振り返ります。

日本のSNS黎明期を支えたmixiの思い出

 2020年の今でこそ誰もが使うツールとしてすっかり定着し、種類も増えたSNSですが、現在30代半ば以上の人たちが初めて体験したSNSといえば、おそらく「mixi」か「GREE」だったのではないでしょうか。ちなみに筆者やその周辺は、mixi派が多数を占めていました。

 2004(平成16)年にサービスを開始したmixi(運営会社ミクシィ。渋谷区渋谷)は、日本にSNSが浸透する黎明期(れいめいき)を支えた立役者。SNS文化がすっかり定着してから火が付いたTwitterやInstagramとはひと味違う、「初めてのSNS」ならではの魅力やハプニングに満ちあふれていました。

mixiのロゴマーク(画像:ミクシィ)



 現在はTwitterやfacebook、Instagramなどを併用している筆者。アカウントを取得した最初の頃こそいろいろ書き込んでいたものの、いつの間にやら、どれも「ウオッチ専用」のアカウントと化しています。

 目新しいSNSが登場するたび飛び付いてはみるものの、だんだんと「もういいかな」と投稿意欲が下がっていき、ほかのユーザーの書き込みをときどき眺めるだけになっていってしまったのです。

 そういう人、今どきのSNSにはけっこう多いのではないでしょうか。

あるある1 リアルとSNSの線引きに悩む

 今思えばmixiは、筆者が初めて、かつ最も長く愛用したSNSでした。

「招待制」を取っていたmixiは、すでにアカウント登録をしている知人・友人からの招待メールを受け取って初めて参加できるという仕組み。ツイッターなどと比べてユーザーの身元がある程度特定されている分、信頼性が高いというのが売りでした。東京の大学生だった筆者も友人に招待してもらい、使い始めたのは2006年頃。

 いざ登録してみると、大学の友人はもちろん、地元小中高の友人たちのアカウントまで発見。当時、旧友とこれほど気軽につながれるサービスは画期的。本来なら「もう会うことも、連絡を取ることもなかったはず」のあの子と簡単に“再会”できてしまうことに、とにかく驚きを隠せませんでした。

mixi内で旧友との再会を果たしたり、恥ずかしい日記を書いたり、初めてのSNSに夢中になった当時(画像:写真AC)

 会うはずのない彼らの近況を知ることができ、思いもよらない意外な一面や趣味嗜好(しこう)まで知ることができ、日記やコメント機能を使えば、以前クラスメートだったとき以上の関係を築くことだってできます。

 それまで、生身の人間関係しか経験がない人がほとんどの時代。mixi内で生成される関係性は、とにかく不思議な光景に思えてならなかったはずです。

 これはSNS初期の「あるある」かと思いますが、人々を悩ませたのが「SNSで知った情報を、リアルでどう扱ったらいいのか?」という素朴な疑問です。

 例えば友人があるバンドの大ファンだということをmixiの投稿で知ったものの、リアルで直接聞いたわけではないため、その子と会ったときに話をどう切り出していいものか……正解が分からず、つい知らないふりをしてしまったこともありました。

 リアルなコミュニケーションこそ全てだった時代に、SNSはあくまでバーチャルなもの。ふたつの世界の線引きは今よりずっと明確で、断絶した片方の世界での話題をもう一方の世界に持ち出すことは、もしかしたらマナー違反なのかもしれない? と妙な気遣いが働いたものでした。

あるある2 赤裸々なポエムを全力で執筆

 さて、mixiでは友人たちと「マイミク(マイミクシィ = 友達登録)」になり、それぞれの投稿を互いに閲覧することができます。

「日記」の機能では、今思えば穴に入りたくなるような恥ずかしい内容も書いていました。その日にあったことだけでなく、日々の学びや気付き、近未来の目標や将来の夢について熱く語り、好きな歌詞を引用し、果ては恥ずかしいポエムのようなものまで。

 リアルの世界ではほとんど人に見せることのない「私の内面」が、ひとりパソコンの画面に向かい、それがまた夜中だったりすると、次から次へと大暴走してしまうのですね。

 今では「SNS映え」を意識して自分をよく見せることのできる人が多いようですが、当時はむしろ進んで自分をさらけ出したり、聞かれてもいないことまで赤裸々に語り出したり、ある種ストイックなまでに「素の自分」を表現していた人が多かったように思います。それがなぜかと問われると、なかなかうまく答えられないのですが……。

 mixiユーザーに、大学生をはじめとする若者が多かったというのも理由のひとつにあるかもしれません。何にせよ、恥ずかしい日記とそれに伴う反省を繰り返しながら、人々は「リアルとネットの使い分け」を学んでいったのでした。

夜中に「日記」を書くのはとても危険だった。うっかり赤裸々なポエムのような文章を書いてしまうことがあったから(画像:写真AC)



 mixiの代表的な機能のひとつに「コミュニティ」がありました。趣味はもちろんのこと、音楽のジャンルや具体的なバンド、漫画、旅行先、食べ物など、さまざまに細分化されたグループがmixi内には存在していて、それが各ユーザーのプロフィル欄に表示されるため、自分がどのような趣向なのかを表す自己表現のツールにもなります。

 参加しているコミュニティーが多ければ多いほど、似たタイプの人たちと知り合え、時に友情が生まれ、筆者が住んでいた東京はmixiユーザーも多かったため、いわゆる「オフ会」が開かれたこともあります。

 見ず知らずの人と「友達」になれる面白さや、自分自身の発信に人からの反応が得られるという初めての体験にすっかりハマり、気づけば日々の投稿に「全力投球」する人が続出していました。

あるある3 足あと機能での恋の駆け引き

 mixiで一番記憶に残るものといえば、何といっても「足あと」機能です。自分のページを、誰が何日の何時何分に訪問したかを教えてくれるこの機能で、やや過剰なほどに一喜一憂していたのは、当時恋をしていた人たちでしょう。

 好きな人ができると、その人の足あとが自分のページに残されていないか毎時間のようにチェックするようになります。相手の足あとを発見すると「今日は私のことを思い出してくれたんだ!」と天にも昇る気持ちに。自分が相手のページに足あとを付けた直後に、向こうからも足あとが返ってくると、「今メール送ってみようかな!?」と悩んだものでした(当時はLINEはなく、メールだったのです)。

 そして悩ましいのが、好きな人が投降した新しい日記に足あとをつけるタイミング。

「今すぐ読みたいけど、投稿してすぐ読みに行ったら好きってことがバレちゃいそう」
「ゆっくり日記を読んで、じっくりコメントを考えたいけど、滞在時間が長いと意識しているのがバレちゃいそう」
「足あとを何回も付けると引かれちゃいそう」

などなど。

 たった1回の足あと(相手のページへの来訪)をいかに有意義に活用するかということに、恐ろしいほどに迷い、戦略を練ったものでした。

好きな人の「足あと」ひとつで、半日ぐらいはドキドキして過ごしたあの頃の思い出(画像:写真AC)



 この足あと機能はいろいろと賛否両論があり、2011年6月に廃止されたそうですが、好きな人の足あとを見つけたときの胸の高まりと、足あとを付けるべきか付けざるべきかと悩んだ「恋の駆け引き」を、当時の甘酸っぱい恋心とともに懐かしく思い出す人も少なくないでしょう。

 今となっては誰もがすっかりSNSに慣れて、SNSの世界で自分を上手に見せたり、ビジネスシーンで利用したりするのが当たり前になりました。mixi全盛期のアレコレは、多くのユーザーにとって初めてのSNSであったことと、20歳そこそこという若さが相まっての「失態」だったかと思います。

もう一度SNSに本気になりたい今日この頃

 SNSはおそらく今後も進化し、無くてはならない存在であり続けます。そう考えると、最近の筆者のように「もう使わなくていいかな」ではなく、「もう1回、昔みたいに楽しみたい」と向き合うのが正解なのかもしれません。

 特に新型コロナウイルス禍にある2020年5月、リアルで人に会えない分、なおさらSNSの利点が際立ちます。

 こんな時期だからこそSNSの良さをあらためて見直したい。そう思うのはきっと、筆者だけではないでしょう。

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