テレワーク中の出社理由、1位は「印鑑、紙書類」
「新型コロナウイルスで在宅勤務になったのに、上司のハンコをもらうためだけに今日出社しないとならない……」「取引先が印鑑が必要」といった声がSNSなどで散見されるこの頃。
新型コロナウイルスの感染拡大により推奨される在宅勤務(テレワーク)ですが、政府の期待するようには企業のテレワークは進みませんでした。
東京商工会議所が都内23区の中小企業を対象に行った調査によると(2020年3月13~31日、有効回答約1300社)、テレワークを「実施している」と答えた企業はわずか26%程度。
4月11日(土)には安倍晋三首相が緊急事態宣言の7都府県に対し、「オフィス出勤者7割減」を要請するまでに至りました。
冒頭に挙げた会社員の声の通り、リモートワークが進まない理由のひとつに日本特有の「ハンコ文化」があります。
2019年9月の内閣改造で「日本の印章制度・文化を守る議員連盟(通称・はんこ議連)」の会長を務める竹本直一衆院議員がIT担当大臣に就任し、「(ハンコ文化とITの発展)ともに栄えるために知恵を絞りたい」と発言し賛否を呼んだのは記憶に新しいところ。
日本のビジネスにおいては、持ち出し禁止の代表者印(実印)や銀行印、会社印(認め印)をはじめ、役職員や個人印が存在するという複雑な状況です。
経営財務の国際資格認定機関である日本CFO協会(千代田区平河町)の調査によれば、「上場企業などの経理・財務部門幹部の4割は新型コロナウイルスの感染拡大が始まった2、3月には約7割がテレワーク勤務を実施した」といいます。しかしそのうち41%が「テレワーク実施中に出社する必要が発生と回答した」とのことです。その出社の理由で最大のものが「請求書や押印手続き、印刷など紙データの処理」でした。(『日経BizGate』2020年4月7日付)
「ハンコのためだけに出社して身を危険に晒(さら)さなければいけないなんて……」。そんな経理・財務担当者の声が聞こえてくるようです。
ハンコを使うのは今や世界で日本だけ?
日本では、いつ頃からハンコ文化が根付いたのでしょうか。庶民の識字率の低さもあり、江戸時代には一般的に使われていたと言われますが、実印を使う印鑑登録制度が始まったのは明治時代の初期です。
さらに歴史をたどると、漢から金印が贈られた弥生時代までさかのぼります。この金印ですが、中国では文書に封をするのに使われていたものです。
そんな中国では、現在、契約締結にサインが用いられています。
全日本印章業協会(千代田区神田神保町)の中島正一会長によれば、「(2016年時点の)10年ほど前までは中国や韓国、台湾にも印鑑登録制度がありましたが、今も続くのは世界で日本だけ」ということ(『NEWSポストセブン』2016年7月20日付)。
韓国については、1910(明治43)年の日韓併合後に日本の指示によって印鑑証明が行われるようになりました。しかし韓国では名字の種類が少なく、ハングル文字はハンコの偽造が容易でトラブルが起こっていたことから、印鑑証明制度を段階的に全面廃止する旨が2006(平成18)年1月に発表されました。
日本にも他人がハンコを不正使用する問題があります。例えば鈴木さんとか田中さんといった人数の多い名字のインク浸透印(いわゆるシヤチハタ)を誰でも簡単に手に入れることができます。100円ショップでも売っているくらいの手軽さです。
本人不在でも他人が押印(おういん)できる奇妙さ。かたくなに守り続けているハンコ文化を、海外の国々はとっくに卒業しているのです。
「原本主義」ですらないイギリスの例
欧米は皆さんご存じの通り、ハンコを使いません。サインです。場合によっては署名を目撃した立会人がサインをする場合もあるのですが、それがなくても有効性は変わりません。
日本と違う点では、他に契約書は全ページにサインすることで途中ページの改ざんを防ぐなどといったことがあります。
また、原本でなくても問題ないとする考えが浸透しています。契約書にサインし、先方にPDFやファクスで送るだけでOKなのです。
ビジネスではありませんが、筆者(鳴海汐。ライター)の個人的経験を話すと、イギリスで短期留学するため入国時にビザをもらう際、語学学校の入学許可書の原本を提示する必要があります。語学学校からは、「届かなかったらPDFでも大丈夫」と言われても半信半疑でした。日本のように原本主義ではないのです。
さらにイギリスに「社判」がないのは、会社ではなく個人を基準とする考え方につながっているのかもしれないと思いました。
ハンコレス化、ペーパーレス化のメリットは
普段から在宅ワークをしているフリーランスライターである筆者は、基本的にペーパーレスで動いています。クライアントの一部には最初に契約書・機密保持書のようなものへの押印を求めているところがありますが、個人的な経験からすると多数派ではありません。
請求書については、ハンコの印影データを貼り付けてPDFにして送っていますがNGになったことはありません。
デジタル化で一番助かったことといえば、2019年の前半、イギリスでノマドワーク(デジタル機器を用いてオフィス以外の場所で仕事をする働き方)をしていた際にオンラインで無事確定申告を行えたことです。このようにプリントアウト、スキャン、郵送などの手間がかからないことが、国内海外問わずどこでも仕事ができる自由さにつながります。
個人的にはハンコを押すときの厳かな気分も好きですし、開運ハンコをオーダーしたくらいです。しかし、ハンコによって行動が制限されたり、手間が増えたりすることは、時代の雰囲気には合わないものと感じています。
デジタル時代のハンコの代替物
先ほどハンコの印影データを使っていると話しましたが、これは電子印鑑と言います。画面上でサインする電子署名もあります。
また、書面を暗号でやりとりすることを電子契約と言います。電子契約を完全導入とは言わなくとも使い始めている企業は、国内で現在4割なのだそうです。
セキュリティーに関しては、電子文書に時刻を打刻する「タイムスタンプ」や電子的な社印の「eシール」といったことで信頼性を高めていこうとしているところです。国はこれから、事業者認定などを進める段階です。
そもそも印鑑の法的効力とは?
そもそも印鑑にはどれだけの法的効力があるのでしょうか。
日本郵便やアマゾンに続き、ヤマト急便の「置き配」が新型コロナウイルスの情勢下で可能になりました。荷物の受け取りに、ハンコかサインが必要だったのが、省けるようになったのは大きなことだと思います。
実は、「認め印には法的根拠がない」ということから、実現できたのかもしれません。
書類はハンコそのものより、ハンコを押す人の意図が大切です。このような形式にこだわることで、意図があるのに回り道するのは愚かしいこと。
そう考えてインターネットで情報を調べていたら、英米法において、「契約の成立は『申込に対して承諾があったとき』(= 当事者の意思が合致したとき)であって、『書面である必要はなく、口頭でも成立する』というのが原則」(『BUSINESS LAWYERS』 2018年05月14日付)とありました。
大震災時、重視されたのは「本人確認」だった
さらに日本においても、契約書には印鑑を押していなくても、「署名があれば、印鑑の有無にかかわらず有効」なのだそうです。「原則として印鑑自体には何か特別な法的効力があるわけではない」「さらにいえば、契約書などなくとも、口頭や、メール・LINEでのやり取りであっても、そこで合意がなされれば契約は有効に成立するのです」。(関口法律事務所 2020年2月4日)
東日本大震災のときを思い出してみましょう。通帳もカードも印鑑も無くなってしまったとき、ゆうちょ銀行は20万円まで、他の金融機関は10万円まで引き出すことができました。本人確認を重視したのです。
つまり、ルールはやろうと思えば変えられるはず。大切なのは「どうにかしようとする意志」なのではないでしょうか。