2020年春開業「高輪ゲートウェイ駅」の駅名に反対論が噴出するワケ

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2020年春開業「高輪ゲートウェイ駅」の駅名に反対論が噴出するワケ

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小川裕夫

フリーランスライター

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2020年春に暫定開業する高輪ゲートウェイ駅。同駅は半世紀ぶりの山手線新駅ということで注目をあつめていますが、一方、その駅名にはいまだ強い反対意見が存在します。いったいなぜでしょうか。フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。

たった36件の応募だったのに

 2019年11月16日(土)、JR東日本は大崎駅~東京駅~上野駅間の山手線東側半分を始発から夕方まで、京浜東北線の品川駅~田町駅間を終日運休にしました。比較的利用者が少ない土曜日とはいえ、東京の大動脈でもある山手線と京浜東北線を長時間にわたって運休することは前代未聞の出来事です。

 こうした異例の事態が取られたのは、田町駅~品川駅間に新設される高輪ゲートウェイ駅のために線路切り替え工事が実施されたからです。

建設中の高輪ゲートウェイ駅(画像:写真AC)



 2020年の新規開業を目指す高輪ゲートウェイ駅は、山手線では西日暮里駅に次ぐ新駅です。開業が発表されてから、世間から大きな注目をされてきました。また、新駅開設や周辺開発にかけるJR東日本の意気込みにも並々ならぬものがあります。

 JR東日本は新駅の名称を自分たちで決めず、広く一般公募しています。これは話題づくりという面もありますが、駅周辺の企業や住民との一体感を強める効果を期待したものです。

 一般公募には、6万件を超える応募がありました。抜群の知名度を誇る山手線とはいえ、全国から広く駅名案が寄せられたことは、それだけ新駅に対する関心が高かったということです。

 寄せられた新駅名案のうち、もっとも多くの人が案として寄せたのが“高輪駅”です。次いで芝浦駅、芝浜駅と続きます。個人の好き嫌いはありますが、これら3候補は誰もが納得しそうな駅名です。

 山手線の駅名は、駅が立地する地名・町名から採用されることが通例とされてきました。そうした背景があるため、公募でも高輪駅が1位になりました。また、2014年には地元の港区議会が新駅名を“高輪駅”にする請願を採択しています。

 しかしJR東日本が採用したのは公募順位が130位、36件の応募しかなかった高輪ゲートウェイ駅でした。高輪ゲートウェイ駅という駅名は山手線の駅名にしては奇抜かつ斬新すぎるため、あちこちから疑義が呈されることに。また公募順位が130位だったことが、「公募の意味があったのか?」という疑問を生じさせました。こうしたことから、新駅「高輪ゲートウェイ」駅という駅名に反対意見が噴出します。

原宿駅付近から「原宿」という町名が消えたワケ

 駅は公共性の高い空間です。その役割は、単なる電車を乗り降りする場ではありません。駅前に立地するコンビニやファミレスといった全国チェーン店は、「○○駅前店」と店名をつけます。それほど、駅が社会に与えるインパクトは強大なのです。

 港区議会が新駅名を高輪駅にするよう求めたのも、駅名の影響力が大きいことを考慮したからです。しかし、そうした港区の請願は受け入れられず、高輪ゲートウェイ駅という駅名に決定されました。駅名が決定したと発表された後も、多くの人が反対を表明しています。

 エッセイストの能町みね子さんは、インターネットを通じて高輪ゲートウェイに反対する署名を集めました。そして、趣旨に賛同する地名研究家の今尾恵介さん、国語辞典編纂者の飯間浩明さんとともに2019年にJR東日本に約4万8000筆の反対署名を提出しています。反対署名を提出した能町さん・今尾さん・飯間さんの3人は記者会見で「高輪ゲートウェイ駅という駅名は伝統を無視している」「おじさんたちが付けたキラキラネーム」「長い駅名はバランスが悪く、路線図や運賃表が見づらくなる」と批判しています。

高輪ゲートウェイ駅付近の様子(画像:写真AC)



 高輪ゲートウェイ駅は2020年に開業を予定していますが、その開業時期は東京五輪と無関係ではありません。駅は2020年に開業しますが、周辺の整備が間に合いません。実際、高輪ゲートウェイ駅のまちびらきは、2024年の予定です。そこからも、まずは五輪に間に合わせるべく2020年に駅だけを先行開業させようという意図を感じます。

 東京五輪は単なるスポーツイベントではなく、都市や街、私たちの暮らしや社会にも陰に陽に影響を与えます。それは、きたる2020東京五輪だけではなく、先の1964東京五輪も同様でした。

 若者の街として知られる原宿駅の所在地は、渋谷区神宮前です。現在、原宿という町名は存在しませんが、かつて駅の周辺には原宿1丁目から3丁目までありました。同じく山手線の駅名として親しまれている御徒町駅も周辺に御徒町1丁目から3丁目まで存在しました。御徒町は東上野になっています。なぜ、原宿や御徒町は消えてしまったのでしょうか? それらにも、東京五輪が大きく影響しています。

 1964東京五輪の招致が決まったとき、政府は五輪開催を機に多くの外国人観光客が訪問すると考えました。その際、町名や地名が煩雑だと観光客が不便を被るため、町名・地名を整理することにしたのです。

 こうして、1962(昭和37)年に住居表示法が施行されます。同法は慣れ親しんだ伝統のある地名・町名を次々と葬りました。1964東京五輪は、地名・町名をも変えてしまうほどのビッグイベントだったわけです。とはいえ、世界から注目されるビッグイベントのためでも、地元住民にとって利益のない町名・地名変更は本末転倒です。住居表示法をめぐっては、一部の地域で反対が起こっています。

 住居表示法はあくまでも地名に関する法律のため、駅名や店名などは対象外です。そのため、原宿駅や御徒町駅という伝統ある駅名は生き残りました。一方、歴史や伝統を考慮していない高輪ゲートウェイという駅名は、果たして住民たちの理解を得ることができるでしょうか? それとも、そっぽを向かれて“高輪駅”と省略されて呼ばれてしまうのでしょうか?

 間もなく、高輪ゲートウェイ駅は開業します。

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