「東京六大学野球」が戦前の日本野球をリードしていた歴史的事実

高校野球とプロ野球に挟まれて、いまいちパッとしない印象の大学野球。しかし歴史的に見ると、日本野球をリードし発展させてきたのは東京六大学野球なのだといいます。ライターの齊藤颯人さんが解説します。


観客動員に苦しむ東京六大学野球

 ご存じ「東京六大学野球」とは、早稲田大学・慶応義塾・明治大学・法政大学・立教大学・東京大学の硬式野球部で構成される大学野球リーグのこと。

 近年、プロ野球と高校野球の観客動員数が好調なのに対して、東京六大学野球は集客面での苦戦を強いられています。

野球を応援するイメージ(画像:写真AC)



 データで整理してみましょう。

 2019年のプロ野球セ・パ両リーグの総観客動員数はどちらも過去最多。合算して2500万人以上の集客を実現しています。

 高校野球も、2019年の第101回全国高校野球選手権(甲子園)の総観客動員数は約84万人。過去最多とはいかなかったものの、2018年の第100回記念大会で史上初の100万人超えを成し遂げていたことを踏まえれば、人気は高まっているといえるでしょう。

 一方、東京六大学野球における2019年秋季リーグの観客動員数は、第1週の全4試合で計2万4000人。2018年に同条件で行われた4試合で計3万人、2017年は計3万3000人を動員したことを考えれば、近年だけでも観客数は減少傾向にあります。

 観客数の下降は1980年代から始まっており、人気は長期的に低迷してしまっているといえます。

 さらに、プロ野球・高校野球がNHKや民放などテレビ各社で放送されるのに対し、東京六大学野球は全35試合のうちテレビ放送対象試合はわずか3試合。

 ネットで全試合が無料中継されているものの、テレビでの試合中継量、加えてテレビ以外の各種メディアによる関係報道量に大きな差があります。

六大学野球の全盛期は「戦前」だった

 このように昨今では人気が低迷している東京六大学野球。

 しかし、1925(大正14)年のリーグ発足以来、ずっと不人気だったというわけでは当然ありません。その人気全盛期は、実に戦前にまでさかのぼります。そしてその人気ぶりは、現代の東京六大学野球からは想像もできないほどのものでした。

明治神宮野球場で開かれる早慶戦(画像:ULM編集部)



 一例として、1930(昭和5)年ごろの東京六大学野球を見てみましょう。

 当時は早稲田大学・慶応義塾の対抗戦「早慶戦」の人気が爆発。チケットは飛ぶように売れ、「前売り券が少なすぎる」という抗議が新聞紙面に掲載されたほどです。加えてチケットや良席を求めるいわゆる「徹夜組」が出現し、警官が出動するほどの人気を誇っていました。

 会場の神宮球場は超満員になったのですが、試合中・試合後にはトラブルも。観戦に熱が入り過ぎ、試合の勝敗をめぐって応援団やファンが暴徒化。グラウンドになだれ込む、試合後に暴力沙汰を引き起こす、といった騒ぎを起こします。

 さらに、劇的な決着となった早慶戦の模様は舞台化され、当時人気を博した漫才コンビ「エンタツ・アチャコ」も漫才のネタに使用。当時は「国民的スポーツ」の名をほしいままにしていました。

 早慶戦の人気に引っ張られる形で他カードにも多数の観客が入っており、東京六大学野球の人気過熱を原因に球場が拡張されたほどでした。

 暴徒化の是非はともかくとして、当時の報道から現代では考えられないほど社会に定着していた様子がうかがえます。

 現代で例えるなら、年末に行われる競馬のグランプリ競争「有馬記念」あたりを思い浮かべると分かりやすいでしょう。全く競馬をやらない人でも名前くらいは知っているという、あの感じです。

 しかし、いったいなぜ戦前の東京六大学野球は、これほど人気が爆発したのか。その要因は、おおむね3つの観点から説明できます。

日本野球の黎明期をリードした大学野球部

 日本に野球が伝来した時期については諸説ありますが、一般的には1872(明治5)年第一大学区第一番中学(現在の東京大学)で「お雇い外国人教師」として働いていたアメリカ人、ホーレス・ウィルソンによってもたらされたと伝えられています。

 以後、野球は旧制高校(現在でいえば国立大学)の生徒たちを中心に広がりを見せ、やがて全国各地でプレイされるようになりました。

 大学同士の対抗戦が盛り上がるさなか、強豪として頭角を現してきたのが早稲田大学・慶応義塾の両校。応援の行き過ぎで20年近く「早慶戦」が中止されるなどの騒動もありましたが、両校の野球部は積極的に米国遠征や外国チームの招聘(しょうへい)を進め、力を付けていきます。

 一例を挙げると、まだ明治後期の1905(明治38)年には、早稲田大学の野球部が米国遠征を敢行。彼らは本場で最新の技術を学び、それを体得して日本に伝えるという役割を担っていました。

東京六大学野球の舞台となる明治神宮野球場(画像:写真AC)



 プロ野球の誕生は、それより遅い1936(昭和11)年のことで、さらに発足当時はレベル・人気ともに今ひとつ。

 つまり、戦前期に最も先進的で高い技術を有していたのは、早慶両校を中心とする東京六大学野球部だったのです。

 彼らの野球技術・指導理論は高く評価され、戦前の野球界をリード。ハイレベルな野球を見る場として、人気が出たと考えられます。

高校球児は、プロではなく六大学を目指した

 戦前から高校野球(当時は学校制度の関係上、中等野球)の人気は高かったのですが、活躍した選手はことごとく東京六大学へ進学しました。

 この傾向はプロ野球が誕生しても変わりませんでした。現代ではほぼ全ての野球少年がプロを目指すといっても過言ではないのに、いったいなぜなのでしょう。

 これは、当時「スポーツでお金を稼ぐ」ことが軽蔑されていたためです。

学生野球のイメージ(画像:写真AC)



 江戸時代に見せ物で生計をたてた「芸人」が差別されていた名残と考えられ、スポーツという「見せ物」でお金を稼ぐことが冷ややかに見られていたのです。

 実際、戦前期においては、学生野球関係者だけでなく大衆も「見せ物として野球に取り組む卑(いや)しいプロと、スポーツとして野球に取り組む純真な大学生」という認識を持っていました。

 戦前のプロ野球には選手が集まらず、野球技術も伸びません。当然ながら人気も出ませんでした。加えて、当時は東京六大学以外で野球へ力を入れる大学もまだごく少数。結果として、東京六大学は大学のブランドや潤沢な資金を生かした特待生制度で、有力選手を根こそぎ獲得することができたのです。

 高校野球界のスターが勢ぞろいしており、華々しい世界と化していた東京六大学野球。さらに競技レベルも高いとあれば、人気が出るのも納得です。

学生たちが強烈な愛校心を抱いていた

 当時、今よりも強く大学生の心に刻まれていた「愛校心」の存在も、東京六大学野球の人気を盛り上げました。

 先ほど「ファンや応援団の暴徒化」に触れましたが、これは「彼らがそれだけ熱心に応援している」ことの証しでもあります。異常とも思える応援の過熱は、ファンの中心を占める学生たちの愛校心が強かったことを物語っています。

 当時は「学生による自治」を奨励する大学が多く、野球部に限らず「オレたちの大学」という強い意識がありました。

 時に暴走することもありましたが、自由を与えられた学生たちによって学生の文化は発展しました。早慶両校のように「絶対にあの大学には負けられない」という意識も芽生え、野球部の応援も全校を挙げて企画されるほどでした。

 現代でも、行き過ぎた応援で問題になるプロ野球ファンの姿がしばしば報道されますが、彼らの「チーム愛」と同質以上の「愛校心」を当時の学生たちは有しており、その熱気が人気を呼び起こしたのだと考えられます。

 以上をまとめると、「競技レベルとスター選手の独占」によって一般層を、「強烈な愛校心の喚起」によって学生たちを魅了していたのが東京六大学野球です。当時ほどの熱気を現代に見いだすのは難しいかもしれませんが、ノスタルジーに思いをはせながらリーグ戦を見てみてはいかがでしょうか。


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