変貌するお茶の水エリアから顔をのぞかせた麗しき「モダン都市東京」の面影
2020年2月24日
知る!TOKYO御茶ノ水駅周辺にひろがる深い谷と水辺の風景について、文筆家の広岡祐さんが歴史をひも解き、解説します。
都心部屈指の渓谷美
JR中央線と総武線の車窓から見下ろす神田川。中でも御茶ノ水駅周辺にひろがる深い谷と水辺の風景は、都心部屈指の渓谷美として親しまれています。

江戸城の外堀でもある神田川は、もとは本郷台地から南下して江戸城方向へと向かう流れをもつ川でした。江戸初期に水害の防止と防衛上の見地から流路を東に変更することになり、本郷と駿河台を間に隅田川へ流れ出るルートを掘削したのでした。
ブルドーザーなどなかった江戸時代、この土木作業は人力で行われたわけで、大変な工事だったことが想像できます。
2代将軍徳川秀忠が、この地にあった寺の湧き水で茶をたてたのが地名の由来とか。現在、御茶ノ水では駅の改良工事と東西ふたつの橋の補修工事が進んでいます。近隣に大学病院など、数多くの医療施設のある場所柄、駅のバリアフリー化は念願の大事業でした。変化する駅前風景を眺めながら、この街の歴史をふりかえってみましょう。
駿河台の地名由来は駿河国
御茶ノ水駅の南側は神田駿河台。江戸時代初期は神田山とよばれた場所で、すぐ東側まで遠浅の海が迫っていました。幕府はこの山を切り崩し、その土で海を埋め立てて町人の居住する市街地をつくっていきます。
残された高台は、旗本御家人の屋敷が並ぶ武家地となりました。駿河台の地名は、駿河国(静岡県)出身である徳川家康の家臣たちがこの地に屋敷を構えたことにちなみます。

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