恋愛都市「東京」 男女の合コン文化は40年でこう変遷した

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恋愛都市「東京」 男女の合コン文化は40年でこう変遷した

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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男女の出会いの場として頻繁に行われている合コン。その歴史について、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

合コンはかつて「合ハイ」と呼ばれていた

 2020年代の今でも、男女の出会いの場として夜な夜な開催されている「合コン」。数年前に流行った「街コン」など、時代によってさまざまな変化球があるものの、飲み会などの理由で男女が集い、新しい出会いを求めるという形態は変わりません。

合コンのイメージ(画像:写真AC)



 合コンが始まったのは1980年代前半だと言われており、突如発生した文化ではありません。それまで出会いのスタンダードだった「合ハイ(合同ハイキング)」が進化して生まれたのです。

 大学が大衆化した1960年代以降に普及した「合ハイ」。当初はしっかり山に出掛けていましたが、1980年代になるとその形態は大きく変化しました。

 当時の若者雑誌の定番である『平凡パンチ』(1980年6月9日号)に掲載された「東京全大学合ハイ新相関地図」は、都内の大学を対象に「頻繁に合コンをする大学」の相関図を描く企画。ここでは、慶応大学の「ソビエト研究会」と大妻女子短大国文科との合ハイに密着しています。

 当時の若者雑誌の編集部は、大学生の「バイトくん」が何人も詰めています。企画を立てた彼ら自身が周りの友人を集めればいいので、こうした取材もしやすかったそうです。

ライブハウスでの飲み会は定番だった

 この記事によれば、1980年時点で「合ハイ」はすでに形骸化していたことがわかります。なぜなら、集合時間・場所は「土曜日午後4時原宿駅。行き先は代々木公園」なのですから。そこでの彼らの交流は、次のように記されています。

「広い代々木公園の一角で彼らはおそろしく古典的な遊びの数々を繰り広げた。“草の上の昼食”ならぬ、草の上のハンカチ落とし、草の上の鬼ゴッコ……」

 さすがに取材した記者もあっけにとられたようで、

「“ハイキング”というにはあまりにも近場で、一昔、二昔前の文字通りの合ハイとはエライ変わりようだ」

と、記しています。

 代々木公園(渋谷区代々木神園町)での交流はわずか1時間で終わり、次に移動したのは道玄坂のライブハウス「ヘッド・パワー」。もちろん、ライブ目的ではありません。当時はチェーン系居酒屋がまだ普及していなかったため、ライブハウスは飲み会の開催場所として定番だったのです。

 調べたところ、こちらの店は靴を脱いで上がれるカーペットのスペースがあり、デートにもよく利用されていたようです。

 ちなみにこの後ですが、2時間あまりの宴会の後、成立したカップルは宮下公園(渋谷区神宮前)で「サテン(喫茶店)に行こうよ」「帰り送らせて」という駆け引きを続けていたと記されています。

成立したカップルのイメージ(画像:写真AC)



 現在の都心部の公園は「ホームレス対策」などさまざまな理由で人が集まりにくく、ベンチも座りにくくなっています。しかしこの時代のカップルは、「取りあえず公園」だったわけです。なんともリーズナブルな時代だったのですね。

時代の変化とともに「肉食化」が進んだ

 さて、そんな時代からわずか数年で状況はガラリと変わります。夜に遊べる店はどんどん増え、出会いの場として合コンは毎日のスケジュールのように、若者にとって当たり前のものになっていきます。

 そうした状況が生まれた1980年代後半に花開いたのが、マニュアルやハウツー本の文化です。ちょうどバブルを迎え、見るものや聞くものがどんどん増えていた時代。男性誌も女性誌もこぞって、「これが正しいのだ」と提示するマニュアル記事を掲載するようになります。

 そんなマニュアル記事の中でも、飽きることなく繰り返し掲載されていたのが恋愛系マニュアルです。男性誌では『POPEYE』と『ホットドッグプレス』の2誌は飽きることなく、女の子の「攻略法」やデートの方法、合コンでモテる方法や女の子にウケるファッションを提示し続けていました。

ハウツー本を真面目に読むイメージ(画像:写真AC)



 前述の『平凡パンチ』に記された時代との大きな変化は、読者の好みがより「肉食系」になっていることです。合コンなどを開催し、手順を踏んで親密な関係になるよりも、ナンパのような手段を使って、手っ取り早く関係を深めることが求められていたようです。そのためか、合コンに関する記事がある一方で、男性誌のナンパのマニュアル記事は異常なほどの熱を帯びています。

 例えば『ホットドッグプレス』(1989年8月10日号)に掲載された「ひと夏の恋は年上の女性と燃え上がれ」という記事では、女性のタイプと出会い方、口説き方を伝授しています。どういう根拠があるのかわかりませんが、記事はすべて「言い切り」型です。

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 文中では、アネゴ肌のめんどう見のいいタイプは、年下の男を好むと断言。そんなお姉さまと出会う場所は銀座周辺の、少し昔にはやった曲がかかるようなディスコだとし、声をかけるときには年下であることをさりげなくアピール。「その踊り、教えてくれませんか?」というノリで近づくのがよいとあります。

 現代の私たちからすれば、「そんなワケあるか!」と雑誌を投げ捨てたくなるのですが、当時はこんな記事が大真面目に受け入れられていました。マニュアルに学ぶ読者は多く、雑誌も売れていたため、広告も急増。この時期の『POPEYE』や『ホットドッグプレス』は広告が多すぎて、ページを開くと片方のページがほぼ広告だけという号もあります。

「肉食系」のイメージ(画像:写真AC)



 しかし、そんな「肉食系」の時代も長くは続きませんでした。現代は街中でナンパを見かけることも少なくなりました。合コンという文化は残っているのに、なぜなのでしょうか。

 やはりナンパという、なんら関係性のないところから親密になっていくスタイルは、男女ともに疲弊しか生まなかったのでしょう。

 対して合コンは流れがある程度決まっていますし、参加者同士の「人間関係」を基にして行われるため、多少なりとも安心感があります。このあたりが、現在まで合コンが文化として継続されている理由ではないでしょうか。

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