異界の入り口「胸突坂」から細川家敷地をぐるりと回る

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異界の入り口「胸突坂」から細川家敷地をぐるりと回る

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伊勢幸祐

フリーランスライター、東京徘徊家

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目白台から神田川の谷にかけての傾斜地の魅力について、フリーランスライターの伊勢幸祐さんが解説します。

永井荷風『断腸亭日乗』に記載がある坂

 東京は多くの坂があります。土地は起伏に富んで景観に変化があるため、散歩愛好者には魅力的な都市です。

 目白台から神田川の谷にかけての傾斜地には、数々の風情ある坂が見られます。このかいわいは江戸の頃に大名や旗本の屋敷が多く、時代の移り変わりを追いながら街歩きを楽しむことができます。

 まず、胸突坂(むなつきざか)について。名は坂の険しさをあらわします。

胸突坂の様子。坂の上は異界?(画像:伊勢幸祐)



 坂のすぐ下に神田川が流れ、周囲には水に関連した場所がいくつか。坂下の左側に水神社(文京区目白台)、右側に関口芭蕉庵(同区関口)。江戸時代この近くに神田上水の堰(せき)が設けられ、この上水は当時の江戸中心地部のひとびとの飲料水となりました。大都市・江戸の重要な水の拠点でした。

 水神社は大切な水堰の守り神です。作家・永井荷風が日記『断腸亭日乗』にこの水神社を記しています。荷風は生涯にわたって東京散歩を楽しんだ人でした。その日記には、

「急坂を上り路傍の小祠(ほこら)に賽(さい)し銀杏の樹下に小憩して……」

とあります。

 荷風がここに来たのは1945(昭和20)年5月10日。3月の東京大空襲で麻布の家を焼けだされ、このとき東中野に仮住まいしていました。そんな困難な時代につかの間の散歩に出て、この坂の下でわずかに心を癒やしていた荷風の心情がしのばれます。

坂は別の異界に通ずるもの

 日記には、この水神社境内から描いたスケッチがあります。いま同じ場所に立って見比べると、二股のイチョウもその間からのぞく鳥居も当時のまま。

水神社境内の二股イチョウ。荷風のスケッチとかわっておらず(画像:伊勢幸祐)



 坂の右下には、関口芭蕉庵。若き芭蕉は伊賀(現在の三重県西部)の藤堂家に仕え、この神田川の改修工事にたずさわっていました。この地から川むこうの早稲田に広がる水田を眺め、それを琵琶湖にみたてて

五月雨にかくれぬものや瀬田の橋

の句を詠んでいます。

 この芭蕉庵は周囲のよい景色とともに安藤広重の「名所江戸百景」にも描かれています。芭蕉が見た同じ風景を、ときを超えて江戸文化を愛した広重・荷風が描いているのも面白く思われます。

 胸突坂を上ってゆくと、高い石垣や竹林に挟まれた道がつづきます。何年か前に整備される以前は石段も壁も古風なもので、江戸の頃にタイムスリップした感覚を味わえました。

 坂道好きのタモリがかつてここでテレビ番組のロケーションをおこない、

「いま軽井沢にきています」

と口からでまかせにうそをついた、と著書『タモリのTOKYO坂道美学入門 』に書いています。たしかに、木々のうっそうとしげる細く急な坂は都心とは思えない趣です。

 坂(さか)は境(さかい)と語源を同じくし、古来、現世とは別の異界に通ずる境のイメージをもたれていました。上と下は別の世界で、上った先には異界がひろがっているような。現在の東京で、わたしはこの胸突坂にもっとも強くその異界への通路のイメージを覚えます。

村上春樹『ノルウェイの森』に登場する学生寮も

 胸突坂を上りきると、西(左)側に永青文庫(文京区目白台)。肥後細川家の家宝を保存・展示してあるほか、さまざまな企画展示を行う美術館です。

 細川家近世初代の藤孝(幽斎)は、もともと室町将軍側近でした。すぐれた武将であり、かつ有職故実(ゆうそくこじつ。朝廷や武家の礼式、典故、官職などを研究する学問)や茶道、歌道に通じたまれな文化人であったため、彼を祖とする熊本藩は非常に価値の高い美術品や歴史資料文を所蔵しており、それらをここ永青文庫で見学できます。数年前にリニューアル・オープンしたときには、春画展を開催して評判になりました。

 永青文庫と道を挟んだ向かいには蕉雨園。ここは謎の場です。入り口は古格な門があり松の植え込みで飾られていますが、一般公開はされていません。

 高い塀の向こうに重厚な和風の大邸宅や蔵の数々が見え、極めて広壮な屋敷であることがうかがわれます。元は明治の元勲・田中光顕の邸宅でした。土佐出身の田中は坂本龍馬とも親交があり、維新後は宮内大臣等をつとめ皇室とも深いつながりがありました。謎の多い人物で、この蕉雨園が非公開であることからも邸内の様子を一層興味深く想像させられます。

 さて、目白台にあがったら東側の空にカテドラル大聖堂の塔をみて目白通りを西に進みましょう。

 和敬塾の正門があります。ここは大学生の男子学生寮。特定の大学ではなくさまざまの大学の学生が集まっています。

 村上春樹の『ノルウェイの森』に登場する学生寮は、ここがモデル。村上春樹自身が早稲田の学生時代、寮生だったそうです。

 この先、目白通りをゆくと神田川の谷におりてゆく坂道がいくつかあります。ここ目白台地からは、南方向の遠景を見はらすことができます。

目白台から見る新宿高層ビル群(画像:伊勢幸祐)



 新宿副都心の超高層ビル郡、そこまでに広がる街の様子をみると、江戸・明治の世から一挙に令和に戻ったような心持ちになります。

かつてあった小さなポリスボックス

 目白通りを和敬塾の敷地に沿って左に折れた先には幽霊坂。道は暗く狭く、両側を高い塀と樹木に挟まれ、切り通しのように見えます。

昼なお暗い幽霊坂(画像:伊勢幸祐)



 ここは胸突坂よりさらに寂しく、幽冥(ゆうめい)を分ける境界の黄泉比良坂(よもつひらさか)の印象すらあります。暗く窮屈な場は妖しの出没するイメージで、坂の名はそこからきているのでしょう。

 いまから30年ほど前、この坂を下った場所に小さなポリスボックスがありました。こんなにひと気がないところになぜ?……と不思議に思いましたが、この坂の上にある元首相・田中角栄邸の警備のためだったのかもしれません。

 いまはボックスもなくなり、かつての角栄邸は縮小されて敷地の大部分が公園になっています。古いものが残る一方で、消えてゆくものもあり。20~30年の中での有為転変(ういてんぺん)です。

 坂を下りきると、左側に「肥後細川庭園」(文京区目白台)。江戸時代の熊本藩下屋敷の庭園跡地をそのまま残した池泉回遊式庭園です。数年前にリニューアルされ、屋敷の松聲閣では庭を見ながら抹茶と細川家由来の伝統銘菓をいただけます。しばし大名気分に。

 今回紹介したのは、元細川屋敷敷地の周囲をぐるりと回ったコースでした。都心穴場の川と坂と台地を巡り、江戸・東京の時間と空間の散歩を楽しまれてはいかがでしょうか。

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