将来の夢は? なんで結婚しないの?――人生に「意味」ばかり要求する東京って、いったい何なのか【連載】大原扁理のトーキョー知恵の和(4)

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将来の夢は? なんで結婚しないの?――人生に「意味」ばかり要求する東京って、いったい何なのか【連載】大原扁理のトーキョー知恵の和(4)

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大原扁理

隠居生活者・著述家

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何とは言えないのだけど何となく息苦しい。そんな気持ちでいる人へ、東京で週休5日・年収90万円という「隠居生活」を実践した大原扁理さんに生き方のヒントを尋ねる企画「トーキョー知恵の和」。今回のテーマは「東京と『意味』とは」です。

意味も理由も、ほんとはないのに。

「なんで東京に出てきたの?」「将来の夢は? 目標は?」「なんで今の仕事を選んだの?」……そう誰かに問われることは、日常的にあると思います。聞かれた方は慌てて自分の胸に問い返してみたり、良い答えができないと「自分は何も考えずに生きているのか……」なんて自己嫌悪を覚えたり。でも意味ってそもそも、そんなになくてはならないものなのでしょうか。東京で週休5日・年収90万円の「隠居生活」を実践した大原扁理さんと一緒に考えてみたいと思います(構成:ULM編集部)

※ ※ ※

 地方出身の人にはわかってもらえると思うんですが、上京してもっともよくされる質問のひとつがこれ。「なんで東京に来たんですか?」

「いやー、なんかおもしろそうかなーと思って……」と答えてみるも、だいたい相手に「それで?」みたいな顔をして待たれる。こちらとしては、もうそこで会話終わってるんですけどね。

 ほかにも、「志望動機は?」「将来の夢・目的は?」「結婚する理由は?」「結婚しない理由は?」「それをやることの有用性は?」「で、何が言いたいの?オチは?」

 上京してから、こうしたことをほんとによく聞かれるようになりました。ただ生きているというだけでは許してもらえない「圧」のようなものが、東京にはある。

 私も一時期は、そういうのって必要なのかもな~と思い、とりあえずそのたびに間に合わせで作ったようなハリボテの意味を世間に提出してしのいできました。でもそんなハリボテに何ほどの価値があるのか、自分がいちばんよく知ってます。

 ハリボテを作り続けるのがしんどくなって立ち去ろうとすると、今度は「仕事を辞める意味は?」「実家に帰る意味は?」「引きこもる意味は?」「自殺する意味は?」

 あのー、アインシュタインみたいな天才に生まれついたわけでもないのに、何が悲しくてそんなに意味のある人生を送らなきゃいけないんでしょうか……。

田舎は「意味の密度」が低かったなあ

 田舎では、ただ生きてるだけでそこまで意味とか理由とか求められなかったように思います。

 だいたいうちの親からして、昼から酒飲んでテキトーに人の悪口とかいって日が暮れていくような毎日ですよ。そんな大人ならごまんといるけど、それでもフツーに生きてるし。人生に大した意味なんて誰も求めてないんです。

 それで、意味の大洪水のような都内から避難して、都下・国分寺市(にある、家賃2万8000円の「価格破壊アパート」!)で無意味に年収90万円の「隠居生活」を始めてみたら、それはそれは意味のない楽園のような毎日が待っていたのでした。やっぱり無意味に生きるってラクだな~と再確認。

大原さんの「隠居生活」の様子を描いたイラスト(画像:大原扁理さん制作)



 私は、意味のない人生ってあっていいと思います。意味のないことがしんどいというよりも、「意味のある人生じゃないと価値がない」って押しつけられるのがしんどいんですよね。

 しかし最近では隠居生活のことを本に書いちゃったりしたもんだから、とくに意味もなく始めたはずの隠居生活にまで意味がついてきちゃって、たまに途方に暮れています。

 生きるということは、意味との難儀ないたちごっこであるのだなあ。

人生を無意味にするコツについて

 そこで、日ごろから少しでも人生を無意味にするため、個人的に心がけていることを紹介します。

 まず、読書は実用書以外を選ぶこと。

 読書は私の最大の趣味です。実用書はほんのときどきで、ほとんどは小説やエッセイ、絵本などを好みます。なぜかというと、とくに役にたたないから。

 私は時間を無駄に使っているとき、気分が最高潮に達します。とくに小説を読み終えたとき、「ああ、どっかの誰かが作った最初から最後までウソしかない話を読むのに2時間も使ったなあ」としばし恍惚とします。無意味に時間を使うことって、禁忌的なよろこびがありますよね。

大原さんの「隠居生活」の様子を描いたイラスト(画像:大原扁理さん制作)



 次に、SNSの「いいね!」や「フォロワー」を減らすこと。

 もともとSNSに興味はなかったんですが、本を出版してから、大人の事情というやつで仕方なく、ブログやTwitterを始めました(さっそく意味がついてしまい、げんなり)。

 そこで、どうせ意味のあることをやらなきゃいけないなら、負担を限りなくゼロに近づけるために、こんなルールを考えてみました。それは、「いいね!」や「フォロワー」をゲットしようとすると疲れるから、毎日無意味なことをつぶやいて、役に立つ情報や名言・格言みたいなものは発信しないこと。

 そのアカウントは今、友人たちにとっての私の生存確認用として使われているほか、「『いいね!』をもらおうと必死の味付け過剰なSNSを見たあとに扁理くんのブログを読むと、白湯かなんかのようなカロリーの無さにちょっとなごむ」と役に立っているようです(ああ、またしても意味が……)。

意味を追い求めない日々は、平和

 本当は、「無意味に人生を送る意味」なんて考えたくもないけど、それでは話がまとまらないので、がんばってひねり出してみます。

 意味を追い求めない人生を心がけるようになってから、どうなったかというと、これがまったくどうにもなってないんです。波風ひとつ立たなくて、毎日が凪(なぎ)の海のようにシーン。むちゃくちゃ平和。あんまりシーンとしてるから、たまにそのことを取り上げられることはありますが(たとえば、こうしてウェブサイトに寄稿を頼まれたり……)、まあたまにならいいかな、と思っています。

 私の人生に意味があるとしたら、それはただの結果にすぎません。たぶん死ぬときに「ああ、あのときのあれがこうなって、これがああなって、この人生ではこれくらいのことしかできなかったんだな」とわかるくらいのもので、なにかの意味のために隠居したり、生きてきたりしたわけじゃないんです。

 意味のある人生を送りたい、というのも、わからんでもない。でも、意味なんて放っておいても付いてきちゃうこのご時世ですよ。このへんで小説の本でも1冊買ってきて、とりあえずお茶でも淹(い)れませんか。

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