「9110714」と書いて何と読む? 懐かしのポケベルが、東京の街じゅうで鳴り響いていた頃

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「9110714」と書いて何と読む? 懐かしのポケベルが、東京の街じゅうで鳴り響いていた頃

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本間めい子(フリーライター)

ポケベル、持っていましたか? 携帯電話がない時代、ポケベルはサラリーマンのみならず若者にとっての大切なコミュニケーションツールでした。懐かしい当時の記憶を振り返ります。

日本でのサービス開始は1968年

「87410971」と書いて「離したくない」と読む。

 そんな独特の言語を使う人たちが東京に、たくさんいた時代があったことを覚えているでしょうか。1990年代、ポケベル全盛期のことであります。

ポケベル(画像:写真AC)



 ポケベル、正式名称をポケットベルと呼ぶこのアイテムは、1958(昭和33)年にアメリカのオハイオ州コロンバスで「ベルボーイ・サービス」という名前で始まったものです。

 日本では1968年に電電公社が東京23区でサービスを開始し普及が始まりました。

 当初は、呼び出し音が鳴るだけで、呼び出されたら会社に電話をするという形で利用されていたポケベルですが、大きく変化したのは1987年のことでした。

 この年、新たにプッシュ信号で数ケタの数字を送信できる機種のサービスが始まったのです。

 この機種の登場まで、ポケベルは限られた人が使用する「あまり持っていたくはない」アイテムでした。主なユーザーは外回りの多いサラリーマン。呼び出し音が鳴ったら、公衆電話を探して会社に電話をしなくてはならなりません。

 当時の東京の街頭では、ポケベルで呼び出されて慌てて公衆電話を探したり、行列に並ぶサラリーマンの姿が当たり前に見られたものでした。

東京の生活を劇的に変えた

 そんな「24時間会社に管理されている気がする」と思われる暗いイメージのアイテムを陽の当たるところへ持って来たのが、数字型機種の登場でした。

 この機種が普及した理由は、NTTに対抗する形で当時はNCC(New Common Carriers = 新電電)と呼ばれた新規事業者の参入にありました。

 1980年代後半、NCCである第二電電(DDI) や日本高速通信(TWJ)などの参入と共に、通信産業の競争は激化していました。

 その中で、競争の場として各社が熱くしのぎを削っていたのが、多機能化が始まっていたポケベルだったのです。

 NTTとNCCは相互に値下げを行うと共に、数字だけでなく文字が表示できる機種、ペン型、手帳型など、いわば1990年代に始まる携帯電話の競争の前哨戦を繰り広げていました。

 NTTに追いつくことを目標とするNCC各社では、ポケベルをサラリーマン層といった従来の顧客以外にも普及させることに努力を図っていました。

 とりわけ1986(昭和61)年に首都圏をサービスエリアとして登場した東京テレメッセージは、開業と同時に数字型の宣伝を大々的に実施し、これまでポケベルを持たなかった若者層をユーザーとして取り込むことに成功した企業として、歴史に名を残しています。

 このポケベルの若者層への普及は、東京の生活を明らかに変えました。

「マハラジャにいる。さゆり」

「渋カジや六本木ギャルの間で、今、ポケベルを持つのが流行っているそうだ。彼女らは“ポケベル族”と呼ばれ、仲間どうしの連絡に数字が表示されるポケベルを利用している。彼女らは発信者の名前、集合場所などをコード化しておく。例えば、「さゆり=30」「マハラジャ=55」と決めておく。そして、プッシュホンで仲間を呼び出し「30・55・11」と プッシュすると「午後11時、マハラジャにいる。さゆり」と連絡が取れるわけだ」
(『Weeks』1990年6月号)

 こうして1990年代初頭には、ポケベルは東京で生活する多くの人にとって必需品として普及をしていったのです。

今も昔も、多くのビジネスマンが行き交う東京の街(画像:写真AC)



 ここで少し余談を。

 インターネットもそうであったように、新たなアイテムが広く普及する過程では、それまでに考えられなかった問題も起こるものです。

 ポケベルでも同じような問題は起こっていました。多くの人がポケベルを持てば、それだけ呼び出されたりメッセージを送られてくる人も多くなります。

 東京ではどこでも「ピーピー」と電子音が鳴り響いて止むことがありません。喫茶店では「自分のポケベルかな」とポケットを探る人があちこちにいます。電車では誰かのポケベルが鳴って飛び起きる人もしばしば。学校の授業中に鳴り響くこともあり、何度も問題として取り上げられたのです。

 中には、これを用いて資格試験のカンニングを試みて発覚するという事件も起きています。その手法とは、グループのひとりが受験者のふりをして試験に参加し、問題用紙を持って途中退室するというものでした。

 外で待っていた専門家が問題を解き、ポケベルで正解の番号を送るという手口です。選択式の問題だから試みられた方法とはいえ、そんな手間をかけるなら真面目に勉強をしたほうがいいと思うのですが……。

昼休み、高校生が公衆電話に行列

 さて、1990年代初頭には大学生まで普及したポケベルは、その後数年で高校生の必須アイテムとして定着することになります。

 1990年代前半頃には、少なくとも東京ではイケてる高校生はポケベルを持っているのが当然という時代になっていました。

 そんな時代の高校では、こんな日常風景が見られました。

「東京都内のある高校。昼休みを告げるチャイムが鳴ると、校内のあちこちから、廊下の端にある2台の公衆電話を目指して生徒が集まり始め、あっという間に十五、六人の列ができた。

 真っ先に電話の前に来た生徒が制服の胸のポケットからポケベルを取り出した。メッセージをチラッと見て確認すると、受話器を上げ、しゃべりもせず、ひたすらプッシュボタンを押し続ける。

 休み時間の四十分間、電話の前の列は途切れず、授業のチャイムが鳴っても十人近くが並んでいた」
(『朝日新聞』1996年5月13日付朝刊)

ポケベルへのメッセージは公衆電話で入力(画像:写真AC)



 この1996年時点で全国のポケベル台数はNTTドコモだけで約1060万台。この年の前半に関東甲信越の同社の新規契約者のうち56%は女性。さらに42%が10代と記録されています。

 この時期、東京では高校生、特に女子高校生はほぼポケベルを持っていたといっても、言い過ぎではないでしょう。

もはや読めない! 独特の暗号数字

 こうした中から生まれてきたのは、独特の数字を用いた暗号でした。

 流行の後半には文字を送信できる機種も普及したので、独特のポケベル語が用いられたのは5~6年に満たないと思われます。その短期間の間に膨大な量のポケベル語が誕生しています。

『週刊女性』1994年3月15日号の記事には、こんな記述が。

「いまでは500以上の語彙(ごい)があり、しかも、数字によってきちんとした読み方があり、なんと文法まであるというから驚く。」

 古来より、言語の異なる集団が接触すると意思疎通の必要性から、新たな言語が誕生していくことが知られていますが、ポケベル語も意思疎通をする強い欲求があってこそ生まれたものでしょう。

ポケベルを使いこなす女子高校生のイメージ(画像:イラストAC)



 いま、当時の資料を読むと、それらはほぼ解読不可能です。

14106 愛している
0833 おやすみ

 これくらいの語呂合わせであれば、まだ理解できるでしょう。でも、大半は今では解読が困難なものになっています。

PHSと携帯の普及で過去の産物に

37027210 素直になって
1061710940 ジュリアナ東京
103-9210910 ジュース買ってきて
5394-4 明日休む
9110714 聞いてないよ~

……2021年の現在では容易に解読するのは難しいのが、お分かりいただけるでしょうか。

 そんなポケベルも1990年代後半になりPHSと携帯電話の普及が始まると、瞬く間に過去のものとなっていきました。

 その全盛期は決して長くはありませんでしたが、かつて東京に「ピーピー」と電子音が鳴りまくっていた時代があることは、ときどきは思い出してほしいものです。

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