東京はなぜ高層化したのか? 先鞭をつけたのは中曽根元首相だった
2019年11月30日
知る!TOKYO11月29日に101歳で死去した中曽根康弘元首相。外交関係で独自の存在感を示したことで知られる同氏ですが、現在の東京の街並みにも大きく影響を及ぼしたといいます。フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。
「アーバンルネッサンス構想」で経済活性化
2019年11月29日(金)、中曽根康弘元首相が、101歳で死去しました。
1982(昭和57)年から1987(昭和62)年までの約5年間にわたって首相を務めただけあり、その死は大きく報道されています。国鉄の分割民営化をはじめとする行政改革や日米の外交関係で存在感を発揮した中曽根元首相は、政治家を引退した後も国政に多大な影響を及ぼしました。
中曽根元首相が及ぼした政治的な影響は、国政だけにとどまりません。現在の東京の街並みは、中曽根内閣の政策が如実に反映されているのです。

第一次中曽根内閣が発足したのはバブル景気の前夜です。バブル期は日本全国の不動産価格が急上昇しました。特に東京都心部の土地は、常識では考えられないほど高騰しています。
当時、東京の都心部はまだ高層ビルが少なく、そのために土地の有効活用ができていないという指摘が相次いでいました。そうした状況を改善するべく動いたのが、中曽根内閣です。
第一次中曽根内閣は「アーバンルネッサンス構想」を掲げました。その構想を端的に表現するなら、東京の高層化です。2階建てのビルが20階になれば、単純計算で10倍の床面積を創出できます。床面積が10倍になれば、オフィス機能が10倍になり、経済が活性化すると考えられたのです。
中曽根内閣は山手線の内側にあたるエリアを原則として5階建て以上にするとし、東京の高層化に取り組みました。そうした政策も追い風になり、日本は“バブル”絶頂期を迎えます。

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