高円寺の面白さは「裏路地」にあり
新宿からJR中央線で約10分のところに位置する「高円寺」。
「高円寺」と聞くと、音楽や古着屋や阿波踊りといった多種多様なイメージが浮かぶ人も少なくないでしょう。ユニークな店もたくさんあり、「高円寺に行けば面白いものが何かある」と思う人もそれなりにいるはずです。
そう思うと、高円寺の「コンテンツ」の多さと「引力」は、とても不思議なものに思えます。
今回はそんな高円寺の歩き方と歴史をご紹介します。
高円寺駅北口にある高円寺純情商店街(画像:写真AC)
高円寺に行くとなると、まずアクセスするのはJR高円寺駅でしょう。駅には南北に出入り口があり、それぞれに駅前広場があります。そして、駅周辺には10の商店街が広がっています。
商店街で有名なのが、駅の北西にあり、ねじめ正一氏の小説で有名になった「高円寺純情商店街」。ねじめ氏の小説では個人商店が多く書かれていましたが、今はチェーン店が多くなっています。
また、駅の南西にある「パル」はアーケード商店街になっており、こちらも駅の近くはチェーン店が目立ちます。
高円寺駅前で目立つのはこのふたつの商店街なので、JR高円寺駅から降りてのこれらの商店街を少し覗いても「あれ? 意外と普通の街だな……」と思う人は少なくないと思います。
しかし、高円寺の本当の面白さは、「駅前」から少し離れたエリアにあるのです 。
高円寺の裏路地に古着屋が多い理由とは?
では、高円寺のおすすめの歩き方をご紹介します。
まず、アクセスはJRではなく、東京メトロ丸ノ内線で向かいます。丸ノ内線の「新高円寺駅」で下車し、2番出口から出ます。右に曲がり、少し歩いた先の右手に「ルック商店街」の入口があります。
駅南口にある高円寺パル商店街(画像:写真AC)
このルック商店街は一見地域の普通の商店街のように見えますが、所々に雑貨屋や古着屋を見ることができます。新高円寺駅からルック商店街を北へ進み、下り坂を過ぎ、小さな橋を渡ると商店街は「ルック」から「パル」になります。ここは「ルック」側から来ると古着屋を引き続き楽しむことができます。
そして「パル」内を少しJR高円寺駅方向へ進むと、少し広い道と交差するところがあります。ここから先、つまりJR高円寺駅側は、「パル」内よりも、その東側の路地に古着屋がたくさんあります。
こうした古着屋の多さと立地には高円寺の歴史と深いつながりがあります。それは「歓楽街の発展と衰退」です。
JR高円寺駅は1964(昭和39)年に高架化され、それと前後して飲食店が急増、大型のキャバレーもできて歓楽街化が進んでいきました。
バブル景気により風俗店はさらに増加するも、その後の景気後退に合わせて減少します。現在も高円寺には風俗店が所々にありますが、一時期に比べればかなり減っています。
この風俗店跡の空き店舗に、古着屋がテナントとして入ったのです。その理由としては、店舗内部のレイアウトの自由度が高かったことや、賃料の安さが大きかったといいます。
そして1995年頃には古着屋が急増し、2000年代の一時期には200店舗を数えました。現在は半数あるいはそれ以下にまで数を減らしているものの、街での存在感はとても大きいものとなっています。
阿波踊りと音楽の街へ
パル商店街や古着屋のある裏路地を北へ進むとJR高円寺駅に突き当たります。
JR高円寺駅といえば中央・総武線各駅停車(黄色い電車)のホームで発車メロディーに「阿波踊り」のメロディーが使用されています。これは毎年8月に行われ、2日間で100万人を動員する「東京高円寺阿波踊り」の60回を記念して、2016年から通年で使用しているものです。
「東京高円寺阿波踊り」開催の様子(画像:写真AC)
この東京高円寺阿波踊りの歴史は、第2次世界大戦の頃まで遡ります。
高円寺は、第2次世界大戦終戦間際の1945(昭和20)年4月の空襲によって大きな被害に遭い、一面焼け野原となってしまいました。その復興のため広い道路の建設や駅前広場の整備といった計画が作られます。しかし、その計画をめぐって南側にある商店街の人々の意見が対立してしまったのです。
すると街の一体感が失われ、また隣の阿佐ヶ谷駅周辺が発展してきたこともあり、地域の人々は危機感を覚えます。そこで1957(昭和32)年に企画されたのが阿波踊りを踊るというイベントでした。
当初は地域の人に阿波踊りの踊り方を知っている人がおらず、はじめは「ばか踊り」というネーミングでイベントをはじめました。このイベントの中心になったのは、感情的対立のある商店主ではなく、その子ども世代の若手だったといいます。
はじめは踊り方も分からず、てんでばらばらなものだったといいますが、数年後からは江東区の木場で阿波踊りを行っている人々に踊りを習い、数年後には「東京高円寺阿波踊り」に名前を変え、スタイルが着実に作られていきました。
そして年々協力者も増え、今ではJR高円寺駅を挟んで南北一体となって街を盛り上げるイベントとして定着しています。
また、この高円寺阿波踊りの成立後に、高円寺で花開いたのが「フォーク・ロック文化」です。
フォークは1960年代から1970年代に全国的にもブームとなっていましたが、吉田拓郎氏や南こうせつ氏が高円寺近辺に移り住み、特に吉田氏が作った楽曲「高円寺」によって、高円寺は音楽を志す者にとって有名な街になりました。
1970年代後半から1980年代にかけてはバンドブームもあり、ライブハウスやスタジオも生まれました。こうして高円寺には音楽のイメージも定着していったのです。
ディープな高円寺が堪能できる歩き方は?
さて、JR高円寺駅の北側にも、ディープな高円寺らしい空間があります。それはJR高円寺駅の北側から北西に向けて延びる連続したふたつの商店街、「中通り」と「北中通り」です。
通りに入ると居酒屋や個人経営のお店が目立ちます。有名店としては、例えば洋食屋さんの「ニューバーグ」。ここは安くておいしいハンバーグが楽しめるお店で、有名人も多く訪れるそうです。
そして中通りを進んでいくと北中通りに入り、左手に黄色と赤の外装が目立つ建物があります。「キタコレビル」という独特なファッションの古着が販売されている場所です。ここにはあのレディー・ガガのスタイリストも来たといいます。
このキタコレビルの先が高円寺でもかなりディープなエリアです。大正時代からの古民家で古本とお酒が楽しめる「コクテイル書房」、活動家の松本哉(はじめ)さんが経営するリサイクルショップ「素人の乱」、ディープなトークライブが行われるトークライブハウス「高円寺pundit’(パンディット)」とユニークなお店が建ち並びます。「さらにディープな高円寺が見たい!」という人にはおすすめのエリアです。
そして街歩きをした後には一杯楽しみたいという人も多いのではないでしょうか。
JR高円寺駅の高架下の居酒屋街(画像:写真AC)
そんな方におすすめなのがJR高円寺駅西側の高架下およびその南側の居酒屋街です。ここには焼き鳥の「大将」をはじめ、安くておいしい居酒屋が数多くあります。ビールケースをひっくり返して椅子にしているお店もいくつかあり、そうした少し“チープ”なところも含めて楽しめる場所といえます。
ここまで高円寺の歩き方と街のイメージの形成史を紹介してきました。ぜひ皆さんも一度、ディープな街「高円寺」を歩き、独特の雰囲気を感じてみてください。