安産・子育守り「すすきみみずく」を消滅から守る(後編)ー職人が作り方を教えなかった理由

  • 未分類
安産・子育守り「すすきみみずく」を消滅から守る(後編)ー職人が作り方を教えなかった理由

\ この記事を書いた人 /

アーバンライフ東京編集部のプロフィール画像

アーバンライフ東京編集部

編集部

ライターページへ

昭和40年代、東京の郷土玩具「すすきみみずく」の職人はわずかとなり、後継者難が叫ばれるようになりました。その一方で、職人たちは作り方を人に教えようとしませんでした。理由は何だったのか。筆者はその答えを、亡くなった職人たちが作ったみみずくを探すなかで、図らずも知ることになったのでした。

10年修行を積んでも「まだ、人様に売りに出せない」

(前編はこちら)

 雑司が谷鬼子母神堂の境内に、江戸期創業の駄菓子屋「上川口屋」があります。かつて、ここでもすすきみみずくを売っていたと聞き、13代目店主の川口雅代さん(78)に当時の話を聞きました。

「腕のいい飯塚さんという職人さんがいてね、その人のみみずくだけをここで売っていました。飯塚さんはお姑さんから、10年作り続けても『まだ、そんなものは人様に売りに出せない』と言われるくらい厳しく腕を磨かれて。絶対に作り方を他人に教えなかったから、同じものを作れる人が現れることはないでしょうね」(川口さん)

 そう言いながら、引き出しから飯塚さんが作ったみみずくを取り出して見せてくれました。20年前に作られたものにもかかわらず、形が全く崩れておらず、穂を束ねる紐の強固な縛り具合など、職人仕事と分かるものでした。

上川口屋の川口雅代さん(2018年8月10日、宮崎佳代子撮影)。



鬼子母神堂の拝殿(2018年8月10日、宮崎佳代子撮影)。

 近江住職や郷土資料館などから情報を得ていた職人は飯塚さんと岡本さんのふたりだけ。しかし、そのどちらの作風も記憶とは違っていたため、昭和40年代、他にも職人がいたのではないかと思い、調べました。

明治の女手が紡いだ、威厳と優しさが共存するみみずく

 片っ端からインターネットでみみずくの画像を探すなか、1枚のおばあさんの白黒写真を見つけました。それを手がかりに、『明治を伝えた手』(朝日新聞社)という写真集を発見。そこに吉田すずさんというみみずくの職人紹介が載っていました。

 吉田さんのみみずくは、胴体の膨らみが豪快なまでにふっくらと丸みを帯びたもの。ちょっと怖い表情で、記憶にあるみみずくに近いと思いました。

 本の内容から、吉田さんの生まれは明治前半から半ば。写真集には、「六十年これを手掛けてきた」「若いお嫁さんが、十年やってこの丸みはとても出ないという」「雑司ヶ谷鬼子母神の宝もののような人だ」と書かれていました。明治の女手が紡いだみみずくは、威厳と優しさが共存する力強いものでした。

吉田すずさんのみみずく制作模様。杉村 恒著『明治を伝えた手』朝日新聞社より(朝日新聞社に無断で転載することを禁じる。承認番号:18-3972 写真:日本写真家協会所蔵)

 そして、この吉田さんの写真集との出会いによって、ついに筆者が探していた、懐かしのみみずくにたどり着くことになるのです。

 長島さんに吉田すずさんの存在を話したところ、法明寺にあった古い資料で、わずかとなったみみずくの職人の氏名が書かれた資料を探し出してくれました。そこで初めて目にした名前が、大沢巻太郎・みね夫妻。

 その資料には、みみずくの後継者難を伝えた複数の新聞報道の日付が記されていました。そのひとつ、1972(昭和47)年4月15日刊の朝日新聞東京版を調べたところ、巻太郎さんのみみずくの写真が掲載されているのを発見。記憶より感覚が先立って懐かしさを覚え、胸が一杯になりました。筆者の母と複数の親族にも確認して、祖父に購入したみみずくは大沢夫妻のものだろう、との結論に達しました。

後継者になるために職人が示した4つの条件

 巻太郎さんは、江戸時代から鬼子母神の境内で茶屋を営んできた家の出自で、その5代目。大正の頃からみみずくを作り始めたそうです。みみずくを吊るした笹の先端部には、蝶(民話に出てくる鬼子母神の化身)がついていました。近江住職はこの蝶を「昔はついていた」と先代から聞き、復活させたと話していましたが、昔のみみずくが確実に蝶がついていたこと、縁起を忠実に再現していたことが分かります。

 新聞記事には、巻太郎さんが後継者難を憂い、「時々、若い人が作り方を教えてとやってくるが、喜んで教えてやると2日もするといなくなってしまう」「全国でみみずくのまがい物が出回っていて、自分が教えた若者が作ったのではないかと嫌な気持ちになる」と語っていたことが書かれています。そして、教える条件として「近くの住人で毎日通う」「趣味でなく本気で」「今の型を受け継ぐ」「入れ歯でない(歯を使って紐を結べないため)」の4つをあげていました。

 職人たちがみみずくの作り方を教えなかったのは、趣味程度に数日習っただけで、型を受け継がずに自分勝手なまがい物を作って売られると、みみずくの評判と伝統をけがすことになる。趣味ではなく、本気で職人になろうとしている人にしか教えてはいけないと、皆が思いを同じくしたのでしょう。

 現在、保存会では年に一度、南池袋小学校の4年生にみみずく制作の体験学習を実施しています。4年生は民話のおくめと同じ年。「みみずくの精神」と一緒に教えているといいます。

 伝統産業は全国的に熟練職人が減る一方で、原料が手に入らなくなったり、値が高騰したりして、伝統製法そのままに受け継げなくなったモノもたくさんあります。そのなかで大切なのは、形や原料が変わっても、その本質を守り、意義を次世代に伝えていくこと。

 すすきみみずくも、住職はじめ地域の人びとによって守り続けられる限り、その本質を失うことなく後世へと引き継がれ、人々に笑顔をもたらしてくれるのではないでしょうか。

担い手育成と普及のための講習会で教えている、すすきみみずくの作り方。左上から時計周りに、講習会で使用する道具、使用するススキの穂と笹竹、凧紐で縛ってみみずくの頭と芯を作るところ、揃えた穂で頭を取り囲むところ(2018年8月10日、宮崎佳代子撮影)。



頭の周囲を取り囲んだ穂の4分の1程度を下に下げて腹部を作り(左上)、残りの穂をふたつに分けて羽を作成し凧糸で縛る(右上)。キビがらで作った目と経木で作った口と耳をボンドで接着(右下)、凧糸を隠す赤いテープの下の穂を切って完成(左下)(2018年8月10日、宮崎佳代子撮影)。
保存会制作のすすきみみずく。蝶と縁起の民話が書かれた紙も笹竹に結ばれている(2018年8月10日、宮崎佳代子撮影)。

●雑司ヶ谷鬼子母神堂
住所:東京都豊島区雑司が谷3-15-20
アクセス:副都心線「雑司が谷駅」1番出口から徒歩約5分

●雑司が谷観光案内処(すすきみみずくの販売場所)
住所:東京都豊島区雑司が谷3-19-5 並木ハウスアネックス内
アクセス:副都心線「雑司が谷駅」1番出口から徒歩約3分、都電荒川線「鬼子母神前」より徒歩約5分
営業時間:10:00〜16:30
定休日:木曜(祝日の場合は営業)

●すすきみみずく製作講習会 
主催:すすきみみずく保存会
場所:東京都豊島区南池袋3-5-9 法明寺みみずく会館
開催日時:2〜6月、11、12月の第2日曜、7月の第1日曜 10:00〜12:00
料金:1000円 *要予約
申込み:法明寺 雑司が谷すすきみみずく保存会事務局 TEL03-3971-4383

※2018年9月現在の情報です。 

関連記事